ブラフマンの門は蒸気弁、あるいは光の柱

2022-08-19 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ブラフマンの門は蒸気弁だというお話があって、ある程度は真実かと思います。おそらくは、気の次元やアストラルの次元ではそういうことなのでしょう。

この穴はたとえて言えば、排気弁のようなものです。蒸気機関車で、圧力があり過ぎるとシュッと排気弁から出すでしょう。ともかくサハスラーラを開けておかないと、エネルギーが溜まり過ぎて身体にいろいろ不具合が起きることがあるから、瞑想に入る前にまずスシュムナの浄化法をして、頭のてっぺんから気がよく抜けるようにしておかなければいけないのです。「本山博著作集5より」

これはヨーガではよく言われていることで、仙道の有名な方や気功でクンダリーニを上げている方も同じようなことをおっしゃっていましたので、それはそうなのかなと思います。

一方、スピリチュアルで言われているように、サハスララは天へと繋がる、長く上に伸びたパイプでもあるということです。スピリチュアルではサハスララは蒸気弁などではなくて、天に繋がるための重要なルートおよびパイプになっています。

スピリチュアルでは同様に下方向にもパイプが伸びていて、下方向はグラウンディングのパイプ、上方向はハイヤーセルフあるいは神と繋がるパイプとして上と下それぞれのパイプが重要なものとして扱われています。

ヨーガでも似たようなお話があったりもしますが、ヨーガの場合はサハスララは1000の花びらと象徴されていて、頭頂から半円状に周辺に広がっている、というイメージで語られることが多いように思います.その点、スピリチュアルと違って天に伸びているというイメージが薄く、天に伸びているという説明も聖典によっては多少はあったかと思いますけど、それよりも、サハスララの図で示されているように周囲に半円状に広がっているというのが定説かと思われます。

ヨーガやヴェーダンタの場合、理屈として周囲の世界全てが自分と同一として語られており、特に上という方向を重要視していないように思います。ヨーガでは個としてのプルシャを語っていてそれが世界のプルシャでもあるということで個と世界を平行に語っていますし、ヴェーダンタでは個としてのアートマンが実は全体としてのブラフマンと同一であると語っていて、個と全体は同じだと語ることはしても、「方向」を語ることはそれほどないように思います。

ヨーガではクンダリーニを頭頂のサハスララにまで上げることを重視します。そしてそこから天に上げる、ということも説明されたりしますけど、それは天に上げるというよりも周囲の世界、近くの地域の世界に対して意識を広げる、という意味合いが強いように思います。

ですけど、個人的には、そのように、サハスララは単なる蒸気弁ではなくて天と繋がるパイプというのが実感に即しているのです。実際、どこに繋がっているのかはわからないのですけど遥か上方にまで伸びていて、そこは、異次元のようにも思います。周囲の空間と繋がっているという感覚もあるいにはありますけど、それよりは、天に繋がっているパイプ、という方が実感に近いのです。

おそらく、蒸気弁というお話は気の次元やアストラルの次元ではそういうことで、それはちょっとエネルギーの無駄でもありますけどそういう役割もあるのかなと思います。一方、それ以上になるとサハスララからはパイプが天に伸びていて、それは蒸気弁というよりはパイプ、あるいは、もっと良い言い方をすれば「光の柱」が伸びている、ということなのかなと思います.