悟る前の最後の転生は障害を持つ可能性がある

2022-10-01 記
トピック:スピリチュアル: 輪廻転生

障害を持つことでその能力を完全に否定して、それ故に、高次の能力に目覚めて、それが悟りへの鍵になることがあります。この種のお話は流派によっては語り継がれていることで、「最後の転生は身体障害者」なんていう説もあったりしますけど、それは当たらずも遠からず、と言ったところかと思います。

実際のところ、身体障害者として最後に転生をする前は悟っていないわけで、悟っていないからこそ、最後の悟りに至るために五感あるいは霊的な五感に相当する能力を封じて上の波動階層の感覚を目覚めさせようとしているわけです。

その障害が肉体の五感に関するものであれば霊的な五感がそれなりに開けるでしょうし、その障害が霊的な五感に相当するものであったとすれば、霊感を超えた、ヨーガでいうプルシャあるいはヴェーダンタで言うところのアートマンの領域に目覚めるかもしれません。

一つ上の階層が目覚めるためには、必ずしもその一つ手前の能力が無くならなくてはならないわけではないのですけど、無くなることでその感覚に頼ることができなくなりますから、一つ上の能力を常に求めざるを得ないわけです。それはもちろん人によって、求めずに諦めている人もいらっしゃるかもしれませんけど、悟りのために障害を持って生まれた場合は必然的に上の能力を求めるように思います。

その他にも、単にカルマを負って障害を持って生まれる場合もあって、それはそんなに悟りと障害と関係がなかったりしますけど、悟りのために障害を持って生まれた場合は、このように、上の能力を目覚めさせる強制的な訓練になります。

肉体の能力で言えばわかりやすくて、例えば肉眼の視覚がない人の場合はそれ以上の感覚的能力を求めるでしょうし、一方で、元々霊的な視野(霊視)と霊的な聴覚(霊聴)がある場合でもそれ以上の領域に開けてゆくためには一時的に霊的な能力を一部制限してそれ以上の波動領域に繋がっていけるように訓練する場合があるわけです。

これは、それなりの基礎があって、その上で、割と自分で選ぶことで障害を持って生まれるわけです。


■霊的な能力をあえて封じて転生することで悟りに近づく

実際のところ、障害を持たずして生まれてそのまま悟ることができるならばそれで十分なわけで、何がしかの原因によりそれまでの人生においてずっと何度も成長ができなくて、停滞していて、どうしても成長が阻害されているか、あるいは、転生する度に波動が落ちていてかなり辛い状況になっている場合、その停滞や落ち込みを打破するためのスパルタ式の修行がこの種の障害を持った人生に相当するわけです。

肉体の障害にせよ、霊的な障害にせよ、今まで見えたり聞こえたりしていたものができなくなるわけですから、最初はとても怖いのです。例えば、霊視できていて悪霊を避けたり霊聴で警告を聞けた人がそれができなくなったりすると、とても怖い状況の一生を過ごさなくてはならないわけです。その人生を選ぶ前には途轍もない恐怖があって、実際、生まれてからも何も霊視できない、何も霊聴できない、という暗闇のような状況に陥ると、それでも肉体の五感は満足ですから肉体の感覚に頼らざるを得なくなって、一応は生活できるわけですけど、今まで包まれていた霊的な世界から切り離されて、今まで当たり前だった霊的感覚が希薄な状況で生活するしかなくなるわけです。

そうなると、それなりの確率で物理的な快楽にはまったり、物欲及びエゴが拡大して堕落してゆきます。ですから、実のところそのような障害を持つ人生というのはかなりのハイリスクではあるのですけど、その分、高く成長できる可能性があるのです。

外から見ると、そうして霊視や霊聴を制限された人というのは普通の人にしか見えなくて、特に、ちょっと霊能力が出てきた人と比べたとしても霊的能力は劣っていたりしますから、全然成長していない素人あるいはただの物理的な人間にしか見えなかったりします。そう思われたとしても無理はなくて、そもそもこの今の世の中にはこの種の修行をしている人はほとんどいませんし、そのような修行が存在していることすらほとんどの人は知らなかったりします。

もはや、最近ではあまり使われなくなった「霊界の特殊なマント」というものがあって、霊的能力を制限して転生することができるわけです。それは特殊なマントラと(手の)印が鍵になっていて、そんなに難しいものではないですけど、印とマントラを唱えると封印が解けるわけです。あるいは、死後に肉体から離れると封印が解かれます。

特に今のご時世ですと簡単に堕落してしまいますのでこの修行はお勧めしないのですけど、一部ではこのような手法で修行をしている人も稀にいて、例えば、お坊さんの修行をしていて何も成長しない凡人のように思われていた人が実はこのマントを使っていて、それ故に何も霊的能力が現れてこなかった、ということがあります。

人は、霊的能力でその人の霊的成長やスピリチュアルの成長度合いを測ったりしますけど、必ずしもそれで測れることばかりではないわけです。