ここ3日ほど、現実の現象のベースは一致しているものの感情面で現実と食い違っている過去の記憶が蘇ってきて思春期のような感じやすい心の状態になって涙もろくなっていたのですけど、いい年して何をしているのかと自分で自分のメンタルの涙脆さを不思議がっていました。おそらく、これを乗り越えるのに失敗して現実ではない感情のフラッシュバックに飲み込まれてしまうと「現実をもう一度やり直し」なのではないかと思うのです。「そういう設定」の状態にまで過去まで巻き戻されて、意識がその時点になって、数十年前からまた苦しいメンタル不調をやり直すことになっていたようなのです。そこまで教えられて、「いやいや、それは勘弁してください・・・」ということもあって、魔境に何日も耐えた後、やがて心は決まり、目が覚めて、「そんな大変な思いをするより、この魔境を乗り越える方が余程楽なことでしょう」と思ってある程度まで乗り越えて今に至ります。これはいわゆる通過儀礼で、もし通過に失敗してしまうと「あぁ、あの子に悪いことをした。もう一度、やり直したい。謝りたい。今度はうまく良い関係になりたい」という願いが確定し、時間が巻き戻され、あの辛いメンタル不調な時代から何十年と別のタイムラインでやり直さなくてはいけなくなるようなのです。そういえばエリザベス・ハイチの「イニシエーション」で似たようなお話を読んだように思います。
これは呪いのようなもので、悪魔が、現実を受け入れられなくてやり直したいと思っている者の願いを叶える、ということをしているように思うのです。その役割だけを見ると悪魔なのか天使なのかもわからず、単なる、そういう時の管理者というだけなのかもしれませんが、流派によっては悪魔とも言われている存在が行く手を阻んで人生をやり直しさせようと狙っているようなのです。これは魔境です。
この魔境を克服するために、瞑想をして、何度も何度も、思春期のような感傷的な感情を無視してアジナやサハスララに集中しました。アジナやサハスララが開いていない状態ではアナハタで感情面が湧き出ていて、思春期の甘い切ない、決して実らない焦がれる恋心が(いい歳して)数十年前の記憶としてフラッシュバックしてくるのです。
たまにはこういう感情も悪くはなくて、せっかくですから数日くらいは十分に楽しみましたけど、そもそもこの映像の相手とはそういう関係ではありませんでしたのでただの妄想でしかなくて、悪魔にはそろそろ退散してもらう時期かなと思います。
アジナが活性化され、サハスララが多少は開いた状態において、そのような悪魔の作り出したフラッシュバックな感情は急に晴れて安らかになってゆきます。まだアジナもサハスララも私は不安定ですので多少の影響はありますけど8割は克服したようで、山は超えたように思います。たまにはこういう懐かしい思春期の思いも良いですけど、それにしても、まさか今さらそんな思いをするなんて予想外で、ちょっと面白くもありました。ですが、いつまでも懐かしがっていても仕方がなく、これは現実ではない、ということを確かめてからフラッシュバックの魔境を克服するのです。
ブッダは魔境において美しい女性の誘惑を受けた、などと言いますけど、私の場合、当時私がそこまで仲良くなかった子が何故か物凄く魅力的な演出になっていて、その子と何故かロミオとジュリエットあるいは身分違いの恋かのような設定になっていて、確かにその子はT大生で私はそこらの大学生でしたから身分違いと言えばそうですし当時は少し引いていたのも確かですけど、かといって、ロミオとジュリエットに見立てるのは設定としてやり過ぎなのではないか思うのです。悪魔も、魔境で演出してシナリオ作るにしても、もっと、尤もらしいシナリオの作り方があったかと思うのですけど、感情的な誘惑は真に迫っていて、しかも、「贖罪」の感情と演出も組み込まれていて、「贖罪するためには私はもっと積極的にアプローチして彼女を幸せにしてあげなくてはいけなかった。ほらみろ、貴方がしっかり幸せにしてあげなかったから、彼女はその後も恋愛に失敗して、未だに独身で落ち込んでいる」とか悪魔による説教と解説がされて少し取り込まれそうになるわけですけど、ふと我に帰って、「いやいや、その後、どうしているかなんて知らないし・・・」そもそも、数十年の間ほとんど思い出すことすらなかったほど、ほぼ完全に忘れていましたし。それに、感情面で「あれ。そうだったっけ?」と疑問もあり、「あれ。この子と私はそんな関係じゃなかったのにな? どういうことでしょう? そもそも、全くと言って良いほど失恋の感情はなかった筈。単に合わなかったというだけだった筈。気は合った時はあったけど、そもそも恋愛の状態にまでなっていないし。当時疲れていたのはこれが原因ではなくてそもそもメンタル不調だったのが理由」と思って、冷静になって考えてみると色々とおかしくて、それでも、悪魔というのは力がありますから、延々と「悲劇の2人」の演出が繰り返されて、「あの子を貴方が助けなければならないのだ」と説得して感情的な渦を作り出してその気にさせてきますけど、私の方はというと「そんな数十年前の事なんて知らないしな・・・」「そんなこと今さら言われても、あの子がどこでどうしているかも知らないし」と思うのですが悪魔は負けじと説得してきて「いやいや、偶然にも会うことはある。俺が会わせてやる。」とか言い出してその子の映像を見せて、「ほら見ろ。一軒家に両親と住んでるこの子はデートに気合い入れて行くけど2回目以降はほとんど誘われなくて、打ちひしがれているぞ」とか、昼ドラみたいなことを悪魔は言ってきます。本当ですか? 適当に映像を作ってそう言っていのではないですかね。実際のその子はとても元気にしていて私のことなんて忘れている可能性の方が遥かに高いですよ。女性は何回かしか会ったことがない男のことなんて覚えていないのが普通かと思います。こんなの、悪魔というよりは3流のシナリオライターでしょう・・・。昔ならともかく、今の、多種多様なドラマが世の中に出回っているこの状況ではこのくらいでは通用しません・・・。悪魔も残念ですね。何から何までおかしすぎます。女をずっと忘れられない男もたまにはいますけどね。たまには昼メロも良いですけどシナリオに白けます。
少し前にヨーガの瞑想で頭がクリアになり、頭の中が活性化して頭の回転が少しは良くなった気がしていました。ですので、T大生はきっと最初からこんな感じかこれ以上に頭の回転が良いのだろうな、などとその頃から思っていましたのでその関連で昔の記憶が蘇ってきて、それが「素材」として使われて魔境になっただけかもしれません。どちらにせよこの感情は古いエネルギーで、将来に活かせるお話ではありませんね。こんな当時のイメージなんて関係なくて、今はどこかの見知らぬ普通の中年の素敵なお姉様になっていると思います。そんなものです。美化しすぎです。今更会ってもその子だと判別できないかもしれないですし、会う必要もないですし、向こうは私のことなんてほぼ100%忘れていると思います。ですので、今更どうしようもなく、ただ単に、思考の為の素材でしかなかったわけです。そう思うのが適当だと思うわけです。
たまには昔の失恋を思い出すこともありますけど、この場合は、当時はそもそも失恋にすらなっていなくて、どちらかというと私の方が先に冷めてしまって相手にごめんなさい、という感じでしたし、今回映像で魅せられた内容とはそもそもの話が違っていますからね。単なる演出だと思います。私、恋愛に冷めやすかったんです。ほんと、相手に申し訳ないです。相当に酷く悲しませてしまった人がぼちぼちいます。その罪滅ぼしと慰めのためにお友達関係で仲良しを続けるくらいならいいですけど、今回のフラッシュバックは前提が現実と違っていますからね。(あ、でも、また新たに思い出したことに基づくと、また違った理解が・・・。これは後のお話に続くのです。)
このことで久々にハートのところが壊れた感じに数日間なっていましたけど、冷静になって、きちんと瞑想したらハートが修復されていきました。
スピリチュアルだけでなく小説の物語でも自分の精神から作り出した分身が自分を誘惑する、惑わす、ということはよく言われていて、似たようなことは前にも何度もあったわけですけど、久々に凝った演出を見せられました。
それに、元々私はオーラが開き気味で、いわゆる霊障で、周囲の恋愛感情までも拾ってしまって他人の恋愛を自分のことのように勘違いしてしまうこともありましたので、まあ、こんな感じのことも気のせいなんだと思います。他人のことなのに嫉妬とか失恋の感情を拾ってしまって、関係ないのに勝手に傷ついたり喜んだり好きのような感情が湧き上がったりしていて、ここに来てアストラル感覚が再度開いたら、また昔のような状態に戻ってきたような気が致します。今度は昔のように何でもかんでも無意識に拾うことはせずにきちんと判断する必要性を感じています。
魔境については本山博先生の「超意識への飛躍」などに解説があって、アストラル次元の部分的な合一が魔境と解説されています。まあ、私はせいぜいアストラル次元くらいにしか到達していない、ということだと思います。無意識の面ではサハスララからプルシャ(神霊)が入ってきたとはいえ、顕在意識で認識できるのはせいぜいアストラル次元くらいだ、と解釈しています。であれば、普通に捉えれば、私の段階は、アストラル次元が主、ということでしょう。こういうのは全ての人がアストラル次元だけでもなくカーラナもプルシャも持っていて、ですが、どれが主として動いているかの違いがあるということだと思います。
本山博先生の解説によると、魔境の場合は一応は部分的なアストラルな合一がなされているので、見えたものが現実と合一している、完全に物体や見た目では同じではないにせよ、意味として合一している、と言います。この点、私も納得することがあって、確かに、子供の頃に幽体離脱でこの相手の女の子の(その時点での)将来を確認したら、確かに恋愛下手で物事をはっきりと言いすぎて男に好かれず、頭の回転が良いものだから早口で言うので癒しを求めている男から恋愛対象に見られていないようでした。ちょっと工夫してゆっくり話したり、はっきり言わずにほのめかす言い方をすれば良いのに、自分はほのめかしてるつもりなのに、その、ほのめかし、それ自体をハッキリと早口で言うものだからほのめかしになっていない、でも、自分は頭の回転が早いのでそれに気が付かない、という、面白い状況で恋愛下手になっていて数回以降はデートに誘われず、それなりの年になるまで恋愛がうまくいかなくて打ちのめされている感じでした。まあ、これはその時点で見たものですので本当にそうなったのかどうかはわかりませんけど、ふとこのことを思い出して、そういえば、悪魔が言っていたことと同じだなぁ・・・ と思いましたので、一応、この子の将来はそうなる可能性が高いのかなと思います。同じ食事会に来ていた他の2人の背の低いT大生の子は3年生か4年生の時に堅実な男を見つけてしっかり結婚するみたいでしたけど、今回の昼メロもどきの主役のこの悲劇のヒロインは結婚できない、という役回りのようでした。実のところ、このような幽体離脱あるいは悪魔に言われた内容を現実世界と付き合わせて確認できると一番良いのです。このくらいですと合致率は大抵は低くて、良くても30%とか50%で、せいぜい10%も当たれば良い方で、全然当たっていないこともあります。そのくらいの合致率が普通なわけです。ですから、こういう記憶や悪魔の映像があったからと言って、本気にする気はそこまでないわけです。何回も何回も違う角度で見えて初めて本当かもしれない、と思い始めるくらいです。