有名なカルマの法則あるいは因果応報というお話はあってないようなものですので、気にするよりも自分の与えられたポジションでするべきことをすれば良い、というシンプルなお話かと思います。
よく、仏教やその他ではカルマの法則が語れていて、与えたものは返ってくる、良いことをすれば良いことが返ってくるし、悪いことをすれば悪いことが返ってくる、というお話がなされています。それは、そのように思える時もあればそうでもない時もあって、本当に法則が働いているのか、実のところ、個人の存在としては確実なところは知ることは難しいですし、(ある程度の段階に至るまでは)知る必要もないことなのです。
実のところ、物事に「何故」というのはあります。ほとんどの場合において理由は存在していて、どうしてそうなったのか、という原因を知ろうと思えばある程度のところまでは知ることができます。ただ、知る、というよりも、人生を選択する、という視点の方が重要なのです。
これは、こういうことです。
カルマの法則というのは、集合意識において働きます。ですから、誰かが悪いことをすれば悪いことが集団のどこか・誰かに返ってきます。同様に、誰かが良いことをすれば良いことが集団のどこか・誰かに返ってきます。世間ではカルマの法則は個人のこととして理解されていますけど、実のところ、集団としてのお話なわけです。
個別の事象に関しては原因というものがあって、それは物理的に近い関係性で事象は発生しますから、直接的な原因を辿れば地理的、関係的に近いところが原因だったりします。それに加えて、集団としてのカルマというものがあって、カルマの顕在化が事象の発生だったりします。このような意味において原因を探ろうと思えばある程度は辿ることができますけど、そのカルマの顕在化においては波動の法則と潜在意識・深層意識における「許可」があって初めて現実化しますので、波動が合わなければカルマがあっても発芽はしないわけです。
世間で「引き寄せの法則」とか言われていますけど、引き寄せというよりも「現実の創造」の力の方が強くて、人が思い描けばその通りの現実が文字通り創造されていくわけですけど、それは良い・悪いという判断を超えてどんなものでも基本的には現実化しますから、カルマに縛られるとかいうお話よりも現実創造の力の方が遥かに強いのです。
ただ、スピリチュアルにそれほどまだ成長していない場合は自身による現実の創造の力よりもカルマの力の方が強かったりして願わない現実を引き寄せたりもしてしまいますけど、ある程度のスピリチュアルの成長さえできれば現実は自身が創造していけるわけです。
カルマというのは所詮は過去の誰かが思い描いた「残像」のようなものですので基本的に力は弱くて、それでも、この世界において疲れ切っている人にとってはそれすらも脅威になることがあったり、稀に怨念とかになっていたりして悩まされることがあったりするわけですけど基本的にはカルマの力は弱いことがほとんどで、カルマとかいうのは所詮は過去の思いの残りかすでしかありませんので、ある程度のスピリチュアルの成長さえしてしまえば自身の意思の力の方が強いわけです。
補足ですが、カルマには何種類かあって、ここで言っているのはまだ現実化していないカルマ(サンチッタ・カルマ)のことで、既に現実化してしまったカルマ(プラーラブダ・カルマ)は現実における対処が必要です。