自我(エゴ)が自分をコントロールしているという幻想

2022-12-20 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

最初からそれは幻想だったわけですけれども、多くの普通の人は自我(エゴ)が自分だと思って生活しているわけです。その、誤解された自分のことをヴェーダンタではジーヴァと言いますけど、その、顕在意識が思考する自分および記憶(ヨーガでいうチッタ)としての自分と言う意味でジーヴァという言い方をするわけです。いわゆる普通の人が思っている自分という感覚における「私」がジーヴァなわけです。

そしてそのジーヴァは幻想でしかないわけですけど、それは聖典にもそう書かれてありますし、単なる知識だけでなく、実際にそうなわけです。瞑想が進んでくると高次の自分であるアートマン(あるいはハイヤーセルフ、真我)が本当の自分であることに気付くわけですけれども、そのことを自覚するまではジーヴァが自分だと思い違いをしているわけです。

ジーヴァは「思考」「肉体の体」を自分だと思い込んでいる、誤解して自分だと思い込んでいる幻想としての自分な訳ですけれども、ハイヤーセルフの意識に目覚めるかあるいは聖典で教えてもらうまではその幻想の中に深く生き続けるわけです。

実際のところ、本人のジーヴァがそれに自覚しようがしまいが、ジーヴァがいくら自分こそが自分で我思う故に我ありで肉体こそが自分の全てだといくら思おうが、肉体が生まれる最初から、はたまたそれ以前から、既にハイヤーセルフこそが元々の本当の私であったわけで、顕在意識がそのことを自覚しようがしまいが関係なく最初からハイヤーセルフこそが本当の自分だったわけで、これからもずっとそうなわけです。

■ハイヤーセルフに主導権を譲り渡す

ですから、ある意味、本当の意味に老いては、エゴが自分だと言うのは幻想であって、それは比喩として、と言う解釈もできますけど、比喩としてよりも、本当にそうであるからこそそうである、と言う、そのものズバリの意味なわけです。

そうして当初はジーヴァが自分だと思い違いをして生活しているわけですけれども、瞑想など精神修行を続けているうちに、最初は知識だけでそれが幻想であることに気づき、やがては、本当にそうである、という意味において実際にそのような自覚が出てきます。

自覚が出てくると、次第に、主導権をジーヴァがハイヤーセルフ(アートマン、真我)に譲り渡すようになってきます。ハイヤーセルフの方は基本的に穏やかですので、ジーヴァの方がうやうやしく「私(ジーヴァ、自我、エゴ)は今まで思い違いをしておりました。貴方(ハイヤーセルフ、真我、アートマン)の方が本当の自分でありますので、主導権を譲り渡します。思うように生きてください。」と訴えかけるようになります。

それに応じるようにハイヤーセルフは「うむ。わかった」と、静かにその主導権を受け取ります。

とは言いましても、今まではジーヴァが好き勝手に動いていただけで元々ハイヤーセルフが主であり本当の自分であったことに変わりがなく、ただ単にジーヴァが思い違いをしていたことを自覚したに過ぎないのです。

今までは、ジーヴァが割と文字通り好き勝手に思考と物体の体を動かしておりましたが、こうしてジーヴァが主導権をハイヤーセルフに譲り渡した後であればジーヴァとハイヤーセルフが協調的に動くようになります。

今までは、元々ハイヤーセルフが主だったとは言ってもその指示がジーヴァにうまく伝わらなくて、何度も何度も伝えなくてはならなかったり、ジーヴァが聞いていなかったり誤解したりして、そこまでうまく「自分」という人生を運用できていなかった状態と言えます。

しかし、ジーヴァがハイヤーセルフの存在に自覚的になって主体をハイヤーセルフに譲り渡したのならば、ジーヴァは今後もこの三次元世界の日常を生きる上で今まで通りの思考と行動を行うのは変わりがないにしても、その普段の日常生活を送る上でハイヤーセルフの指示をも的確に受けるようになります。

■ジーヴァ(自我)とハイヤーセルフが協調する

肉体がまだ存在して、普通の顕在意識の思考(マインド)も存在する以上、そのようなこの世における肉体的な行動とマインドによる思考は継続しますので、主体を譲り渡したからといってジーヴァの役割は今まで通り続くことになります。しかしながら違うのは、今まではジーヴァが私だと思い違いをしていたところが、ハイヤーセルフが自分だという本当の理解に辿り着いたことによってハイヤーセルフの指示に従うようになるということと、ジーヴァが自分だと勘違いすることによって行なっていた刺激的行動や誇示的行動が不要になることでそのような意味のない行為を控えるようになるという点です。

ハイヤーセルフ(真我、アートマン、あるいはスピリット)がハイヤーセルフのために生きるようになるわけです。

そうなった後も、肉体とマインド(思考する心)のコントロールはジーヴァが担当することになるのですけど、次第にジーヴァとしての自覚は薄れていき、やがて最終的には機能としての肉体とマインド(思考する心)だけが残り、誤解した自分であるところのジーヴァとしての「私」は消えてゆき、ハイヤーセルフとしての自分としての自覚だけが残ります。

そこまで行くとジーヴァは存在しない、ということになるのですけど、そこまで行かなくても、中間的な状態としてはまだジーヴァとハイヤーセルフは共存していて、お互いが協調して働くという段階になります。

肉体を持っていてマインド(思考する心)で物事を考える以上、この地上に生きている間は多少ながらジーヴァの意識というのは常に発生して、完全にゼロになるということはおそらくないのではないかなと思います。ですがハイヤーセルフの自覚というものはどんどんと高まってゆくわけで、それが本当のことであり、ジーヴァとしての自分と言うものは幻想に過ぎないことの自覚が深まってゆくわけです。