霊的な術とか能力に魅了されるとサハスララまで辿りつかない

2023-01-31 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

能力的なものは一般的に魅力があって、実のところハイヤーセルフと繋がらなくても能力は使えたりしますしサハスララまで辿り着かなくても能力が出てくることはあるように思います。

そして、能力的なものが使えるようになって能力や術に魅了されると、成長が止まってしまってサハスララにまで辿り着かないように思うのです。

それは、とても勿体ないことだと思うわけです。

スピリチュアルの本流というものがあって、自身のスピリチュアルの成長のための道というものがあるわけですが、どうしても人は能力的なものに目を奪われがちで、能力が出てくると自身が成長したかのような錯覚を覚えてしまうわけです。

能力というものは、よく言われていることではありますが、狸や狐、あるいは死者の霊の助けあるいは気まぐれによっても発現することがあって、それは自身の能力ではなくて霊的存在の助けがあって発現しているものだったりするわけです。それをまるで自身の能力だと勘違いしてしまう人がとても多くて、狸に化かされて、肝心のところで能力が全く使えなかったり、全く逆のことをされて大損したり、大きく恥をかいたり、ということが起こるわけです。

サハスララにまで到達していなくてもスワディスタナ(丹田)あるいはマニプラのチャクラ(お腹のチャクラ、ソーラプレクサス・チャクラ)などでも霊的能力はそれなりに出て、スワディスタナ(丹田)は「無意識のチャクラ」とも比喩で言われていて、不意に能力が出てくる、自分でコントロールできない、トランスになって意識を失う、という特徴があります。

そのように低いチャクラでもそれなりに霊能力者になれたりしますが、サハスララに到達して太陽あるいは宇宙のエネルギー、高次のハイヤーセルフ、集合意識、それらは実のところ同じといえば同じものではありますが、そのように高次の意識に繋がって発現する能力とは次元を異にしているのだと思います。

サハスララに到達することで得られるものは書物で書かれてあること、そのものずばりだったりもするのですけど、実際に自分が到達するまでは書物で書かれてあることが理解できないわけで、そうなると、能力的なもの、術的なものに惹かれてしまって寄り道をしてしまうのかなと思います。