段階的に超意識が体験的に現れてきたとしても通常の顕在意識でそのことを自覚するには普通は数年かかると言います。ます初め、クンダリーニやらハイヤーセルフとの合一がなされたとして、そのことが何だったのか、今がどのような状態なのか把握して自覚するにはそのくらいかかるということかなと思います。(このようなことは本山博先生の著作に書いてあったように思います。)
これには納得で、数年前に胸の奥、背中の方から創造・破壊・維持の意識の表れであるいわゆる(6次元の)ハイヤーセルフと合一したわけですが、最近になって、そのハイヤーセルフの自覚が表れてきたように思います。
自覚が出てきたからといって通常の思考するマインドとしての顕在意識がなくなってしまうわけではなく、今までの思考するマインドはロウアー・セルフとして存在するわけですが、それよりも高次の意識としてのハイヤーセルフの自覚が出てくるわけです。更に高次がありますから段階として区分するならばミドル・セルフと言う方が適切かもしれませんが、中間的なセルフ、まだ個が存在しているセルフが自覚されるようになったわけです。
マインドがロウアーセルフ、ハートで繋がる創造・破壊・維持の意識がミドル・セルフ(あるいは一般的なハイヤーセルフ)だとして、ヴェーダンタでいうアートマンあるいはブラフマンの満ちている普遍意識がその上にあるわけですが、ここで言っているのは中間的なミドル・セルフ(一般的なハイヤーセルフ)としての自覚が出てきたと言うことです。
その、一般的なハイヤーセルフ(中間的なミドル・セルフ)というのは中間的ではあっても一応の高次の意識で、時空をそれなりに超えているわけです。
時空を超えているわけですから、ハイヤーセルフとしての意識としては、「しばらく地上に旅に出ていたロウアー・セルフが帰還した」という感覚で、「よく帰ってきたね。お帰りなさい」という気持ちなのです。そして、「辛い地上生活は大変だったでしょう。その記憶、体験、その想い、それがどのようなものだったのか、私(ハイヤーセルフ)に共有してはもらえませんか」そう言って、ロウアー・セルフの体験の記憶を辿りながらハイヤーセルフは追体験をするのです。そうして得られた知識はハイヤーセルフにとっての何よりの贈り物で、ロウアー・セルフの体験を貴重なものとして受け取ります。
一方、ロウアー・セルフの側としてはハイヤーセルフ(中間的なミドル・セルフ)から感謝と愛以上の愛、満ちている状態に包まれて、体のオーラが更に濃くなり十分に満たされて満足します。ロウアーセルフは、ここが帰還する場所だったのだ、ということをようやく自覚します。帰るべきところに帰ってきたのだと、はっきりとわかり、既に(故郷のような場所へ)戻ってきたのだということをはっきりと認識するわけです。
こうして、ロウアー・セルフはハイヤーセルフに体験を送り、ハイヤーセルフはロウアー・セルフに満ち足りた愛情とオーラを贈ります。実際、両者は元々は分かれてはいなかったわけですけれども地上の体験を通じて学ぶために一時的に切り離され、地上に送られたロウアー・セルフは経験を通じてやるべきことを行なっていたわけです。私の場合、今回の人生の目的としては「どうして、特定の人たち(特に貧乏人)はこんなにもひねくれているのか、理解する」「貧乏人の気持ちを理解する。お金の苦労を理解する」みたいなところがあったかと思います。それまでの人生ではほとんど体験したこともないし理解できなかったこれらの状態をハイヤーセルフは「理解したい」と願って、ロウアー・セルフに苦労する環境にて経験してもらうことでこれらの状態を理解しようとしたわけです。
今となっては、これらの状態がどうしてそうなのか、ロウアーセルフとしてそれなりに理解して満足をし、その理解をハイヤーセルフに贈り物として差し出すことで、ハイヤーセルフとしても満足を得るのです。満足して、ハイヤーセルフは贈り物としてロウアー・セルフを祝福し、オーラで包んで満ち足りた状態にしてロウアーセルフを癒します。これまでも段階的に癒しがなされてはきたものの、最終段階の癒し、本当の最後の最後のトラウマの解消というのはこの段階にならないと訪れないようにも思います。記憶、トラウマ、そのような辛い感情はロウアーセルフにとっては障害ですが、ハイヤーセルフにとっては学びであるわけです。ハイヤーセルフは、学びと記憶、トラウマをも受け取って感謝し、満足します。
こうして、ロウアー・セルフとハイヤーセルフはお互いに贈り物を送りあって、満たされてゆきます。やがて、そのまま満たされた状態になります。
この先にはまだワンネス意識(あるいはキリスト意識)であるところの(ヴェーダンタでいうところの)アートマン、ブラフマンという段階があるわけですが、それ以前ではあっても、ハイヤーセルフはロウアーセルフを光のオーラで覆って包んで癒してくれるわけです。