自我(エゴ)が大人しくすることでハイヤーセルフ(真我)が立ち上がる

2022-11-12 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

本当の自分であるハイヤーセルフあるいはアートマン(真我)は基本的に大人しくて、自我(エゴ)があれやこれやと騒いでいるとあまり表に出てきません。表層の意識である自我(エゴ)が静かにすると、まず最初に、胸の奥の意識は「まどろみ」の中にいることがわかります。

自我(エゴ)が湖の湖畔に立って、湖であるところのハイヤーセルフ(あるいはアートマン、真我)の意識を眺めています。ハイヤーセルフの意識は最初はただ単に湖にある小さな波の「揺らぎ」として感じられます。風が少し吹いているのか、少し湖面が揺れています。その揺れのように、ハイヤーセルフの意識は「まどろみ」として感じられるわけです。

そのハイヤーセルフの意識は、時折動くこともあれば、そうでない時もあります。基本的には物静かで、ほとんどの場合はただ見ていて、黙っていることが常です。

一方で、顕在意識である自我(エゴ)は忙しく動き回っているわけですけど、そうした時、ハイヤーセルフの方から働きかけてくる時があります。

実のところ、ハイヤーセルフの方からの働きかけ、あるいは、意図、あるいは、話しかけてくる、と言うことは自我(エゴ)の動きとは割と独立して動いていて、自我(エゴ)が動いていようが動いていまいが、構わずハイヤーセルフの意図と言うものは入ってきます。

ただ、特にわかりやすいのが自我(エゴ)が動いていない時なわけです。

実際には自我(エゴ)の動きとハイヤーセルフの意図とがタイミング的に被る時があって、それでも気づくことができますけど、慣れていないうちは、特に瞑想があまり進んでいない状態ですと、タイミング的に被ると内容がよく聞き取れなかったりします。最初のうちは、自我(エゴ)が動いていない時の方がハイヤーセルフの声(意図)を聞き取りやすいわけです。

ハイヤーセルフが話しかけてきたら自我(エゴ)の動きは一旦止めてハイヤーセルフの声を聞くべきで、それは実のところ普通の一般の社会生活において誰かから話しかけられたら意識をそちらに向けるのとそうは変わらないわけです。

そういうお話がある一方で、実は、ハイヤーセルフはただ単に話しかけてくるような存在(と言うか自分自身)と言うだけでなくて、ハイヤーセルフ自身がもっと主体的になることができるわけです。

瞑想が進むうちに自我(エゴ)が浄化されて自我が静まってくると、やがて、主体がハイヤーセルフにバトンタッチする時期がやってきます。どちらも消えたりはせずに社会生活を送る上で両方必要なわけですけど、主体が入れ替わるわけです。

それは、ハイヤーセルフが強制的に奪い取ると言うよりは、両者が納得の上で、特に自我(エゴ)が大人しくすることで本当の自分であるハイヤーセルフに主導権を譲り渡す、という段階のように思うのです。