実際のところ、ワンネスに至っていない人が多い状況ではコントールする社会は必要なのです。資源が実際は足りているのに足りていないかのようにコントロールしていたり、お金が足りないかのような状況を作り出したり、好き勝手に遊べないような社会にしているのは、それは、ワンネスに至っていない人にとってはそのような足枷がどうしても必要なわけです。
ワンネスに達していないと「加減」をしらずに目の前にあるものを何でも手を出して物事をすぐに消費してしまいますから、そのような状況ですとこの地球の資源も確かに足りることがなくて、永久に不足となってしまうわけです。それは、あるだけ全部使ってしまうような病の状況ですので、ある種、コントロールする必要があるわけです。
新自由主義とかで経済の活性化、みたいなことを言っている人は、エゴが拡大していくらでも資源を使えれば使えるほど自分が儲かる、と言っているわけであって、それは社会の自滅に結び付きます。
ただ、それと入れ替わるようにしてワンネスの意識の人が増えれば、その場合では自由であったとしても加減が効いて、自分で既に満ち足りていますから何でもかんでも消費するということにはならなくて、資源もそこまで消費されず、資源が「足りている」状況になります。
ですから、新自由主義それ自体は仕組みですから良いとか悪いとかはないのですけど、世界に生きている人の意識がワンネスに達していなければそれは破滅に導いて、ワンネスの意識の人がかなり増えればそれでうまくいくわけです。
ただ、ワンネスの意識に達していない人が多い状況ではコントロールは必要で、そうでなければ図々しい人がいくらでも資源やものを取って行ってしまいますから、大勢が迷惑するわけです。
今は過渡期で、エゴが肥大化した人が自由がいいと言っているのと、それと、ワンネスの立場から自由を言っている場合があって、実のところ、別々なわけです。
ワンネスの人が増えればコントロールは不要になりますからそのようなコントロールの枠組みの社会は自壊します。ですけど、そうなると一部のエゴの人の活動が野放しになりますから、エゴの人の活動を抑える枠組みも一方で必要かとは思います。
ですけど、全体としてはワンネスの意識によってコントロール社会は不要になるかと思います。
とは言いましても、それはまだまだ先で、次の世代以降のお話かなとは思います。
当面はワンネスに至った人の比率は低いままでしょうから、当面はコントロール下において無制限な消費と浪費をさせないような社会にしておくことが必要と思います。人々は不満を言うかもしれませんけど、ワンネスに至っていない人のわがままでしかないわけです。
ワンネスに至れば「足りるを知る」に至りますから、自然に満ち足りて物欲も少なく愛と感謝によって分かち合いで生きるようになりますからコントロールによる押し付けは不要になって、社会の仕組みもより自由になります。そして、その社会の仕組みは人口におけるワンネスに至った人の比率で決まってくるわけです。