サハスララの意識によってゴールが見えた

2023-02-02 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

遠く、あるいは、一時的なものではあっても、ゴールが見えたのです。

この内なる神性を顕現すること。神の意識、光たる神と融合、内なる神を確かなものにすることこそが目指すべきものであって、自らの意識が最終的に神になる、あるいは、神に近づいていくことこそが本来、進むべき道なわけです。神とはエネルギーであって意識であって満ちているものであり、(ヨーガで)プラーナとも言われるもの。それが神意識であって、神の意識たるプラーナを高めることで神に近づいていくわけです。

これは、理屈としてはヨーガを始める最初の方で教えられることで、理屈としてはおそらく多くの人が知っていることであり、それほど特別な知識ではないと思います。

今までは、このあたりのことが漠然としか理解できておりませんでしたが、サハスララの意識が(少しでも)開いてくると、この単純なお話が実はゴールでもあることがよくわかるのです。

これは単なる理屈だけのお話でもないし、お勉強だけのお話でもありません。

実際に、人の意識というのは無限であって、まさに神の意識と繋がっている、という、お勉強で学ぶこと、そのものズバリがサハスララによって実際にそうなることができるわけです。そして確信できるのは、それこそがゴールであり、神意識を実現させることこそが大切なものであり、修行とは結局、そこに向かって行われるべきものなわけです。

書物などで言われている、内なる神・神たる自分は宇宙やプラーナのエネルギーと力と同一である、ということの意味がこの段階にくると、(まだ顕現としては僅かなものであったとしても)それが真実であることがよくわかるのです。

神が全ての生命である、という聖典の言葉もよく理解できるようになりますし、同様に、わが心は無限の叡智を持って満たされている、という聖典の言葉もまた、(その顕現は僅かなものであったとしても)はっきりとそれが真実であり、それを深めていくことがゴールに近づくことである、ということが理解できるわけです。

神なる自分が全宇宙を満たすエネルギーである、という言葉もまた、(もちろん、そんな究極の状態にはまだ達していないわけですが)それもまた、真実であることがよくわかる、疑いがなくなるわけです。

これは盲目的に信じるということではなく、はっきりと、そうであるとわかる、という種類のものです。そうなるまでは単なるお勉強の知識で十分であると思いますし、ここに来て、はっきりと、そのお勉強の知識が真実であったことが確信でき、今後、進むべき方向性がはっきりするわけです。

この認識、この理解、このゴールを一旦認識してはっきりと納得してしまったのならば、もはや瑣末な途中の世迷い事(例えば霊能力だとか)に極端に惑わされることもなくなるように思います。

それは、薄くはあってもはっきりと認識できる種類のもので、確信があるものです。しかしながら、自分自身の今の状態とそのような究極的なゴールとの間には今世だけではとても到達できないほどの溝が存在していることもよくわかるのです。それでも、その神の意識の一部だけでも顕現できるのであれば、今世においてとても幸せなことであると思います。