後天的に英語が英語そのままで理解できるようになった

2023-05-18 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

今年になってふと気がついたのですが、英語を英語そのままで理解できるようになってきたように思います。それは単なる学習のお話ではなくて、瞑想の進み具合と関連があるように思うのです。意識が明確になるにつれて、言語能力も少しずつではありますが上がってきたように思うのです。

もちろん単語や表現でわからないものはありますしヒアリングも完全とは言えません。CNNを見ていてもうまく聞き取れないことも多いです。それでも、基本的なところで、英語が英語のまま入ってくるようになったのです。

思うに、世間で「英語は英語のまま理解しましょう」とか言っている人は、脳みそのある部分がある程度動いている人なのかなと思うのです。それは、言語を司る部分、基本的な脳の能力がそれなりに動いているからこそ可能なことで、生まれながらにそうな人は自覚なく行なっていますから誰でもできる筈だと思っていたりしますけど、実際、できない人にとってはそんなこと全く不可能かと思うわけです。様々なところで英語のコツとか語られていますけど、脳みそが動いている人にとってはそれができて、できない人には絶対的に不可能、無理、というお話なのだと思います。

今まで、これはおそらく先天的なものだろうとずっと私は思っていて、特に、女性はそもそもの頭の作りが違うのだと思っていました。しかし、ここにきて、急に英語を英語のまま理解できるようになって、「あれ? 意外に人間って成長できるかも。人間のポテンシャルってすごい。先天的とかいうお話は眉唾かも」と(更に)思い始めています。人間の能力に限界なんてないのかもしれません。自分で勝手に「私にはそう言うの無理」とずっと思っていましたのに、急にできるようになって、「あれ? 意外にいける」と、拍子抜けした感じです。そしてそれは、瞑想の進み具合と、頭の中のブロックの解除によって変化したところが大きいと思います。

英語学習で「英語は日本語に訳すのではなくて英語のまま理解しましょう」とか割とよく聞く話ですけど、色々なところでこれを聞いても「そんなこと言われても、無理です」とずっと思っていました。他の人はそうはあまり言わないですけど、個人的には、これは先天的な才能が必要なのではないかと思っていました。中学校や高校の先生も、当たり前のように「英語のまま理解しましょう」とかしれっと言ったりしますけど、私は「はぁ? 一体、どういうこと? 絶対に無理」と思っていました。周囲を見ると、特に女性は言語能力が高いようで「あぁ、そういうことね」みたいな感じでピンときていたようですけど、私とかは言語処理能力と言語学習能力が弱いことを自覚していますので、英語など言語学習には特に苦労していて、おそらくは女性の何倍も言語学習に時間が必要だったように思います。英語なんて頭になかなか入らなくて苦労しました。女性がすらすらと言語学習しているのを横目で見つつ、「女性と男性とは脳の作りが違うと聞くけど、言語学習能力は女性の方が遥かに高い」と(主観で)ずっと思っていたのでした。一部、そういう研究結果の統計も見たりして、やっぱりそうなんだ、と思っていたりしました。

このお話、テクニックかコツのように説明されることが多いように思うのですけど、そう言っている本人にとってはおそらくその通りで文字通りテクニックかコツなのでしょうけど、これがそもそも無理な人にとってみるとテクニックでもないしコツでもないわけです。できない人からすれば、むしろ、先天的な才能、と捉えた方が適切のように思うのです。後天的にこのことができるようになるのはなかなか難しくてハードルが高いように思うのです。これは、言語学習能力・言語処理能力が低い人にしか理解できないことかもしれません。言語能力が高い人からしたら英語を英語のまま理解するなんて当たり前なのかもしれませんから「英語なんて簡単」なんて思ったりもするでしょうけど、それは本人からしたらそうであるというだけで、であれば、それは先天的な才能、と言った方が良いようにも(個人的には)思えます。

ですので、私はその種のことは全然できなかったわけですけど、ここにきて急に英語が英語のまま理解し始めて、「あれ? 意外に英語のまま理解できる?」と、ふと、我に返って気がつくことがあったのです。

実のところ、これは中学校や高校であってもピンとくる人にとってはすぐにピンとくることのようですので、英語をどれだけ勉強しないといけない、とか、そういう種類のものでもないように思うのです。中学英語なんて言うと初歩ですし、その時点でも、ピンとくる人にはピンとくると言うことだと思います。私なんて、10年以上英語を勉強してTOEICでぼちぼちの点数を取って、業務で普通に英語を使って不自由なくなっても尚、まだ英語のまま考える、ということがほとんどできていなかったのです。大体が日本語が間に入って解釈及び表現していました。ですから、英語学習をしてある程度に達したから英語のまま考えることができるようになった、という理屈はこの場合はなかなか成り立たないと思うのです。前提の英語能力は、英語のまま考えるためにはそれほど高いものは要求されないように思うのです。

実のところ、ここしばらく英語は業務で使っていて特に不自由を感じませんでしたし、喋るのも書くのも聞くのも一通り問題なくできますので、少しずつ育ってきたとも言えるかもしれませんし、であれば、最近になって閾値を超えた、という解釈もできて、であれば、これは当然と言えば当然と思われるかもしれませんけど、急にここにきて、上記のことを自覚したのです。

そのように、可能性としては「たまたま、このタイミングでそのくらいまで上達した」ということも考えられますけど、他の可能性としては「瞑想で頭の中のブロックが解除されて、頭の部位が動き出したことにより、英語が英語のまま理解できるようになった」と考えることもできて、前者も確かにそれはそうかもしれないのですけど、今まではいくら勉強しても割と言語の「壁」みたいなものが存在していたのですけど、ここにきて、急に言語の壁がほとんど感じられなくなったのです。それは割と根本的な変化で、言語脳を使う時に日本語解釈が介在していたものが直接英語のまま解釈できるようになったということは、かなり基本的なところで変化が起きたということだと思います。。最近は頭の各位が以前よりも活発に動き出した感じですので、そのことで、基本的な情報処理能力が上がっているのかもしれません。

英語を英語のまま理解する能力それ自体はそこまで高くはなくて、わからないところは日本語で時々しっかり解釈し直すこともあるのですけど、最終的に解釈あるいは表現するための英語能力という意味では今までのように日本語を介在した方がいいわけですけど、一方で、少しずつ、英語を英語のまま解釈するという能力も伸びてきていると思うのです。今まで、後者はほとんどと言って良いほど動いていませんでした。

この変化は、ここ最近の瞑想の進み具合に応じて起きたと考えるのが妥当のように思えて、瞑想で頭の中のブロックが解除されて能力が解放され、特に前頭葉と後頭部が活性化されたことにより、処理能力が上がり、その結果、言語能力の基礎的な部分がアップグレードされたように思うのです。

例えばYoutubeでCNNを英語のまま見ても割とそのまま理解できて、所々単語や表現でよくわからないところもありますけど、それでも、基本はそのまま英語で理解することができます。CNNは10年以上前はよく学習用に見ていたことがあって、当時であってもそれなりに理解することはできましたけど、当時はとても集中して日本語に直しつつ理解する、と言う感じでした。今は、日本語ではなく、英語を英語のまま理解することが(ある程度)できるようになっています。今まで、これは不可能でした。

英語学習において、「意味のわからない部分はすぐに単語を調べるのではなくて、全体からトピックを類推しましょう」みたいなことが言われていて、言わんとすることはわかりますし、簡単な文章であれば日本語で解釈してそのようにすることも一応はできたわけですけど、CNNを聴きながらそのようなことはできなかったわけです。CNNを聴きながら、聞き取れなかったり意味がわからない部分がそれなりにあるのは今まで通りだとしても、全体としてトピックを解釈することが英語のままできるようになった、という違いがあります。

実のところ、これらが頭の中の緩み具合とオーラの行き渡り具合とどの程度相関関係があるのか、他の事例がありませんので確実なことは言えないのですけど、タイミングとして、頭のブロックが解除されて頭が動き出したら言語能力(英語の能力)が向上した、と言うのは理に叶っているお話だと思うのです。

であれば、中学や高校において、学習できる「静かな環境」にいることはとても重要で、両親がモラハラだったり同級生のいじめや嫌がらせがあったりすると頭痛がしたり情緒不安定になってこの種の能力が伸ばせないように思います。瞑想を進めて静寂の境地になり頭にエネルギーが通うようになって活性化され、ブロックが解除された状態になるとこの種の本来脳みそが持っていた能力が動き出すように思うのです。