プルシャの次元での目覚め

2023-02-24 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

本山博先生の説明に基づきますと、私の状態はプルシャの目覚めが始まって、ようやく自覚が始まってきたばかりの段階と言えるように思います。本山博先生が著作で述べられているところには、体験があったとしてもそれが何なのか自覚をするには時間がかかり、仏陀もおそらく何十年かけて自覚を深めただろうし、普通は最初の自覚に至るまで数年はかかる、と言います。

であれば、2年前にアナハタで創造・破壊・維持の神意識と繋がってから(最低限の)自覚に至るまで時間がかかったというのも割と普通ということと言えるかもしれません。

この段階で、まず最初に「魔」と対峙すると言います(本山博著作集8のP281)。魔そのものではないですが似たようなものとして、二年前に創造・破壊・維持の神意識が、文字通り神の「満ちている」感と同時に何でも破壊できるほどの強い創造性をも兼ね備えていて畏敬の念と多少の恐怖をも感じたのですが、その時のことに該当すると解釈することもできるように思います。

法雲三昧はヨーガ・スートラでダルマ・メガ・サマーディとかいう名前でも呼ばれていたかと思いますが、要は光に包まれたり光が飛び込んでくる体験のことです。これは、割と最近に似たようなことが起こりましたが、そのものかどうかは確定しておりません。

同書によれば、最初は意識がなくなってトランスになったりするが、1〜2年のうちに意識がなくならなくてもそういう力が入ってくるようになる、と言います。そして、意識を保ったまま法雲三昧ができるようになったら、それはプルシャの状態に目覚めている時だと言います。そして、それが超意識であって、周囲のことや過去や未来が見通せるようになると言います。

そして、本山先生の基準でいえば、ここの段階が、悟りの最初の一番最初、一番下の悟りであると言います。

私の場合、まだ法雲三昧が少し前に始まったくらいでまだプルシャにきちんと目覚めたとは言えないまでも、あとは時間の問題かな、という気もいたします。

本山博先生の記述によれば、プルシャの目覚めは「自分」という感覚が残っているうちは起こらないと言います。
又、プルシャとの合一は、サハスララが目覚めないと起きない、とも言います。
それに、神霊は「ものすごい力で入ってくる」と言います。

このあたり、なかなか、私の状態に類似していて、プルシャの目覚めであるところの、最初の段階の一番低い悟りの段階にそろそろ至るかな、とも思うのですが、どうでしょうか。まあ、こういうのは期待はずれや思い違いということも多いお話ですので、あまり期待せずに観察してゆきます。

本山博先生によれば、プルシャが目覚めると、「過去・現在・未来のことが渾然一体となった世界をみることができる」と言いますので、この点、私が子供のころに幽体離脱した時に確認した「悟りの状態」とも一致します。