想像しただけで新たな世界線が作られる

2023-01-23 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

その世界線は一瞬ではあっても一応は作成され、その後、その個人の「願い」あるいは集団としての「同意」があればその時間軸は強化され、なければしばらくすると雲のように消えてゆきます。アストラル界およびそれより微細な世界では「思い」の力が強く働きますので、「正しく願う」ということがことさらに重要になってきます。

アストラル界は地上の世界と割と似ていて、美しいものを思い描けばその通りのものが出現し、そうでないものを思い描けば相応のものが出現します。ですから、天国のような世界を願えばその通りの世界になるわけです。

ここで言う創造というのは意識を持った魂のことではなくて、割と物体的な「モノ」のお話です。微細で変わりやすいという違いこそあれ、アストラル界においても物質(のようなもの)は存在しています。それは「思い」の力で文字通り創造され、アストラル界の現実として出現します。

例えば、美しい妻が自分の姿を一番美しかった20歳前後の姿に思い浮かべたとすると、自分の姿はその美しい年齢の姿になります。

はたまた、優しい妻が、生前に夫と暮らしていた家の間取りを想像して作り上げて、そうして作られた想像の家(それはアストラル界に実際に存在します)にて、おままごとのように生前のごとく食事を作って食べさせて団欒する、みたいなことも容易に行えます。

アストラル界では「もの」が「思い」の力によっていかようにも変わるわけです。

その延長線上で、世界線というものも、アストラル界およびそれより微細な世界において「雛形」という形態で、想像しただけで一応は作られるのです。

ただ、普通の人の場合、自分の周囲に自分が想像できる範囲でアストラルの物体が(アストラル界に)現実化し、やがてそれは力を失って崩壊して消えていきます。

ですから、普通の場合、その想像が三次元世界にまで影響を及ぼすということは基本的にはないのですが、それでも、自分自身の人生であれば何度も思い描くことでその方向に少しずつ修正する、あるいは、未来の時点から過去の時間軸を新たに作り直して自分自身の人生をやり直す、ということも一応は可能なわけです。

他の人も基本はそうだと思うのですが、人生において、成功や失敗、あるいはうまくいかなかったことがあったとして、実のところ失敗すらも経験として生かされるので何事も無駄はなくて全ては完璧ではあるのですが、全ては完璧という前提に立った上でも、それでも、やり直した方が良い、という時はあるのです。やり直し、というと語弊があるかもしれません。実のところ経験というものは既に起こってしまったのだとしたらそれは時間軸に刻まれますので、実のところ「やり直し」ではなくて、「もう一度、同じ時間軸から平行にやり直す」という方が表現として正確なのです。

最初、失敗してしまったタイムラインがあったとして、その経験は生かされますから、ということは、最初のタイムラインはもう消えずに残るのです。それでも、使われなければやがて力を失って消えてゆくわけですけど、かなりの期間、そのタイムラインは残るわけです。

そして、やり直す、というのは、最初のタイムラインを「無かったこと」にはできず、必ず、「同じ状況で、その時点を、平行にやり直す」という形を取ります。その状況は、実は平行ではあったとしても、個人の体験としては「やり直し」になります。

意識の焦点および選択によって、最初のタイムラインはもういいや、ということになれば途中からそのタイムラインは(貴方にとっては)継続していないこと、となりますけど、他の人が継続したければ一応は継続されたりもします。この辺りは、時の管理者といますか、大いなる意思、集合意識と(地球の)管理者の意図で継続かどうかが決まる、というところになります。ですから、個人の意図としてはいくつかある大枠のタイムラインから選ぶ、ということになるわけですけど、それでも、一応は、個人の意見は尊重されて、そのタイムラインは(一応は)個人向けに作られたりするわけです。

これは自身のスピリチュアルなレベルにも相応していて、スピリチュアルがそれほどでもなくて機械的な生活を送っている意識レベルの場合はいくら願っても時間軸が作られることは(ほとんど)ないのですけど、スピリチュアルが成長してアナハタ優勢以上になると時間軸が少しずつ作られるようになってゆきます。

この種のお話は「(エゴによる)欲望」で操作することは基本的にはできなくて、「知りたい」という「知的欲求」によって時間軸が基本的には操作されます。ただ、スピリチュアルで成長過程にあったり、魔術的手法で欲望の現実を作り出すということもありますけど、そのように自分の手に余る時間軸を作ったとしても世界に対して良くない影響を与えますので、個人の満足によって時間軸を作るということは基本的にはあるべきではないものの、実のところ、そうして魔術を欲望のために使っている人がそれなりにいるのも現実なのです。

ただ、そうした、魔術による欲望のタイムラインや健全な知的欲求なども全て含めた上で地球の「管理者」が許可を出して、時間軸は作られて管理されています。本人が欲望のつもりだったとしても、知的欲求であったとしても、はたまた、たとえそれが地球を破滅させるようなタイムラインであったとしても、全ては地球の管理者の許可がなければその時間軸は作られないのです。

そこまで話を大きくしなくても、自分一人で知的欲求あるいはトラブル回避などのために小さなタイムライン操作あるいはやり直しをする、ということは普通に行えますので、あくまでも「全ては完璧で、何一つ善悪もなく、ワンネス」ということが基本で、その基本の上であれば、知的欲求のためにタイムライン操作をするのは問題がないと言えます。

やり方は簡単で、想像することです。想像だけで足りない場合は、まず「見る」ことです。そして「見る」ことにより、今後、どうなっていくか、とか、過去の選択について改めて思考を巡らし、より良き選択あるいは知識を得るため、はたまた、目的のためにどのタイムラインを辿るべきか選択肢が見えてきます。

実のところ、これは、わざわざタイムラインと意識しなくても全ての人が日々の生活で行なっていることではあるのですけど、実のところ、その選択というのは未来の出来事に対してだけではなく、過去の事象についても適用可能なわけです。

未来の事象について思い描いて選択をすればそのタイムラインの選択になる、というのは割と普通のことで、単に、未来の選択をしている、というくらいのお話です。

そして、過去の事象について思い描いて選択をし、具体的なものを思い描き、その際に、基本となるワンネスの状態で知的欲求およびスピリチュアルの力があれば過去から分岐したタイムラインが作成されます。ただ単に嫌悪感とかトラウマとかから選択してもうまくいきませんが、ワンネスの状態で知的欲求および「選択」そして「想像」が組み合わさればその過去の時点あるいはその少し前から時間軸が分岐して作成されます。

こうして、より良き人生の選択が行われ、ふと気がつけば、新たな時間軸に生きています。

新たな時間軸において、かつていた時間軸のことは「想像」あるいは「夢」あるいは「他のタイムラインの記憶」として認識されます。スピリチュアルである程度の認識がある人であれば、この時点で「あぁ、あのタイムラインではこのような選択をしたけれど、それは良くない結果をもたらす」と、はっきりと認識した上でトラブルを避けたりするわけです。

同じように過去の思いを見つめ直した結果、やり直すよりは受け入れた方が良い、それでも十分、と思えばわざわざやり直すことはしません。時間軸のやり直しというのは相応に力を要しますし、それ以外の日常生活ももう一度、ということになりますから、1回目のようなワクワク感が少し薄れてしまうのが常です。ですから、特に問題がなければできれば1回のタイムラインで人生を生き切るのがお勧めではあるのですけど、それでも、時折、必要に応じてやり直したりすることもできます。

未来に関しては、ある程度の未来が見えている場合は、実のところタイムラインをやり直している、という場合のことがそれなりの割合であります。未来は、本当に微細な空間にそれとなく出現していて雛形を見ていて一回目をその雛形を元に生きる場合と、人生やり直し、という場合の2つがあります。

何か使命があったりする場合はやり直しも発生するかもしれませんし、あるいは、最後の人生で学びをくまなくやり終えたい、という場合は念入りにやり直すかもしれません(私はどちらかというとこのタイプ)。一方、単に(地上に)遊びに来ただけなら普通に過ごして人生を終えればそれで十分かなと思います。

ですので、できれば、一回で済ませた方が人生面白くてお勧めではあります。タイムラインどうこう、とか、やり直し、というのはあまり気にせずに、充実した人生を1回で済ませられるのが理想あるいは幸せだと思うわけです。