プルシャが凄い力でサハスララから流入した後、1週間くらいでオーラが安定してきました。概ね3日ほどは少し振動を繰り返す感じでしたが、5日を超えたくらいから安定して、元々の私という意識は新しいプルシャに吸収、融合されてしまい、元々の私という意識はほとんど見分けがつかなくなって、新しい私という意識にかなりの部分が置き換わる、あるいは、融合して一体になって安定してきたように思います。
世の中の宗教やスピリチュアルで再誕生あるいは復活のようなことをテーマにしているところは時々あって、それは主に儀式として扱われていたりしますけど、儀式は儀式であるのでしょうけどそれはあくまでもシンボル的なもので、実際に変容することのできる儀式はあまりないのかなとも思います。
今回のようなことは、儀式の時に明確にそれが起こるとは思えなくて、タイミングというのは(肉体を持つ方が決めるのではなくて)プルシャの方が決めますから、プルシャが入ってくるタイミングが儀式の時、というのは考えにくいように思うのです。儀式はあくまでも準備でしかなくて、あるいは、団体としての体を整えるための、ステータスを与えるためのものという意味合いが強く、本当のスピリチュアルな体験に団体とか儀式とかはそれほど必要ないのではないかと思います。
プルシャの流入は普通の普段の瞑想をいつも通りに行なっていたら起きたものですし、違いと言えばサハスララが以前よりも開いていた、というくらいですので、儀式とかはしていません。
イメージとしては、漫画ドラゴンボールでピッコロが神様と合体した時に「もう神でもピッコロでもない」みたいなセリフを言ったかと思いますが、そのような感じに似ております。
海外のスピリチュアルでは「ウォークイン」という現象もよく知られていて、宇宙の魂などが体に入ってくる、あるいは、入れ替わる、みたいなことを意味しております。
今わかるのは、別にこれは宇宙の魂に限らなくて、ヨーガではプルシャとの合一と言われていたりヴェーダンタではアートマンを胸の内に抱くと言われていたり、キリスト教では三位一体と言っていたり、神道では神人一体で鎮魂帰神とか鎮霊(みたましずめ)あるいは振魂(ふるたま)も似たことを意味し、密教でも光明を自らの内に抱く、としていて、スピリチュアルではハイヤーセルフとの合一だとかウォークインだとか言われているわけで、言い方は違えども、いずれも同じようなことを言っているのだと思われます。
どれも共通しているのは、肉体としての「器」がある程度まで純化されたら高次の存在あるいは神霊(プルシャ)が降りてきて神人一体となる、という点なわけで、そうなると、肉体を持った三次元の私という存在がベースになって、高次と繋がるわけです。(繋がる、と言うと線のようなものをイメージしてしまうかもしれませんけど)線ではなくて、球として自分を中心として放射状に繋がります。高次と肉体としての自分が離れていて線で繋がる、というのは割と初期段階で、そういう、線で繋がっているような、時折繋がるという感じの段階もありますけど、ここで言っているようなプルシャとの合一の段階のことは、三次元の肉体の私と高次の私(プルシャ)とが合一して三位一体とも言える状態になるわけで、そうなると、「重なっている」わけです。重なっているわけですから「線で繋がる」という状態ではなくて、球状に、放射状に高次に広がるわけです。
そのような状態になると、かつての三次元としての私だけではないし、はたまた、純粋な高次のプルシャだけでもない、どちらでもなくなるわけです。それが合一ということであって、どちらの私からしても以前とは違う存在になって、合一された存在として、根本から変容した(新たな)私としての存在に「生まれ変わる」と比喩的に言っても感覚的にはそう間違いではない状態になるわけです。
一応、覚醒あるいは悟りの一番最初の段階、一番低い段階の悟りに達した、と言っても良いのではないかと思います。
とは言いましても、このようなことを公言しても一般的には「誇大妄想狂」だとか「頭がおかしい」とか思われるだけでメリットがないばかりか誹謗中傷の対象になりかねませんので、今後、このようなことはあまり明言しないようにするつもりではあります。(状況次第ではありますが)