没頭型で感情を完全に体験しつつ観照する

2023-04-29 記
トピック:スピリチュアル: 回想録

演劇の世界ではどうやら、役に没頭するのかそれとも典型的に役を演じれば良いのか、ということが話題になるらしく、日本では長らく没頭型が主流で教えられてはきたものの典型的が正しいみたいなお話があって、私の場合は演劇ではないですけど、演劇のこの種の考え方というのは精神を理解する上でも示唆に富んでいて、ここで言う没頭型こそが完全なる感情の状態でもように思うわけです。これはどういうことかと言いますと、我を忘れるような没頭型ということではなく、観照のある状態での完全なる感情への没頭、とでも言える状態こそが完全なる感情なのではないかと思うわけです。役者であればその両方であるわけですし、(現実世界で感情は意図的に起こすものではなくて勝手に起こるものですので典型型とかは関係ないですけど)没頭型としては、現実においてその感情に我を忘れて没頭するのかあるいは飲まれずに感情を完全に経験しつつ観照して理解するのか、という違いがあるわけです。

この段階に来るまではこの完全な感情というものは不可能で、感情を表現しても感情に振り回されて不完全な感情でいることが多かったように思います。それ故に瞑想をして静寂を保ったり無心になったり、ということをして高みを目指してきたつもりではありましたけど、どうやら、そのような静寂とか無心というのは、所詮は、この「完全なる感情」のための一要素に過ぎなかったのではないか、という気がしてきました。

そして、そのことを気づかせるために、私のガイドは意図して、あり得ないような、過去の現実とは乖離したロミオとジュリエットの物語を演出させてまでも「完全なる感情」を理解させようとしたのではないかと思うのです。

となれば、ここですべきなのは、完全なる感情を各種の感情で体現することなのかなと思います。無心になることは基礎で、静寂も基礎で、その基礎は瞑想で育てることができて、その上に、完全なる感情を体現させてゆくのが次のステップのようにも思います。

今回は現実とは乖離した物語だったことで気付きやすい状態でしたがこれからは現実の過去の事象が題材になると思われるので難易度が上がりそうな気も致します。過去の不完全な感情をこれからおそらくいくつも思い返して、かつてはトラウマ級だった出来事も含めて古いエネルギーを再現し、それらは不完全な感情でしたから、今の感覚でそれらを完全なる感情へと昇華することでそれらは解消してゆくように思います。

過去のトラウマ級の出来事も、胸の内に「壊れた感情」として一旦は再現され、やがて、それらの壊れた感情はやがて完全なる感情へと昇華します。そのために瞑想をして、ひとつづつ古いエネルギーを完全なるものへと置き換えてゆきます。