他人の感情に敏感になると共に感情の抜けも早くなる

2022-08-19 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

サハスララから光の柱が立った後、そのような変化がありました。近くにいる人が非常に苛立っていたりするとその感情がよく伝わってきますし、一方、その人が離れるとその感情もすぐに引いていきます。後を引かない感じですね。

かなり昔はただ単に他人の感情を拾うだけ拾ってしまって、溜め込んでしまっていました。

最近は、感覚をしばらく閉じていたのかなと思います。ですから、そこまで拾うことはしないためにそこまで溜め込むことはなかったように思います。

ただ、このあたり、説明に語弊があるかもしれません。

感覚の広がりという面に関しては子供の頃はそれなりに敏感で、そこでさまざまなものを拾ってしまって溜め込んでしまって、自分のトラウマと思っていたものの実は他人のトラウマも含めて苦しむという人生を長らく送ってきたような気がいたします。

もともと感覚を「閉じる」だとか「壁を作る」ということは子供の頃はしておりませんでしたので基本的にオープンだったのですけど、それですとこの世知辛い世の中では色々な負の感情を拾ってしまうのです。それゆえに、数十年かけて、「防御」というものを学んできたように思います。それは、いわば「断絶」でもあり、「感情を反射させて相手に返す」という技術でもあったりします。

そのように、もともと敏感だった感情への感覚が一旦は防御という形で閉じて、その後、防御しつつも完成を高めて愛と感謝および奉仕の気持ちを育てた結果、再度、感覚を開いても防御できるだけの技術と知恵をつけつつあるように思います。

ですから、この感情への敏感さは初めてのものではなくて子供の頃からあったものであり、一旦は閉じて、そしてまた、開けるだけの強さおよび防御の技術を手に入れつつあるのだと思っています。

そのタイミングが、おそらくはサハスララから光の柱が立つということで、おそらくは子供の頃は最初から立っていたように思いますけど葛藤や周囲からの妬み恨みおよび怒りを十年以上に渡って浴びつつけた結果、感覚が閉じてしまっていたように思います。

感覚に敏感になって、ある種、生きにくくなった面もなくはないですけどそこまで不具合はなくて、その分、防御法や対処法もそれなりに心得るようになってきていますから、これも通らないといけない道なのかなと思っております。

特に私は海外にこれからも出なくてはならないような気がするため、この種の対処法は必須のようです。