そういえば子供の頃のテレパスはこんな感じだった

2023-05-06 記
トピック:スピリチュアル: 回想録

ずっと忘れていましたけど、ここ最近になって、アジナからヴィシュッダ、そしてアナハタまでスシュムナにエネルギー(プラーナ)が満ち始めてからアナハタで感じる「感情」は、今となっては懐かしい、子供の頃に感じていた、テレパスの感覚でした。相手の思っていることを直感で感じて、察していたわけです。

普通の感情ならばまだしも、子供の頃はというと周囲の同級生からの怒りや嫉妬あるいは恨みあるいは嘲笑いの感情を常日頃から受けていましたので、テレパスの感じる力が長らく壊れてしまっていたように思うのです。

最初に心が壊れ出したのが幼児の頃で、父方の祖父・祖母の私に対する蔑みの見下した態度とイライラの気持ちに加えて一定度のかわいがりをしている意識がテレパスで伝わってきて、多少は癒されると同時に心が痛んでおりました。どうして孫にそんな態度が取れるのか謎ですけど、他の子供(娘)の孫にはものすごい笑顔で接していましたので、私の方の兄弟にだけ変な態度を取る祖父と祖母でした。まあ、祖母の方はそれなりに可愛がってはくれましたが私にお金を使うのが嫌だったらしく、実は裏で私の母に電話して「これだけお金を使ったよ」と言って、金額を請求していたようです。そんな祖母なんて、よそで聞いたことないです。孫にお金を使いたくない祖母ですけど、私に対する態度は割と普通だったように思います。その実で娘にはどんどんお金をあげていたようでした。今思えば異常な父方の祖母と祖父です。これは、あのような捻くれた人はどうして捻くれているのか、理解する良い教材になりました。結局、自己の捻くれた心を他者に投影しているからそう言う酷い態度を他人に対して取れるわけです。今から思えば、その祖父と祖母の別の孫たちは私の兄弟に対して見下した態度を取っていたように思います。父方の家系は割と捻くれている嘘つきが多かったように思います。

父も母も人並みに愛してくれたとは思いますが二人ともモラハラで、特に父は急にキレるので常に意見を聞いてその通りにしないといけないような環境で、母といえば色々と私に自分に決めさせるかのような体を取るけれども結局は自分たちの思い通りでないと不機嫌になってイライラし始めるので従わざるを得ず、常に両親の顔色を伺うようになってしまい、家畜のような精神状態だったように思います。なんとなれば私の頭をバンバン何度もヒステリーに叩いて、時にはそれを外で行い、他のお母さんが見ている前でやって同級生の親たちの間で噂になってしまいました。母親は「この子は反抗期もなくて大人しい、いい子だねえ」とか言っていましたけど、私の心はその頃には既に壊れていたと言えます。なるべく考えないようにして、心ここにあらずという状態でなんとなくの笑顔を作っていると母親は「この子はいつもぼおーっとしているねえ」と言っていましたが、心がここにあると急に前触れなく母親も父親もキレてくるので、心がここにあると危険なので常時心はここにあらず、という、ぼうっとした状態で生活していたのです。そうしていると母親も父親も私のことを「大人しくていい子」と思っていたらしくそれなりの愛情を注いでくれましたが、そんなことをしていたら、いつの間にか、虐げられるのと愛着とが感情で結びついてしまいました。愛情というものが虐待と結びついてしまったのです。特に若い頃は、何かと指示してくるような性格の悪いS系の女しか好きになれず、わかっていつつも、捻じ曲がった愛情でしか人を愛せない状態だったように思います。頭でどう考えてもあちらの普通の子の方が性格が良いしまともだしいい子なのに、何故か、私を虐げてきて指図してくるS女にしか興味が向かないような状態で、これはおかしいと頭でわかっていつつも性質というのは急に変えられなかったのです。この嗜好を変えるには時間がかかりました。普通の、本当に良い性格の女の人とどのように接して良いのかわからない思春期だったように思います。

この両親の呪縛から逃れるためにいくつか画策して、最初はなかなか動くことができないほどに精神を病んでいましたので、一つづつ、両親の期待が裏技られるようなことを何度もして両親を幻滅させました。おそらく、他の子供達も意識的あるいは無意識的にこのような、両親の期待をあえて裏切る、という行動を取っているように思います。私はそれが少し遅かったのです。普通の子は思春期の頃に反抗期を迎えることが多いかと思いますが、私の心はその頃は壊れていて「はい」しか言えない状態になっておりましたので、反抗する気力すらありませんでした。心が壊れていたのです。

思うに、遡ると、テレパスの感覚が最初に激しく壊れたのは幼稚園の時で、幼稚園の、確か1年目に同級生から執拗に虐められて、早くも登園拒否になりました。幼稚園に行こうとしても足が動かなくなって「幼稚園行きたくない」と言っていたように思います。思えばこの頃から両親からもそこまで理解されず「怠けている」だとか言って、私がどうして行きたくないのかすら両親は聞こうともせず、一方的に「ダメな子」「手間のかかる子」と思われていたように思います。一応はそれなりの愛情は頂いたものの、登園拒否や状況に対する理解はほとんどなかったように思います。

幼稚園の先生が計画して、同級生の全員が家に来てくれたことで一応は幼稚園に復帰しましたけど、、復帰しないといけないと言う状況で仕方なく復帰したわけですが、実は、余計なお世話だと思っていました。先生や両親は安心したようにも思うのですけど、前に虐めていた同級生は変わらず「俺たちが迎えに行かなきゃずっと家にこもってただろ。やーい」みたいに昔と変わらずネチネチくだらないことを言って、更には「おい。また登校拒否しろよ」とか虐げてくるのです。私の心はその頃から壊れていき、「いつも、感じている感情とは無関係に、とにかく、笑顔でいるしかない」と言う状況でした。幼稚園の頃から、既に精神崩壊が始まっていたと言えます。これが積み重なって、高校時代にはZガンダムのカミーユのような精神状態にまでなりましたが、この時は、そこまで重症ではありませんでした。彼が一応は仲良さそうにしている状況を見て、理解もない先生は「生徒同士仲良くやっている」と思っていたようですけど、年齢を重ねるごとに私の心は壊れていき、小学校の頃には家に帰ってくるといつも「疲れた。疲れた。疲れた」と口癖のように言っておりました。その頃から、テレパスの感覚は鈍くなって、頭もぼーっとしてきたように思います。母親はそんな私を見て「この子はいつもぼーっとしているねえ」とか言っていましたけど、もう、その頃には既に、心は壊れていたのです。

心が壊れて、小学校低学年には同級生に反撃をし、それにより虐めっ子の態度が軟化したことにより小学校の上級生の頃にはメンタルがある程度は回復しましたが、それでもかなり壊れていました。中学校でもある程度回復したのですけど、高校の環境が良くなくて、高校で心がほぼ完全に壊れてしまいました。小学校や中学校の頃は頭の回転もそんなに悪くはなかったと思いますが、高校で鬱になって頭がガンガン痛くて頭がボーっとしてクラクラするようになってから頭の回転が明らかに悪くなって、学校の先生からも「君はもっと理解が早いと思ったけどなあ」とか言われるようになりました。学校の先生は私のメンタルヘルスにそこまで興味はないようで、だんだんと、単に頭の悪い問題児扱いされることが増えていきましたが一応は現役大学合格しました。先生からは「そこだって君は受からないよ」と言われていたので驚かれましたが大学で上京してそのような田舎生活を脱出したのでした。

高校の頃まて、父親に何か言っても理解しようともせずに「うるせえ!!!」と言ってくるので言っても無駄で、母親はと言うと、私が就職して仕送りとか何か買ってもらうことばかり考えて、お金のために私を大切にしているのがミエミエでした。そんな異常な環境から脱出できたのです。

大学に入ってみると、それほど高校で致命的な問題もなく青春を謳歌している人が大勢いて、特に私のような地方出身者と東京の進学校出身者の情報格差は厳しいものがあり、彼等が話してる「◯◯はほにゃらら」という単語をそもそも聞いたことなくて何を言っているのか理解できないのです。環境と育ちの差に当時は愕然としました。とは言いましても、後から思えば、単に本人たちだけで通じるローカル表現だったかもしれないですし、はたまた、私が田舎から出た時点で私は田舎に残った人との間で同じような情報格差を作っていたのかなと思います。私は田舎に残った人たちにいろいろ教えて情報格差を無くすなど手を差し伸べることも当時はしなかったので私も同じようなものだったかもしれなくて、残酷ですけど、まあ、人生なんてそんなものでしょう。生きている世界が全く違う人たちが存在するわけです。そんなものです。当時はその情報格差を嘆いていましたけどその後はインターネットでかなり情報格差は埋まったように思います(ただ、やはり肝心のところの情報格差や運用格差はあるように思いますが)。今は、単語で聞いたこともない、なんてことは少なくはなくなって、当時は何という単語の意味がわからなかったのすら思い出せません。思えば、時折、絶望して周囲に当たってしまったことがありますが、それは私の弱さでした。今から思えば絶望を堪えてなるべく誠実な態度を取るべきだったことも多々あります。高校までは周囲に裏切られ続けましたので疑い深くなっていたということもあります。もっと人を信用したり、たとえ裏切られたりしても心を強く保つべきだったと思います。そうは言いましても、今から思えば進学校にもいろいろあって、それぞれの高校出身者しかわからないこともあって、たとえ進学校出身者であってもT大くらいになるとT大に大勢合格を出している高校出身者との間で情報格差があって疎外感もそれなりにあるようです。であれば、そんな情報格差は仕方がないので現状を受け入れていろいろ教えてもらう姿勢が大切でしたがそれはあまりできていなかったように思います。教えてもらって当然という態度は高校までは通用しても大学以降の社会では邪険にされるのです。そのあたり、どういう態度を取るべきかあまりわかっていませんでした。思えば、周囲には心が壊れている人が大勢いましたし、疲れた態度を取ってしまっていました。このあたり、都市部に通っている育ちの良い人と、私のような地方のぽっと出の、状況がよくわかっていない人との間で見えない壁のようなものを感じていました。

その後、就職しましたが、就職してからも、両親の期待をあえて裏切る行動をしました。私が就職してすぐに田舎の土地を私に買わせようとしたので実家にしばらく帰らずに電話もはぐらかしてタカリをのらりくらりとやり過ごしましたけど、新卒で奨学金も返しているのに土地なんて買える余裕などあるわけもありませんでした。田舎に土地買ってもどうしようもないですし。バブル時代とは違うのです。

世界長期旅行も割とその一つで、両親の期待を裏切って呪縛から逃れるためにも役立ちました。単純にやりたかった、と言うのもありますけど、若い頃に長期海外旅行すると両親に言ったら激怒されて縁を切る、もう連絡してくるな、みたいなヒステリーな感じになったので仕方なく若い頃は行かなかったのですけど、もう少しして、家の住宅ローンも完済して、サイドビジネスも行ってある程度の収入を確保した段階で相談もせず本業を辞めて海外長期旅行に出ました。実のところ、両親の束縛がそこまで強くなければ若い頃に少し旅行してそれで満足していたかもしれませんけど、歳を取ってお金もそれなりにありましたのでユーラシア大陸を少しと南米中心に旅行をしてバイクで南米コロンビアから最南端まで行ってきたのです。

そうしたら、両親からしてみたら今まで私が両親の思い通りに生きていると思っていたのに裏切られたと思ったらしく、父親は急に元気がなくなって家から出ずにずっと椅子で座っていたら弱っていきました。そして病気になった時に体力が持たずに早死にしてしまったのですけど、私からすれば、あんなモラハラですぐにキレてきて、話を聞こうともせず「うるせえ!!」と言っているような父親が死んでも悲しくも何ともなくて、むしろ、せいせいしたのです。死後わかったのですが、他の兄弟には色々と良く接していて、私は就職後はお小遣いなんてもらっていませんでしたけど、他の兄弟は来るたびにお小遣いをもらっていたようです。私は逆にお小遣いをあげていました。私は両親の自尊心のための精神的な奴隷および金づるだったのです。当時私は、一応は一部上場企業に勤めていておそらく父親にとって自慢の種だったのに辞めて世界旅行に出られてしまい、父親は私を理解することもなく、ただ幻滅したのです。

そのように、父親には話しても無駄ですので話しませんでしたが、母親は話すことである程度は解決しました。最初は母親は私の反抗に酷くショックで言葉を失っていたのですけど、何を今更、いい歳した大人の子供が自由意志で決断したからと言って嘆くような親がどれだけいると言うのでしょうかね。今まで、面倒だから「そうだね、そうだね」と同意して母親が決めてる風に誘導しつつスルーしていただけなのに、その時までずっと母親の指示に従って私が生きてきたとでも思っていたようです。母親からもそれなりに呪縛がありましたけど、母親にははっきりと、あなたの指示には従わない、そして、貴方(母親)の判断は決定的に間違っていることを伝えることで呪縛から逃れたのでした。母は言えば伝わるだけ父よりマシでしたけど、自分が確実にコントロールできる子供という道具を失って元気がなくなったのを感じますが、母の元気のために奴隷に戻るつもりはないのです。結局、これは表面上は他人をコントロールしたい人たち、というところもありますが、突き詰めれば、頭が悪い、ということだと思います。頭が悪いので自分がしていることの状況と意味に気が付かないのです。

こんなこともあり、私は、頭の悪い人とは基本的に付き合いたくないのです。

そのような両親からの束縛が高校まであって、大学に入って一人暮らしを始めたことにより両親や親戚及び高校までの人間関係の呪縛から離れて、ようやくメンタルの回復期に入りました。壊れていた心が少しずつ修復して、就職してから仕事関係でパワハラもありましたがそれも何とか切り抜けて、20代後半には一応の最低限の回復はできましたけど、そんな心が壊れた状況ではまともな恋愛もできなくてSの偏った人間関係しかできず、関係性は破滅や喧嘩別れがほとんどだったように思います。と言いますか、そもそも深い信頼関係まで進まずに表面的な付き合いが多かったように思います。若い頃に受けた偏った人間関係の影響は長く尾を引くのだと思います。その頃はまともな恋愛が出来ずにいたと言えます。幼い頃から周囲には親類を含めて私を貶める人が大勢いて、それと愛とが結びついてしまっていて、若い頃は、Sで貶めてくれるような人にしか愛情を感じられないような歪んだ状態でいたように思います。例えば、女性に対して「どうして、私に対してもっと命令してくれないのかな。どうして私をもっと束縛してくれないのかな」と、歪んだ愛情を若い頃は求めていたように思います。

私の中に元々あったと思われるまともな部分と、他からの影響で壊れてしまった部分、それがおそらくは当時は半々あって、まともな部分と壊れた部分が表に交互に出てくるような二重人格に近い状況が長らく続いていたような気が致します。ふと気がつくとトランスになって何か訳の分からないことを呟いていたりしました。今思えば、とりあえず症状を和らげるために精神薬でも処方してもらえればよかったと思いますが、当時は精神科というものに抵抗がありました。それでも私はITは高校からゲームを作っていてそれなりにITの仕事はできましたのでなんとか仕事はこなせて、そうこうしているうちに壊れた心は時間をかけて修復されていきました。

直近5年くらいで段階的に集中を高めて精神修行をするようにし、ヨーガをして、瞑想をして、感情を修復し、ようやくここ最近になって元のテレパスに戻ってきたように思います。

虐めや虐待というのは数十年単位で他人の人生を無駄にさせるものです。とは言いましても、私の心が壊れていた時にした何気ない発言が同級生を病ませてしまったことを思い出したのですが、勉強の相談をされた時に「もっと勉強しないとダメじゃない?」みたいに言ってしまったことがあって、それが原因で同級生が登校拒否になってしまったことがありますので、私もある程度は加害者かもしれません。生きている以上、意図しない加害者になると言うことはあるのだと思います。ですが、継続的に虐めをするのは犯罪です。

ふと思い返せば、子供の頃、同級生でテレパスは意外にいたように思うのです。割とテレパスが普通で、テレパスじゃない人は空気を読めない人という感じだったように思います。

他人の感情をよく感じると言うのは諸刃の剣で、良い感情の時は感情がよくわかっていいですけど、大して親しくない人の疲れた気持ちがいちいち伝わってくると言うのは時に変な人だったりすると苦しいものがあります。妬み、怨みを継続的に送られると心が壊れていきます。

スピリチュアルで、よく、波動の法則とか言って、波動に合う人だけ関係を持てばいい、なんてお話もありますけど、ここで言っている感情を感じると言うのは割と避けることができない状況もあって、例えば、乗り物で接するバスの運転手とか、売店のレジの販売員とか、そういう、割とどうでも良い人付き合いでいちいちその人の感情がよく伝わってくるのです。

これは、対処をどなたか先生から教わった方がいいかもしれなくて、基本は結界を張ることだとは思います。それに、付き合う人を選ぶことですかね。あとは、いいパートナーがいるとオーラが強化されてこの種の問題には強くなるのは当然ですね。今はまだ治りかけのオーラですので、まだまだ不安定のようです。基本的には、自分に近いところではアナハタのオーラを開いていて、その周囲に、一定の距離で境目を作る、内と外との壁を作るといいのだと思います。割と普通のことと言えばそうですね。古くから言われていた間の取り方は、オーラの層のお話でもあるわけです。

こうして、ようやく心がそれなりに修復されて子供の頃のテレパスに戻ってきましたのに、子供の頃のようにまた心を壊してしまわないよう、気をつけてメンテナンスして防御しつつ伸ばしていきたいと思います。

まだ、古い感情のエネルギーが時々蘇ってくるので、壊れた感情から完全な感情にして解決していきます。

仏教やヨーガで「不道徳な人と付き合ってはいけない」と言われている原則も重要で、そうは言いましても、自分の態度としては、いろいろ考えた結果、やはり、不道徳な人に対してであっても誠実な態度をするのが基本なわけです。ただし、脇を甘くしないのが大切で、きちんと拒否するなり必要なら逃げないといけません。学校や田舎では逃げ道がないので心が壊れてしまいますのでそこはどうにかする必要があります。こちらは心が壊れる一方で虐める側は元気になるわけですから、まともな方だけが損害を受けるのです。ですから、どうにかして「不道徳な人とは付き合わない」の原則を貫かなければならないわけです。この法則が第一ですから、となると社会的に良いとされていることが二の次になることもあり、例えば不登校とか会社を頻繁に変えることになったりするかもしれないですけど、それは理由によるのです。私はもう、メンタル第一と決めていますので他は二の次です。もう、二度と心を壊す状態を長く許すことはありません。(一時的なものは想定内として。)

いろいろありましたが、久々にテレパスに戻ってみたら懐かしい感じがしたのでした。ようやく元に戻れた気が致します。とは言いましても、回復して戻ったのは子供の頃の3分の1くらいですかね。まだ本調子とは言えないようです。

ただ、戻ったのは良いですけど、新しい感覚というよりは小学校の頃に戻っただけですので、別に、ものすごい境地に至ったとか、そういうことではないように思います。これを前提にして、これから再度、メンタルを一般社会に適合できるように調整する必要性を感じています。境地としては同じでも理解と運用と環境は当時とは違います。子供の頃のように定常的に虐めてくる同級生とか親戚とか近所の同級生はいないですし、理解にしても全然違いますし、運用能力だって違いますので、子供の頃に本来ならばそこから伸ばしていくべきだった境地や能力などを再度これから伸ばしてゆくのかなと思っております。