仏教は輪廻転生を抜け出すことを解脱と言っていたりして、ブッダ自身は輪廻転生を認めたのかどうかという議論は確かにありますけど、流派としては解脱のことを言っていたりすると思います。そのように、輪廻転生のサイクルから抜け出すことが私の解釈で言うと上のように対応していると思っていて、それはヴェーダンタで言うところのモクシャ(自由)とも一致していると思います。
これはあくまでも、個人的な解釈です。
解脱にせよモクシャ(自由)にせよその後どうなるかまではあまり言っていなくて、単に輪廻転生から解放される、みたいなことを言っているかと思います。世間の普通の人の状態においては欲望や葛藤などカルマが多く眠っていて、そのカルマが次の転生の引き金になって次々に輪廻転生の歯車を回すことになる、という解釈ですね。
私が思うにサイクルが2つくらいあると思っていて、まず、地球の普通の輪廻転生のサイクルで、それは仏教やヴェーダンタが言うように欲望や葛藤などカルマが原因でぐるぐると回ります。この場合、昇天はせず、グループソウルとの合流もせず、単に個としての魂(ソウル)が転生を繰り返すわけです。
一方、人生の全てに満足したり、あるいは欲望を放棄することで死後に昇天することができます。それが解脱とかモクシャ(自由)とか言われていることに相当していて、それは、私の解釈では、昇天することで自分が属している高次のグループソウルに溶け込みます。そうして、グループソウルの中に自他のない状態になるわけです。ですけど、一応のコアみたいなものはグループソウルになったとしてもあるにはあって、そのコアをグループソウルの意思によって分離させて再度分霊を作ることができたりします。
この、分霊を作り出すことは仏教やヴェーダンタではそれほど深く言っていなくて、解脱あるいはモクシャ(自由)になってグループソウルに合流したらそれで終わりではなくて、その後、グループソウルの意思に基づいてまた別の個体として分霊が作り出されたりするわけです。
ですから、グループソウルとしての人生は解脱やモクシャ(自由)の後も続くわけです。グループソウル全体としての霊的なスピリチュアルの成長の度合いと言うものもあって、解脱やモクシャ(自由)が当たり前の段階に達していれば大抵は普通に昇天してグループソウルに戻ってきます。一方、それほど成長していないグループソウルに属している魂の場合はなかなか帰還せずに地上での転生を仏教が言うようにグルグルと繰り返したりします。
この地球というのは特殊な環境で、地球に慣れていない魂の場合、例えグループソウルのスピリチュアルのレベルが高かったとしても地球というものがあまりにも面白いために転生を繰り返してしまう、ということもあります。
どちらにせよ、転生のサークルはよく知られている普通の転生サイクルの他に、グループソウルとしてのサイクルもあります。
グループソウルの上には更に高次元のものがあるにはありますけど、こうして三次元世界に住んでいる我々からするととても認識できるものではありませんので、ひとまずはグループソウルくらいまでを認識するので十分かなと思います。それですら私たち地上の人間からするととてつもない光と英知と能力に満ちているのですから。