スピリチュアルでは、感受性を高めることが一つの成長の指標になっているように思います。ただ、これはとても誤解があるお話のように思うのです。
意識には主に種類があって、顕在意識と高次の意識、それは普通の顕在意識としてのマインドの意識と、高次のハイヤーセルフ(あるいは流派によってはアートマン、真我)としての意識とがあります。
感受性を高めると言ったとき、前者で高めるのか後者で高めるのかによってかなりの違いが出てきます。
前者はいわゆる気や表層のオーラといったものを扱いますので、感受性と言った時に、オーラを接触させることで相手の情報を得ます。情報を得るときに相手のオーラとその部分が融合しますので、切り離して情報を取るときに、相手のオーラを自分に取り込むことで情報を得るわけです。切り離す時に、綺麗に取り外すということはできませんから、相手にもこちらの情報が多少は渡ります。うまくやらないと、かなりの部分で相手と自分との間でオーラの交換がされてしまい、情報を取る以上に、相手にこちらの情報をも渡してしまうことにもなるわけです。
世間でスピリチュアルな成長をしたと見なされているとき、この種の、オーラによって相手の情報を得る、という方法を取っていることがあります。
霊媒体質、あるいは、霊障になりやすい体質などがまさにこれで、そのような人の場合、普段の状態からオーラが不規則に揺れていたり周囲に広くまとまりなくダラっとアメーバのように広がっていたりして、そのように揺れている広がっているオーラが周囲の人に接触することで不意に相手の情報が入ってくるわけです。
相手のことが分かったとして、それがスピリチュアルではあたかも良いこと・素晴らしいこと・成長した、というような扱いを受けることがありますけど、それが意図して行えるのならばともかく、ふとした時にオーラが接触して相手の情報を入手しているのであれば、それは、ただ単に情緒不安定なスピリチュアル初心者あるいは初心者以下の、ただの人に過ぎなかったりするわけです。時に本人は勘違いして凄いことだとか思っていたりしますけど、オーラが不安定な時点で、スピリチュアル的には初心者以下なわけです。
この辺り、周囲からすると見分けがつかなくて、誰も知らないはずのことを見抜くと凄い人だとか思ってしまったりしますけど、それはただ単にオーラが不安定なだけなのです。
一方、高次のハイヤーセルフの意識で感受性を伸ばすという側面があって、この場合、オーラはあまり関係がなくて高次に繋がって情報を下ろしてきますからオーラに頼らないわけです。本来、こちらが正しいスピリチュアルの姿であって、オーラは安定させて肉体の近くに必要に応じて定着させることが基本になるわけです。