瞑想をしていても、ここ数日は少し詰まった感じでどこか調子が全開とはいきませんでした。上のサハスララにきちんと開くでもなく、頭の中がきちんと脈拍を打って緩み切っているわけでもなく、少しばかり段階が後戻りしてしまったような状態でした。
そこで、再度きちんと瞑想をして、少し固まってしまった頭の中を再度全体的に緩めたところ、ここ最近で一旦は緩めているので少し固まってしまっていたとしても再度緩めるにはさほど時間はかからなくて、前頭葉が再度固まり気味だったものをミシミシとピキッという感覚になるまでケチャリ・ムドラもしつつ緩めたり、はたまた後頭部の上のつむじのあたりが再度固くなっていましたのでケチャリ・ムドラで舌をその辺りに向けて緩めたり、頭の中心の付近も固くなっていたものを再度緩めたりしていました。
少し後戻りしたような気もしましたが、きちんと瞑想をすれば問題ないようです。
そうして、5日ほど前から固まり気味だったものを再度回復させ、ここ2日ほどは割と緩めた状態に戻ってきてはいたものの、上記のように、まだ、どこか、きちんとサハスララが開くでもない、中途半端な状態だったように思います。
そうして瞑想をしていたところ、どちらにせよ以前から頭の中心部分はまだ完全に緩んではいなかったのですけど、頭の中心部分の「殻」らしきものがバキッと割れるような感覚がして、それ自体は何度か以前も起きていたわけですけど、今度もまた、同じような感覚と共に、頭が左右へとそれぞれ開くような感覚になったわけです。
この感覚、以前もあったわけですけど、以前はしばらくするとまた固くなってしまっていて、と言いますのも、思うに、ちょっと頭の中に力が入ってしまっていたのではないかと思うのです。その点を気をつけて、最近は力を入れないように、しかしながら意識だけを合わせるようにしたのですけれども、そうして意識だけ集中する瞑想をしていたところ、急に緩んだわけです。
最初、眉間のあたりで前方から頭の中心に向かって押されているような感覚があって、それに対して抵抗せずに意識だけを集中していたところ、頭の中心部でバキッという音と共に、もしかしたら背骨の先の頭の中の辺りが元々少しずれていたのかなんなのか、首元から頭の中心部にかけて急にエネルギーが満ちてきたのです。そして、そのエネルギーは頭の中心を通って頭頂部へと向かいました。そして、頭の中心の少し上の辺りで脈拍が鼓動しているのを感じるようになりました。この部分、頭の中心の周辺部、主に頭の中心の上側から頭頂部よりちょっとしたのあたりまでは今まで緩んでいなかった場所で、その部分にもようやく脈拍の鼓動が現れて、きちんと緩んだように思います。
そして、今まで一応は緩んだけれども少し鼓動が弱くなっていた前頭葉と頭頂部と後頭部にも再度脈拍の鼓動が強く感じられるようになりました。
▪️目が少し開け、頭の中が筋肉痛のような感じになる
この状態で鏡を見てみたところ、ここしばらく「目」がしっかり開いていなくて寝ぼけた感じだったのが、少しだけ(物理的な)目が開いた感じです。顔の前面が、以前は無表情に近かったものが、少しだけ動きが出たように思います。今までは割と糖尿病の後遺症あるいは軽い症状のような感じで顔もぼやけて元気がない感じだったものが、ようやく「普通」になってきたのかな、という気が致します。子供の頃から抑圧された生活を送ってきて、精神的にはここ数年で随分と自由になったわけですけれども、ようやく体の方も自由になり始めたのかなと思います。
顔の表情は若い頃は本当に酷くて、病人のような顔をしていたと思います。それは精神的なものと糖尿病との複合的な症状だったかなと今では思うわけですけど、最近になってかなり改善されてきたとはいえ、まだその後遺症は残っていたわけです。周囲を見ると私のように寝ぼけた顔をしている人はほとんどいないため、みんなどうしてそんなに元気なのかと私は常々思っていたわけですけど、最近になって元気になってきたとはいえ、ここしばらくのように調子を崩すと目元もかなりぼやけた感じになってしまっていたわけです。それがようやく「普通」になったところで大した変化ではないのかなと思われるかもしれませんが、私にとっては大きな変化なわけです。もしかしたら、これはただ単に「ようやく糖尿病から回復しかけた」ということだけの可能性もあって、それも多少は関係していると思いますけど、おそらくは、それだけでなく、瞑想の効果も大きいように思います。
おそらく、今までは頭の中心部のエネルギー(オーラ)がきちんとは通っていなくて、頭の各所に多少通っていた状態で頭の周辺部がそれなりに活性化されてきたとはいえ頭の中心部が詰まっているとなかなか全体にエネルギーが行き渡らなくて、頭の中心部がそれなりに詰まってしまうとここ5日間のように不調になってしまうのかな、という気が致します。
であれば、今後、気をつけるべきはこの頭の中心部が詰まらないように気をつけることかな、と思います。
この状態で、頭の中心にある部分は何やら「皮がむけた状態」あるいは「殻が破れた状態」で、おそらく、頭の中心部はきちんとまだ動いたいないように思います。
とは言いましても、頭の周辺部が一通り緩んで脈拍の鼓動が現れましたので、頭の中心部まできちっと緩んで活性化されるのも時間の問題かなとも思います。
▪️まだ頭の中に硬いところがあるので瞑想で緩めてゆく
・・・翌朝、起きてみたら、頭の中が筋肉痛のような感じになっていました。実のところこのような感覚はあまりしたことがないため、何と言ったら良いのか、筋肉痛というのが適切なのか、よくわからないのです。痛くはないので頭痛というのも表現として適切ではないですし、傷跡というほど痛いわけでもありません。傷が治って瘡蓋になってほとんど治ってはいるけれども何か感触がある、という感覚に近いと言えば近いですが、そのものというわけではありません。単に頭の中心で圧力があって、広がろうとしているけれども壁に阻まれてうまく動けずに筋肉が疲れて筋肉痛、という感じになっているのかもしれません。
ざっくばらんに平たく言えば頭痛、ということなのかもしれませんけど、このような不思議な頭の中の「圧力」の「押されている感じ」は、頭痛というのも不適切なわけです。
今まで使っていなかった頭の中心部分が急に動き出したため、今まで使っていなかった部分が急に動いたので筋肉痛っぽくなっているのかもしれません。同じようなことが先日に下顎でも起こりましたが、筋肉痛のような感じは少し経てば治りましたので時間の問題かなと思います。
以前、バキッと鳴って左右に緩むようになった時はまだ頭の中央より少し上の部分における脈拍の鼓動はなくて、今回も同じようにバキッと鳴って更に緩んだわけですが、今回は脈拍の鼓動があった、という違いがあります。
この後にまた瞑想をしたらまだ頭の中心部分でミシミシ、バリバリ、という感覚がありますので、これで終わりではないようです。
頭の中心部分のかさぶたが剥がれる、あるいは、殻が割れてきたような感覚があって、それでも完全には割れて緩んではいないようですので、細かな部分に対して意識を集中して緩めて、それに加えてケチャリ・ムドラをしながら細かいところを緩めていきます。
注意点としてはやはり、瞑想の基本でもある、意識は集中するけれども力は入れない、という昔からの言い伝えがここに来ても大切なのだなと思います。意識を合わせると緩むけれども、その一方で、少しずつ力が入ってきてしまいますので時折その力をリセットして緩ませてあげる必要があります。
ヨーガやスピリチュアルあるいは魔術系などで共通して使われているテクニックとして、緊張と弛緩、という方法があって、これは簡単なことで、少し意図的に力を入れてあげてから緩める、ということをします。この場合は頭の中ですけど、意識的に頭の中にちょっと力を入れてからすぐに力を抜くことで緊張を緩めることができます。ついつい力が入ってきてしまっている時、意図的に少し力を入れてあげて、そして、すぐに緩めることで力を抜くことができるわけです。
そうして、瞑想の基本である、意識は集中し、力は入れない、という状態を保つことができます。
この、力を入れていない状態において意識を(頭の眉間などに)集中すれば頭の中が更に緩みやすいように思います。