この原則は基本ではありますけど、基本であるが故に、ずっと適用可能な法則のように思います。まだまだ雑念に振り回されている段階であってもこの法則は正しいですし、それなりに浄化してきても、更に深い瞑想に入るためにはこの法則が有効のように思います。
瞑想が進むと、雑念が現れてもそれによって瞑想が妨げられないようになります。
雑念が瞑想の妨げになるのは、それは浄化がまだ進んでいなくて雑念に釣られて意識が雑念に取り込まれてしまうからでありますが、浄化が進むと顕在意識の後ろに元々潜在意識だった部分が深層意識として表に出てくるようになりますので、その深層意識があるが故に雑念に取り込まれないようになってきます。その深層意識が出てくるためには浄化が進む必要があるわけで、浄化が進めば深層意識が現れてきて、瞑想に妨げられないようになるわけです。
それは段階によって程度問題ではありますけど、それなりに深い瞑想に入る時に無念夢想の状態になって雑念が減った状態になるのですが、その状態がどのくらい続くのかは浄化の度合いによるわけです。
瞑想中に、チャクラやエネルギのルート(ヨーガでいうナディ)に意識を合わせてその部分を活性化させる時も同様に浄化の度合いによってうまくいくかどうかが違ってくるように思います。浄化が進んでいないということはチャクラが詰まっていたりエネルギーのルートが詰まっているということでもありますから、それらの集中すると不快感や不調など、何がしかの問題が出てくるわけです。
浄化を進めていれば、チャクラやエネルギーのルートに意識しても問題が生じません。
浄化は、自分で行う場合は少しずつ行なうのが良くて、深い瞑想に入ればそれなりに深いトラウマやいわゆる「魔」が表に出てきますから、それらを少しずつ浄化する必要があるわけです。
その他にも、他者の術やヒーリングで一気に浄化するという方法もありますけど、対処法を身につけるという目的、あるいは、その内容を理解するという目的に関して言えば難易度は高いですけど自分で対処した方がいいように思います。
ただ、そのような不浄な部分が必ずしも自分に原因があるとも限りませんので、人それぞれ自分の人生で目的として設定している課題とは異なるようなもの、自分にあまり関係がないけれども拾ってしまったり押し付けられてしまったものに関してはあまり気にせずに、理解することもなく浄化して消滅させてしまってもいいように思います。
スピリチュアルの人、特に日本の人は真面目で、全てのトラウマを理解して全てに対処しようとしてしまいますけど、全部に対処しようとすると文字通りきりがありませんから、自分の目的に即していないものはスルーしたり浄化して消滅させたりしてしまうのも選択肢の1つであるわけです。