先日、サハスララから空気のようなものがヴィシュッダ経由で胸のアナハタより下に充満すると書きましたけど、このあたり、本山博先生の著作集5に解説があります。
・空気のように感じるのは、カラーナ以上のもの。
・一方、アストラルの次元であれば水のようなものとして感じる。
実のところ私はサハスララから水のようなもののしたたりを感じたことはなく、いきなり最初から空気のような感じでエネルギーというか力というか強い薄い透明なオーラが降りてくるようになったのですが、それはおそらく私の場合はアストラルの次元でも最近までサハスララが開いていなくて、最近になって一気にいくつかの段階でサハスララを開いたので空気のようなものがいきなり出てきたのかなと思います。
人によってはクンダリーニ覚醒時にアストラル次元でサハスララまで一気に開くようですけど、私の場合、なかなか開かなかったように思います。
水がしたたり落ちる場合はアストラル次元での体験で、その場合、ヴィシュッダが十分に目覚めていればヴィシュッダは浄化のチャクラですからそのエネルギーを活用できますが、ヴィシュッダが動いていない場合はそれは毒となってしまい、短命になってしまったりするようです。このあたり、ハタヨガ系の聖典にも似たようなことが書かれていて、アムリタは元々は毒であり、ヴィシュッダで浄化をすればそれはまさしくアムリタ(甘露)として長寿の薬となるが、ヴィシュッダが目覚めていない場合は毒になる、と書かれています。アユールベーダにも似たような表現があったかと思います。
そう思えば、むしろ、サハスララが最近まで開かなったのは不幸中の幸いと言いますか、むしろ、そんな危険なものは安全になるまで開かない方が良いのではと思います。今は割と空気のようなエネルギーが降りてくるだけですし体の活力も満ちて睡眠時間も減って特に危険なことはなく、良い状態であるように思えます。
私が子供の頃に幽体離脱して人生を俯瞰したときのことを思い出すと、たしか、最初のクンダリーニと言いますかむしろイダとピンガラの覚醒の時に、ある意味、手加減をすることでサハスララを突き破らずに、光の線が腰のあたりから2つ真っ直ぐ上がって、頭蓋骨にコツンと両方とも当たって、頭蓋骨のところ、サハスララを開かないくらいに手加減して最初のクンダリーニを覚醒させたように思います。これは確か、明確な意図を持ってやっていて、力の入れ具合が抜群だったように思います。これを力いっぱいしてサハスララを(気の次元あるいはアストラルの次元)で開いてしまうと色々な存在が入り込みやすくなってきてしまったり、先に書いたように水のようなアムリタが降りてくるようになってくるがそれはヴィシュッダが目覚めていない状態では毒ですので超能力は出るかもしれないが短命に終わったりマニプラ等に負担をかけるようになったり、とにかく、早すぎるサハスララの覚醒はあまり良いことにはならないようでした。これはそんな気がしただけで他の人もそうなのかはわかりませんし、それに加えて、私の場合、スピリチュアルの階梯を一つづつ確かめるという目的もありましたので、そのような危険性だけでなく、一気に進んでしまうと階梯の確かめがしにくいためにまずは手加減をしたのでした。
ですが、そのような階梯の確かめもひと段落して、だいたいのところで主だった謎は解けたように思いますので、もう、手加減しなくてもいい時期になってきたように思います。
そうは言いましても私の場合はサハスララはまだ安定していなくて、これからのように思います。