顕現が現れてはすぐ清らかな空間に消えてゆく

2023-02-08 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想のあり方がサハスララが開き始めて以降は随分と変化し、ありのままに留まっているだけで清らかな状態が(基本的に)保たれるようになりました。時折、顕現たるオーラの雲あるいは感情・記憶の雲が不意に現れたかと思いきや、すぐにその雲は光に包まれて透明な空間の中に消えてゆくのです。

一瞬、記憶が上がってきて体の何分の何くらいが雲のようなオーラに包まれ、記憶が少し蘇ると共に当時の感情も少し蘇るのですが、それはすぐに、光たるオーラに包まれてすぐに透明な空間(それは光ということでもあるのですが)に消えてゆくのです。それは早くて3秒、長くても10秒くらいでしょうか。それは、かなり昔であればトラウマとして30秒あるいは数分、はたまた、当時のことを思えばその時は何日も何週間も悩んだであろうトラウマではあるのですが、こうして、その記憶が蘇ってきても、ただ、ありのままに留まっているだけで、自然に光の中にその記憶たるオーラは消えてゆくのです。

それは、流派によっては、自然に自己解脱する状態、とも表現されていたように思います。その流派を特別に勉強したわけではありませんが、書物を読む限り、ゾクチェンで「自然に自らを解放する」という「ランドル」と呼ばれている状態に酷似しています。

森に火が広がっていくようだと言われる。主体の感覚は自然に静まっていき、修行者は原初的な知恵を経験する。対象が生じると同時に、それがみずからの空性の境地と同じく、空であることを認識するのである。「虹と水晶(ナムカイ ノルブ 著)」

これは、文字通り読むと「空であることを(空でない具体的な物体・対象に対して)認識する」と読めるかもしれませんし、私も今までのそのように解釈していましたけど、どうやら、そうではなく、対照(仏教で言うところの色、しき、ルーパ)としての具体的な観念が生じてもそれがすぐに自動的に自然に消えて空性に溶け込んでゆく状態になることで変容を直接的に認識し、具体的な対象の観念(それは仏教で言えば色、と言うことですが)が空と同じであることをまざまざと心の中でありのままに見届けることを言っているのではないかと思うのです。