思えば、小学校3年か4年の頃に教室の座席で先生が私の隣に知恵遅れの子を何ヶ月も半年も長い間ずっと座らせたことがあって、その子は授業中もずっと情緒不安定でぶつぶつと意識朦朧として周囲に意味不明なことを話しかけるような人でしたけど、隣に座っていると、とにかく疲れるのです。私はあまり影響されないように我慢しているのですけど、おそらくは、私のオーラを数ヶ月とか半年とかかけて吸われ続けて、オーラを吸われるにつれてその子は元気になって大人しくなっていって、私はというとその子の情緒不安定なオーラを受け取ってしまって、私の方が精神不安定になってきてしまいました。この経験から思うことは、この種の、知恵遅れの情緒不安定の人は普通の生徒から隔離すべきだと思うのです。そうしなければ普通の子と知恵遅れの子の情緒が融合するかあるいは入れ替わってしまい、知恵遅れの子がまともになる一方で、普通の子が情緒不安定になったりします。これは私の実体験に基づくものですので正しいと思います。一見すると知恵遅れの子が元気になっていきましたので担任の先生は喜んでいましたけど、こちらとしてはいい迷惑で、とにかくその後、長年に渡ってずっと情緒不安定を引きずったように思うのです。今なら、知恵遅れの情緒不安定の人が近くの席になったら席を変えて欲しいと先生に訴えます。先生からしたら「そんな失礼なこと言うなんて!」と思うかもしれませんけど、そのことで被害を被るのは子供の方ですから、子供を守るためにも、知恵遅れの情緒不安定な子供は隔離すべきなのです。元々、そのための特別教室が別にあったように思うのですけど、何故かはわかりませんがその時は知恵遅れの子が同じ教室で授業を受けていたのです。先生にしても色々と試行錯誤していたのかもしれませんけど、私としては被害を受けました。その小学校の情緒不安定になる経験が私のメンタルの防御を弱らせ、その後、周囲からの虐めに対しても悪影響を強く受けるようになったように思うのです。
一方、家はというと、父の態度が良くないとわかっていつつも高校までは一緒に住んでいましたのと、兄もこれまたクズっぷりが凄くて、父と兄から日課のようにゲラゲラ私はずっと笑われていて自己肯定力を日々削られていた上に父や兄と顔を合わせればいつもムカムカムカムカして、そうすれば、そうしてムカついている私の顔を見ては父と兄は私を更にバカにしてゲラゲラ更に見下す、というループの繰り返しでした。そのように話が全く通用しない程の父と兄のクズっぷりで、文字通り、「話しても無駄」とずっと思って、いつしか、父と兄には「本当のこと」は話さなくなり、父や兄が私をバカにしやすいような、当たり障りのない、ただの通説の、浅い考えを適当に返答して、父からは、これまた中卒の考えるようなテレビの言っていることの受け売りをドヤ顔で言われる、というような関係になっていきました。私が何か言ったところでバカにしてくるか怒鳴ってくるかぶん殴ってくるような父でしたから、おとなしく、父が気持ちの良くなるような平凡な内容しか口に出せなかったのです。実のところ、意識的にそう答えていたというよりは自然にそうなっていたわけですが、しっかり考えて回答すると父はそれを理解できないのか何なのか気分を害して不貞腐れたり上記のようにゲラゲラ笑って「何を言ってるんだ」みたいな対応をしてくるのですけど、父が自分で理解できないだけなのに「何を言っているんだ」とゲラゲラ笑える神経が私にはそもそも理解できないですけど、そんな、言葉の通じない家族といるうちに自然と、父への対応は、父でも理解できて父でも返事を返せるような浅い内容しか言わないようにいつの間にか無自覚的に変わっていったように思います。コミュニケーションにおいて「相手が理解できるように表現する」と言うのは基本ですけど、父でも理解できるように簡単なことしか言わなくなった結果、それでますます父は私が頭が悪いと思い込んだようなのです。それで、父から「⚪︎⚪︎だぞ」とかいう、中卒が考えるような浅い考えをドヤ顔で私に説教するようになり、それに対して私は「うん」としか答えられないような関係になっていったのです。それですから、父や兄や母からしたら私は考えの浅いバカだと更に思い込んでいだことでしょう。かと言って私が何かいえば父は「うるせえ!!」と怒鳴りつけてきたのでした。ですから、何も言わずに過ごすか、当たり障りのないことしか話さなくなったのです。最初はそれでモラハラ被害を避けられるので良かったですけど、実のところ他のご家庭では両親ともっと深い会話をしているようで、中学と高校時代に深い会話を両親とせずに、ただ父や兄からずっとゲラゲラ笑われていたことで他の同年代の人と比べてコミュニケーション能力に差ができてしまい、大学に入ってようやく普通のコミュニケーション能力をつけ始めましたので他の人に遅れをとっていたように思います。
幼い頃から当たり前のように叩かれていて気にも止めていなかったのですけど、確か、中学の頃だったかと思いますが母が同級生の女の子の母親と話をしている時に私が待ちきれず情緒不安定になって母に「ねー、行こうよー」と言って母の服を引っ張ったりしたのですが、そのことで母がヒステリーになって「まったく! 話してると言うのに! 引っ張るな! この子はっ!」とキーキー声を上げながら私の頭を何度も叩き、私がその持つ手を離して黙って大人しくするまで叩き続けたのでした。母が何度も私の頭を叩いたら私が精神衰弱になって頭がぼうっとして意識が朦朧として、立ったまま「ぐったり」して斜め下を呆然と見て大人しくなったのですけど、その時に母が話をしていた私の同級生の母親は目をまん丸に開いて私を凝視してすごく驚いて、全身から驚きのオーラが出て、少し前屈みになりながら子供の背の低い私の顔を覗き込むようにして、離れるまでずっと私の顔を凝視していたように思います。それまで私は叩かれるのが当然でしたから「どうしてこの同級生のお母さんは心配そうにしているんだろう。何だろう」と、よく状況を理解できないでいました。そんなに酷いことなのか、当時、よくわかっていなかったのです。
その後も、その同級生の母親には会うたびに「この子は大丈夫かしら」と心配そうに観察されました。私はそんな同級生の母親を見て、「あ、普通の家のお母さんはああいう感じなんだ。なんだか、普通な感じで、優しそう。あのお母さんの子供になりたいな・・・」とか思ったことも度々ありました。そんなことがあってからは同級生の間で「かわいそう」と噂になって、割とこのことは当時同級生の父母の間で有名だったようです。私の母はというと、言うこと聞かないとご飯はもらえないし、家からは追い出されるし、機嫌を損ねると叩かれるし、叩かれる回数は流石にそこまで多くはなかったですけどご飯を作ってもらえないことはしょっちゅうで、ご飯を食べないと元気がなくなって抵抗する気力も失っていったのですけど、あるとき私の母は同級生の母親たちの間で「かわいそう」と言う噂になっていること聞いたことで、叩かれることはそれ以来、中学の頃からなくなりましたけど、その改心なのか何なのか、何故か「ご飯が足りない」と解釈するようになって「かわいそうだとか言われているから、沢山食べなさい」と言うようになり、実際にご飯の量が増えて、言われるがまま食べたらものすごく太って体が重くなり、それで糖尿病かわからないですけど体が重たくなって頭がぼうっとするようになりました。砂糖いっぱいの甘いジュースとか糖分たっぷりの野菜ジュースを何本もたっぷり「健康のため」とか言って飲まされて糖尿過多になって頭がますますぼうっとして動かなくなって頭痛もする、というサイクルを繰り返していました。そうして沢山食べる習慣にしておいて、いつも沢山食べないとお腹が膨れない状態にしておきながら、ふと母親の機嫌を損ねると急に「ご飯抜き」になるものですから、普段沢山食べている反動で、いざ食事がなくなるとものすごくお腹が空いて、一層フラフラになって動けなくなって、そうすると、母親に何も抵抗できなくなってしまうのでした。体が大きくなり、また、同級生の母親の間で噂になったことで母親から叩かれることはなくなったものの、相変わらずヒステリーとイライラは今まで以上に酷くなっていったように思います。苛つきを私を叩いて解消できなくなったものですから、それがヒステリーとイライラの方に回ったようで、その点、更に酷くなって、そのくらいなら叩かれていた方がマシだったかもしれません。ヒステリーは、絶対的に抵抗が不可能なほど強力なヒステリーでした。私は何も言えなくなり、そうして、飼い慣らされた挙句、いつしか、母親の許可がないと動けない、母親がダメと言うことは何もできない、一見すると「大人しい子」になっていましたけど、実のところ、既にその頃にはメンタルが崩壊していました。
意識はぼうっとして朦朧とし、頭がガンガン痛く、何も考えないようにしていても雑念で頭の中が一杯になっていました。言葉で罵られ、物理的に頭を叩かれたり殴られ、更には食べ物による空腹と糖分過多という複数要因があって何も考えられない状態になり、頭痛と意識の朦朧と雑念の多い状態になっていたように思うのです。一つだけでも大変なのに、よくこれで生きていたと我ながら当時の自分に驚きます。学校へ通う足が動かないこともあったので、意識を片足に集中してその片足を一歩動かし、またもう片足を動かして2歩目を踏み出します。少しこれを繰り返すとなんとか歩けますので学校に行けます。幼稚園の時に早くも登校拒否をしたのですけど、小学校とか中学校の時は家にいても母親がいますので、学校よりも家の方がマシではあるのですけど家に居ても母がだんだんイライラしてきて朝に「学校行け」と命令されて追い出されますので、何も抵抗できない私はとりあえず家を出て、足はほとんど動かないですけど、家に戻ることもできず、仕方なく、足を一歩づつどうにか動かして学校に行ったのでした。まあ、こんな状況では自分に余裕がなさすぎて恋愛なんて到底無理なわけです。こんな状況で近寄ってきたり仲良くなれるのは、ちょっと変わった女の子、私をイジってくるようなSの女の子が多かったのですけど、それは、今思えば、まともな普通の恋愛ではなかったのです。
母は私に対して「強烈な怨念」で行動を制限して、あたかも自発的に動くと言うことにして私がそうするまで目の前で怨念をネチネチと送ってくるのですけど、例えば、私が同級生に勉強を教えているのを授業参観の時に見たら、私の方を見て「チッ、チッ」と言う表情と手振りを遠くからしてきていて、何だろうと思って家に帰ったら母がものすごく不機嫌になっていてキーキー顔で「ちょっと! なんで勉強なんて教えているの! 他の子が頭良くなるなんて、そんな、他の人のためになることをして、あなたは一体、何を考えているの!! 勉強を教えることなんて辞めなさい!」と、何度も何度もヒステリーに言ってきたのですけど、友人を助けていて褒められるどころか怒られて、そう何度も何度もことあるごとにリピートで夜な夜な言われて、毎日のように同じことを繰り返しネチネチとイライラして同じことで愚痴って「勉強を教えるな」とヒステリーに話す不機嫌な母の近くにいると私の頭は朦朧として意識が薄くなっていました。濃い味付けのものばかり食べるようになり糖分過多で元気がなくなり、普通のものを食べても味がしなくなるのでますます糖分が多いものを食べるようになって糖尿病のようになって眠気が増し、糖尿病の症状と思われる強烈な抗し難い眠気に昼間に襲われるようになって、そうしていると神経衰弱になってあまり考えられなくなり、そうして眠気と頭のぼうっとした状況で私が意識が朦朧としているところに母は何度も何度も繰り返しヒステリーに同じことを繰り返し言って、私はというと既に意識が朦朧としていましたから、その度に私はいつも「はい」としか回答できないのでした。何度も何度も同じことをその後もしつこく言われて、「教えるな」「助けるな」ということを母から念入りにしつこく言われ続けました。
まず、そんな母のヒステリーで「教えるな」と念入りに何度も何度も罵倒された最初の翌日、学校に行ってその同級生が質問に来ても、私の頭の中には母がヒステリーに「教えないように!」とキーキー声で言っていた場面が再現されて頭が朦朧として意識が昨日と同じように薄くなって神経衰弱になって、頭が働かなくなって、私は意識が半分失っていましたから、心の中で「もう、どうでもいいや・・・」と神経衰弱になって意識が朦朧としたまま友達を無視・スルーして母の言いつけを守ったものですから友達は無視されたと思って機嫌を損ねてしまって、その友人がその後何年にもわたって根に持って私を睨みつけてくるようになりました。私の態度も悪かったですけど、その友人にしても勝手なもので、私が一方的にずっと教えていたのに、一回教えなかったら不機嫌になって、その後、もう私を無視してくるようになって、貸し借りで言ったら私の方が遥かに貸しがあるのに、状況に無理解にも程があって、よくもまあ、自分の方が教えてもらう方の立場であるのにも関わらず教えてくれていた人をそこまで恨むことができる人が世の中にはいるなんて世間は広いなと思うのですけど、今から思えば、特に教育を受けていない普通の人の感覚は直接的に思ったままを思うだけですので、そんなものだと思います。多少は頭が良ければ「どうしてだろう」とか考えるわけですけど、そういうことを色々考えずに、直接的に「教えてくれない人を恨む」なんて、とても短絡的ではありますけど、割と普通の感覚なんてそんなものかな、と今なら思います。
道徳的な教えは「人を助けましょう」と言いますけど、母の教えは「他人なんて助けるな」というものでした。母は一応は良い家の育ちでしたけど、自己中なモラハラのメンヘラ女だったように思うのです。実のところその友人の質問というのは授業中でしたので私も多少迷惑だったのは事実で、とにかく授業中ずっと聞いてきて迷惑していたという面もあるにはありますけど、今から思えば、状況をちゃんと友人に説明して「授業中に聞かないで」と言えば良かったのに、私は母のヒステリーに翻弄されて頭が朦朧としていて金縛りにあうように体と思考が動かずに指示に従ってしまい、何も喋れなくなっていました。既にその頃には母親にも父親にも「何を言っても無駄」の関係になっていて、母や父に何か言っても「何言ってるのこの子は」という感じでゲラゲラ見下されるのが常で何も聞いてもらえませんでしたのと、父親にはゲラゲラ笑われて見下されるかぶん殴られるか「うるせえ!」とブチギレられるのどちらかでしたので、もう、話す気力もなくて、私は既に精神衰弱になっていて、人生に対しても投げやりになって「もう、どうでもいいや」と思って、母が望むような冷たい態度を友人にしてしまっていたのでした。
母の怨念とヒステリーが子供をここまで縛るという実例だと思います。実のところ、勉強なんてものは教える方がよほど勉強になって、聞くだけでなくアウトプットをすることで教える方こそが劇的に理解が高まるわけですけど、母親は所詮は高卒でしたから勉強なんてそこまでできなくて、母親は大学に行けそうなくらい高校では勉強ができたらしいので自分ではプライドがあって勉強はできるつもりでいたようですけど昔は男が優先して大学に行かせてもらえず、女の母は家業の手伝いをさせられて、それ故に勉強に対するコンプレックスがあって、そんな状況ですから効率の良い勉強の仕方とか本当に勉強ができる人の姿というものを知りませんでしたから、母が思うところの勝手な優秀な子供の像に合わせて私の行動はがんじがらめに縛られてきたと言えます。当時ですら私は「人に教えると自分が勉強になるのに」と思っていたように思いますが口答えは全く許されず、確か、同様のことを言ったら「全く、何を言っているのこの子は(アホねえ)」という見下しの態度とヒステリーな回答が常でしたから意見を言うことすらヒステリーな母に対しては不可能で、大人しく「はい」と答えて、しかも、私から表面上で「その通りです、お母さん」という回答を私が母にすることで母は上機嫌になって、「そうでしょ。お母さんは正しいんだから」という、根拠の大してない自信を強めて行ったのでした。私が心のうちで「何を言ってるんだか、この母は」とずっと思っていることも知らずに勝手に自信を強めて私への強制を強めて行ったのでした。本当に、勉強ができない、勉強をしない頭の悪い母というものに苦しめられました。とは言いましても花の勉強(生け花、フラワーアレンジメント)には熱心でそれなりの資格を取っていましたから、特定の方向への特性はあったかと思いますが、地頭が良くなかったのかなと思います。他人の意見を聞かずに一方的に自分の意見を教えつけてそれが100%正しいと思い込むような頭の悪さでした。
そのような状況下で高校時代は(特に具体的な理由もなく)自分が出来損ないの人間かのように刷り込みされて自信のない人生を送ってきましたけど、大学に入学したら周囲からそのような態度を受けることはバッタリなくなって、「あれ。自分って、割と普通かも。どう考えても父と兄の方がおかしい」と考えるようになったものの、かと言って、高校までに受けた刷り込みはなかなかなくならなくて、自分より優秀な人を見ると劣等感の当時の刷り込みが蘇ってきて特に具体的な理由もなく落ち込んでしまい、人生の多くの場面で苦労をしました。私がこの種のことを誰かにいうと「そんな、家族のことを悪くいうなんて、あなたはおかしい」と言われて、まるで私が悪いかのように言われることも多かったように思いますけど、どう考えても私は悪くなくて父や兄が異常なわけです。モラハラの被害を家族から受けていて、加害者の家族のことを訴えると「家族のことを悪くいう貴方はおかしい」と言われて、もう、どうしようもない状況でした。そうして悩んでいる間もずっと父や兄からは罵倒されたり嘲笑されてきましたから、あたかも私に何か問題があるかのような気にさせられていたのでした。この種の、特に家族からの執拗なモラハラによる継続的な(具体的な理由のない)罵倒・中傷はその後の人生に暗い影を投げかけます。父にしても兄にしても、時々再会して私の顔を見るだけで(特に具体的な理由もなく)目がギョッと見開いて口は横に開いて鼻はちょっと高くなって目線も高くなって私を見下してゲラゲラ笑ってくるような品のなさでした。そんな父や兄と会うだけで気持ち悪くなって、しかし、なかなか抵抗せずにヘラヘラと笑って、あたかも「喜んでいる」風を自然に装ってしまって抵抗できないほど私のメンタルは奴隷になっていたように思うのです。母とは基本的に仲が良かったとは思いますが、時折、非常に母が不機嫌になって「まったくっ! この子は!!」と言いながらヒステリーになって手を振り上げ、私の頭を上から勢いつけて手で何度もバンバン叩いて、その叩き方にしても「わなわな」と手を振るわせながら上に力をこめて振り上げて、そこで一瞬止めて、しっかりと頭の上にバンっ! と振り下ろす、ということを何度も何度も行うのです。
当時テレビで流行った受験母インタビューに「隣の子もライバル」というのがあって私の母もそれに倣って同級生を敵視していましたけど、こういう言葉が嘘だと見抜けない時点で母は頭が悪いわけです。これは枠が小さい難関の学部だけのお話で、進学校でT大のほにゃらら学部狙いとかで隣の同級生もお互い合格ラインギリギリのような場合だけのことであって、そういう場合でも受かる子は受かるし受からない子は受からないだけなので、ましてや同じ学校から同じ学部を受けて両方ともギリギリなんて状況は普通はないのでこんなこと考えるだけ全く無駄なのですけど、そんな確率統計の基礎の概念もわからないで他人を助けるなとヒステリーに意見を押し付けてくるメンヘラ母は、どこかおかしいのです。むしろ、教える機会ができてラッキーであると言うのが本当のところで、教えてもらいたいという人が周囲にいるのは幸運であるし、それなりに勉強をしていないと教えられないため他人に教えることで自分の理解も深まり感謝もされ勉強もできるようになるのであって、他人を助けないよう子供に強制するような見当違いの母の子供は孤立するばかりか、人を教えるという機会を奪われることで自分の理解が深まるチャンスを失い、結果、勉強を自分一人でしなくてはならなくなります。そのような子供は母からヒステリーな制約と鬱のような悶々とした念を植え付けられて心労が増え、雑念が増えて集中できなくなり、受験失敗の確率が増えるわけです。要は、頭の悪い親の元に生まれると苦労すると言うわけです。こんなことは実際に統計で数字を出さずとも自明なことで、希望校の受験者数と同級生の同学部志願確率を考えれば同級生がどこを志望していようが全くの誤差でしかなくて、そもそも同じ教室で同じ大学の同じ学部を狙うことすら稀ですしましてやそんな状況で成績が拮抗していることなんてほとんどないですし、同級生が原因で自分が落ちるなんて万が一にもないのですから、そんなくだらないこと考えているくらいなら英単語の一つでも多く覚えた方が良いわけです。こんな見当違いなことで本気で同級生を敵視して「助けるな」「教えるな」とヒステリーになっていた母は本当にどうかしてますが、私が何か言っても私を馬鹿にするように見下して「何言ってるの」と聞く耳を持ちませんでしたから、そもそも、頭が根本的に悪い人には何を言っても聞く耳を持たないので無駄なのです。いくら言っても理解しないしヒステリーが酷くなるだけですので母には話しても無駄だと長らく思っていたわけですが、それでいて自分は頭が良いつもりなので始末が悪いです。そのうち、私は母が望むような発言しかしなくなって、母がいい気になって私が馬鹿に思えるような頭の悪そうな発言をあえてして母を喜ばせるようになっていました。これは意図的にしたと言うよりは無意識にそうしていたことで、おそらく、精神の防御反応だったのだと思います。色々と意見を聞く感じにして、実際は私が自分で大体は答えが出ていても、母が自分で選んだ風にすると母は「ほら、お母さんの言った通りでしょ」と自信満々になって機嫌が良くなるのです。このパターンで高校時代はずっと過ごしていましたから、一見すると仲の良い家族に見えたかもしれませんが、上京して一人暮らしをして離れた視点で見てみると高校時代は色々とおかしかったことに次々と気がつくようになったわけです。私は自分で一つ一つ気づくしかありませんでしたけど、そもそも親の頭が良ければ最初からこのような苦労はしないわけです。頭の悪い人と付き合うと人生で苦労する、と言うのはつくづく思いますが、そうは言いましてもこれは相対的なお話ですので私よりずっと頭の良い人は世間にはいるわけで、私が逆の立場で誰かを困らせいたこともあったかもしれません。あまりにも知性が離れた人とは会話が成立しませんので分相応ではあるわけですけど、分相応の範疇でなるべく自分より頭の良い人と付き合いたい、と思うわけです。
こういうことがありましたから、私はパートナーには「(ある程度の)頭の良さ」を求めるのです。頭の悪い女性と付き合うととことん時間を無駄にしますし、母のようにヒステリーが1回でもあったら高確率でブロックして縁を切ります。そのくらいヒステリーな女というものは私の人生に影を投げかけるのです。人生訓としてもそうですし、ヒステリーな人やネチネチと粘着質の怨念で他人を動かそうとしてくるようなメンヘラ女には関わり合いたくないのです。
実のところ、ずっとこのような環境で育ちましたから私も20代の頃までは割と似たように他人に対して決めつけの判断をしてしまうことが時々あり、それは反省すべき点だと思います。分相応だったかもしれなくて、自分がしているように、周囲からも同じような決めつけの判断をされていた面もあったように思うのです。それを周囲から(母のように強制力のある人から)執拗にやられることで、私自身の反省を促す、という点も多少はあったのかなと思います。そうだとしてもきつい20代でした。
今から思えば、頭を何度も何度も母から叩かれたり、それに加えて同級生からは幼稚園の頃から嫌がらせをされて、小学校でも執拗に虐めの嫌がらせでゲラゲラ下品に笑いながら頭をバンバン継続的に長期に渡って叩かれ、仕返しをしようにもいじめっ子は喧嘩が強く、空手をやっていたり、はたまた野山で動いていて体力がある相手なので敵わず、例えば同級生はブチギレたら空手の高速パンチが飛んできたりしたわけです。喧嘩では叶わないので言葉で対抗していたら同級生の女の子から私は言葉が悪いと言われて落ち込んだり、そうして仕返しもしにくくなり、すぐにキレる同級生からは頭をぶん殴られたりしていた結果、おそらくはいつしか双極性障害になっていたように思うのです。あれはメンタルの病気と思われていますけど実のところ脳の機能の障害らしく、頭を叩かれたことで脳に障害が出ていたように思うのです。そう考えるのが妥当のように今は思います。単にメンタルの病気と考えるにはどう考えても色々と辻褄が合わずおかしいのです。双極性障害の状況に加えて更にメンタルを病ませる状況が重なって影響していたように思うのです。脳の障害であれば脳の機能を回復すれば治るわけで、瞑想で眉間に集中して頭のブロックを外す、頭の各機能を再度動かす、と言うことをしてきましたので、それによって脳の機能が回復して障害が治ると言うのも理にかなっているのです。メンタルの問題と長らく思ってきましたけど、実のところ、継続的に頭を強く叩かれたことによる機能障害と考える方が妥当なのです。そう考えると、私の頭を継続的に叩いてきた同級生(複数)は罪深くて地獄行きのレベルだと思います。頭を叩かれなくなってからは少しずつ回復していきますが、頭を使おうと思って集中すると頭痛がしたり、ゾーンに入るとトラウマが出てきて意識を失いそうになったり、トランスに急に落ちて意識を失って何か意味不明のことを口走る、と言うのは、確かに霊的な霊障という場合もあるにはあったのでしょうけど、基本的には脳の障害が基本にあったと考える方が妥当なのです。私の場合、明らかに幽体離脱のような霊的なお話と、単に脳の障害とが複合してあったように思うのです。母は、私の頭をバンバン叩いて私を大人しくさせようとしているかと思えば急に猫撫で声になって「この子は将来的に稼いで(母に貢いて)くれるのだから大切にしなきゃ」とか堂々と偏屈な愛情を私に注ぐようなメンヘラかつ金目当てのモチベーションで、それに加えて一応は情もありましたから私の中で情愛と虐めとが感情で結びついてしまい、情と虐めの区別が若い頃はあまりつかなかったのだと今更ながら思うわけです。私は他の母親を知りませんでしたから母とはそんなものだと思っていましたが上京してから他の人を知ったら明らかに私の母はおかしかったわけです。一応は母は私に愛情を注ぎ込んでくれましたから私への虐めと相殺してプラマイゼロですね。母は育ちが良かったので慣れない貧乏な環境にて苦労していたので同情の余地がありますが、同級生や上級生の虐めは同情の余地がなくて、同級生や近所のいじめっ子は獣のような魂を持った人、人間の形をした獣だったのだと思います。人間の心を持っていない獣のような獣人間に何を言っても無駄なわけです。ここだけ読むと酷いことを言っていると思われるかもしれませんけど、川や海で泳いでいると密かに近づいてきて足を底の方に引っ張って溺れさせようとすることを執拗に何年も何年も続けて、反省もなく、いつもゲラゲラ下品に笑って馬鹿にして、威圧して反論させず、睨みと凄みで黙らせる、というような人はどこからどう見ても獣人間であるわけで、人間の形をした獣であるわけです。人の顔を平気でパンチしたり、人の心を持っていない人が大勢いました。今思えば、そのような獣だらけの動物園で酷い環境を経験して底辺の環境と野蛮な人たちがこの世界にいることを学んだのだと思います。ただ、後から思えば、それでも戦後の混乱の貧困と力が全ての時代よりはましで、戦後と比べたら昭和の後期は獣人間が多くいたとしても全体としては好景気が社会を支えていてそれなりに幸せだったと言えるかもしれません。