ハイヤーセルフという概念は少し謎めいていて、ガイドと解釈されることもあれば、そのままの意味で高次の自己と解釈されることもあります。私の今の理解としては、最初はガイドとして自分と離れたものとして認識されるけれども、肉体および下位の次元の意識としての普通のマインドとしての顕在意識が浄化されてトラウマや穢れが取り除かれていけばやがてハイヤーセルフと肉体およびマインドも繋がって位置的にもハートに留まって合一するのだと思います。そうして合一してしまえばもはやガイドとしてではなくハイヤーセルフとが一体となって意識として存在および高次の意思を発現するようになるわけです。
ですから、ハイヤーセルフは確かに自分ではあるものの最初は別の存在、そしてそれはチャネリングだとか心の中の対話として認識され、少し離れたものとして識別されるわけです。
人によってはこのあたりのことが見分けられていなくて全て自分で、単に「自分は勘が鋭い」とか思っているだけの人も割とよくいたりしますけど、実際のところ、離れているかどうか、くっついて同一になっているかどうか、という点はスピリチュアル的にかなり重要なわけです。
最初からハイヤーセルフは自分自身だと言えばそれはそうなのですけど、かと言って、ハイヤーセルフは最初は自分と重なってはいなくて、少し離れているのです。それが割と普通の状態と言えばそうで、それでも割と普通に日常生活を送れたりしますから、そこまで支障はなくて、そのまま人生を終える人が大半のように思います。
スピリットとしての自分とハイヤーセルフは、同じといえば同じですけど、違うと言えば違うわけです。人は低次意識のマインドとしての自分と高次としての意識としてのハイヤーセルフとがあって、スピリチュアルで目指すのはその合一であるわけですけど、低次のマインドはそれ自体でも一応の意識はあって、物理的な目に見えるものに強く結びついてはいますけど、それはそれでマインドという意識が形作られているわけです。
そして、その、低次のマインドは一人歩きしますので、死後、マインドと高次の自分であるハイヤーセルフが合一している人は低次のマインドとハイヤーセルフが一体となって行動するか、あるいは、合一していない場合は高次のハイヤーセルフは自由に動き回りますけど低次のマインドが影のようにしばらく地上に残ったりします。死後に、意識が分離してしまうわけですね。この場合、低次のマインドは自分といえば自分ですけど分離してしまっているので、割と別の人になってしまった、とも言えるわけです。
生きている間、低次のマインドが中心で生きていた場合は死後もその意識のままですから、ハイヤーセルフを認識することもなかなか難しく、そもそも、そのような分離の状態のまま死んでしまうとハイヤーセルフと低次のマインドとは切り離されますから、低次のマインドはなかなか助けられることはないわけです。そのような場合に浮遊霊になったり彷徨い歩いたりすることになります。この場合、親族や縁のある人、あるいは、たまたま出会った能力者に助けられるということがあれば良いですけど、なければ、低次のマインドはしばらく地上を彷徨い歩くことになります。
そのようなことにならないよう、生きているうちにスピリチュアルに目覚めてハイヤーセルフと合一した方が良いのです。そうすれば、死後に速やかにハイヤーセルフに導かれて自由に動き回ったり縁のある人(の霊)と楽しく幸せに過ごすことができるようになりますし、そうして死後の世界すら満足すれば、やがて昇天して自分の属するグループソウルに帰還することも速やかに行えるわけです。