世界を救う気持ちは愛と感謝

2022-10-01 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

世間で言われているようにヒーローになるだとか勝負に勝つだとか正義を貫くだとか、そういうお話ではないのです。ヒーローが生まれるためには悪が存在しなければならないですけど、そのような形で世界は救われません。勝ち負けの勝負に勝つことでも世界は救われません。正義を貫いて悪を砕いたところで、悪と正義という対立軸にあるのであれば、それで世界が救われることはありません。

本当に世界が救われるためには愛と感謝だけに基づくべきで、それに付随して正義だとかヒーローだとかいうお話は不要なのです。

愛があるから世界を救う。
感謝の気持ちで世界を救う。

この2つは必要条件のことではなくて、「だけ」というところがポイントです。正義だとかヒーローだとか勝負とかいうお話が紛れ込むからお話がややこしくなるわけですけど、世界が救われるためには、文字通り、言葉通り「愛と感謝、それだけ」になる必要があって、「だけ」という点がポイントな訳です。

人々は、愛と感謝を「言い訳」にした上で正義だとか勝負だとかヒーローを「正当化」します。

ですけど、愛と感謝は言い訳などではなくて、愛と感謝それだけなのです。正義とかヒーローの正当化は不要なのです。

ありがたい、ありがたい、だから、世界を救う。
感謝、感謝、感謝の気持ちしかない。だから、世界を救う。
愛しかない。愛の気持ち。だから、世界を救う。

それだけなのに、人々はこれを「言い訳」にして自己の行動を正当化し始めます。

確かに、本当に愛と感謝を持っているのならばそこから出てくる行動は正しい行動として現れ、何であれ正当化されます。ですけど、多くの場合、愛と感謝が十分でないのにも関わらず行動を正当化するために愛と感謝が言い訳として用いられていて、偽善になっているわけです。

これは、人生経験を積めばそれが本当なのか偽善なのか見分けがつけられるわけですけど、立派そうな人がそれっぽい演説をすれば騙されてしまう場合も多いわけです。そうして戦争が正当化されたりしますけど、確かに、本当に愛と感謝を元にしていて戦争が正当化される場合もなくはないですけど、多くの場合は欲望を正当化するためにあれこれ理屈をつけているだけだったりします。

それを見抜くには、まず自身が愛と感謝の状態になって、そうすれば他人の発言や行動が本当に愛と感謝に基づいているものなのかがわかります。

そうして愛と感謝の人が増えるにつれて選挙での当選者も変わってゆくでしょうし、政治も変わってゆきます。