不完全な感情を完全な感情へと昇華する

2023-04-29 記
トピック:スピリチュアル: 回想録

トラウマや葛藤というと、今までは、それを解消する、無くすことを第一に考えていたように思います。トラウマという状態がある、だからトラウマを無くす必要がある。あるいは、葛藤がある、だから葛藤を無くす必要がある、というところを目指していて、それと同時に癒すということも意図していたわけですけど、傷ついた部分を修復するためのやり方が時間のかかるもので、「切り離す」という種類のものがほとんどだったように思います。それ故に、関係性も「離れる」という事象に結びつくことが多かったのです。

一方、ここに来て思うことは、アストラルな階層におけるトラウマや葛藤は無くすというよりは、それは不完全な感情であって、完全なる感情へと修復すれば良いのです。不完全な感情はどこかが欠けていて、壊れた水晶球のようなものなのです。そして、その壊れた水晶球を完全なるものへと修復すれば良いのです。

今までも、瞑想で集中をして(葛藤の雑念状態から)静寂を目指す、というのは基本的に同じことを意図していたように今更ながら思うのです。それは心の動きに着目していればそうなりますけど、同じ現象をエネルギーとして着目するならば、壊れたような不完全なオーラの揺らぎの状態から完全なる円状の壊れていないオーラ状態に戻せば感情的な問題は解決するのです。

完全なる感情の状態になるということは、感情そのものになる、と言ってしまうと語弊がありますけど、感情そのものを完全に体験しつつもそれに飲み込まれない、感情そのものを味わい尽くす一方で調和もある状態、それが完全なる感情の状態かなと比喩として思うわけです。

瞑想では、静寂とか、雑念をなくす、というところを目指しがちで、ひとまずの目標地点としてはそれで正しいとは思うのですけど、静寂になって感情を無くして無心になったところで、それは一時的な状態に過ぎないわけです。ヴィパッサナー瞑想あるいはヴェーダンタを勉強している人が「心を無くしてしまって、それでどうするというのだ」とよく言いますけど、それは、この段階に来るとそれは正しいわけです。まず基礎として静寂や無心があって、その上に、きちんと心の動きというものがあるわけです。