親戚も今から思えばかなりおかしくて、叔父は当時私の家に対して「お前たち(の家庭)はおかしい」と言ってきていましたが、当時の私はそれを真に受けて「叔父の家は普通で、私の家庭はおかしい」と思い込まされてきたわけですけど、上京して客観的に見ると、親戚は世間体が良かっただけで実態はかなりおかしい家だったことがわかるわけです。狭い環境にいると、自分たちがおかしいということにも気付かないのだと思います。母はというとそんな叔父(母の弟)に対して色々と文句を言っていて険悪な仲になってゆき、どっちもどっちだったのかなと思います。当時、母はまだまともな方だと思っていましたけど、上京してから冷静になって客観的に事実を積み上げてゆくと、母も相当におかしい人なんだなと思います。母は父方の家を毛嫌いしていて「(父方の)叔母と叔父は隠し事をする」とか言ってブチブチ文句を繰り返してヒステリーな恨みを募らせていましたけど、私から見れば母も隠し事をしていて、どっちもどっちかなと思います。私から見れば、母の兄妹全てがそれなりにおかしくて、父方の兄妹も全てそれなりにおかしくて、兄も相当変で私を(理由なく)見下してきますし、どうしてこうも、全方位的に変な親戚と家族に囲まれて育ったのだろうかと、その人員配置の「変さ」の完璧さに惚れ惚れするくらいです。近所には変ないじめっ子の家系の農家があって、そこの家族全てが性格の悪い嫌な人たちで私とか母に嫌がらせをしてきますし、家族にせよ親戚にせよ、ここまで完璧に逃げ場のないくらい全方位的に変な人を各所に配置できるのは高次の明示的な意志の介入としか思えないのです。偶然であればポツリポツリとそういう人がいるくらいですけど、偶然を超えて、ここまで完璧に逃げ場のないほど要所要所に変な人を親戚に配置できるのは、高次の介入と考える方が自然なのです。そのような、完璧に変な人に囲まれた幼少期から高校時代までを過ごし、メンタルが崩壊していたのです。
その叔父はというと「彼女ができたら連れて来い。顔と体を評価してやるぞ。顔立ち何点、目が何点、口元が何点、って細かくチェックして、OKかどうかサイン送ってやるぞ。鼻がひん曲がったブサイク連れてくるなよ!」とか女性蔑視の酷すぎることを平然と言ってOKサインとかNGサインとかしたり手で鼻を抑えて曲げるような仕草を面と向かってしてくるような品のない、モラルの低い貧相のなさで、その親戚の叔母は地元では美人でしたから、その美人の叔母も一緒になってニコニコして当然かのように振る舞って叔父の話を横で聞いているような常識のなさでしたけど、当時は、その親戚があまりにも堂々としていて自慢げに話していましたから私はずっとその親戚がまともな常識人のような気がしていました(そんなわけないのですけど)。ですから長らく、よくわからないけど、そんなものなのかな、と思っていましたけど、上京してから思い返すとあの親戚は相当におかしかったことがわかったわけです。私は状況がわからず、それを恥ずかしげもなく合コンで試して痛い目を見ました。当時は親戚から刷り込まれるように何度も何度もそのようなことを言われていましたから上京してから合コンなどで女性たちと対峙した時に最初は状況がよくわからなくて、「なんだこの状況。これが合コンというものかな。」よくわからないままに言いつけを守ってとりあえず上から下までジロジロと見て「⚪︎点」とかつけてみたら、それをされた女性は私の視線にバッチリ気がついたらしく、物凄く怪訝な顔をされて嫌がられて、「あ、これって失礼なことなんだ」とその時になって初めて気がついたのですけど、実のところ、そのような女性の「怪訝そうな顔」すらその理由が何なのかわからないほど女性の表情が読み取れなくて、最初はとにかく「何だか、よくわからない」と言うだけで、後々になって、「あ、あの時は、私がジロジロ見たから嫌がられたのか・・・」とかなり後になって気がついたのです。田舎にいて閉ざされた人間関係の中に住んでいると異常なことにすら気が付かなかったわけです。こういうことを言うと「そんなの、当たり前だろ。相手に気が付かれないように見るんだ!」と思う人がいるかもしれませんけど、すいません。よくわかっていませんでした。私は高校まで親戚のような変だったり不思議だったりする人との付き合いの方が多くて、あまりにも普通な世間一般の人間関係のことがよくわからないでいたのです。私は当時、普通の常識人との交流が限られていて、特に女性関係は変なことばかりでしたから、当時は「そんなものかな」と思って何気ない行動でジロジロ見て、もちろん嫌われてしまったわけです。 私が精神崩壊していて他人とその種の普通の交流というものが向こうから避けられていた節もありますし、実のところ田舎の常識人というのはその田舎での常識というだけで都会だと通用しないようで、都会だと非常識な人たちが多かったように思います。田舎にいればそれなりに通じるのかもしれませんけど。そのように、田舎だったからなのかもしれませんけど、都会の場合と女性の距離感が違って、田舎だと最初から距離が近いように思いますけど、都会ではもっとジェントルマンに特に最初は振る舞わないと心の距離が縮まらないのだと後から学ぶわけですけど、当初は、「何だか、都会の女の人は距離が遠いな」と思っていました。ここが人生の分かれ道で、単純に田舎の価値観を適用させて「あの女の子たちは疎遠だ」と思うのか、それとも都会の人の距離感を学ぶのかでその後の行動が変わってきますし、はたまた、自分がジロジロ見て失礼な行動を取ってしまった時も「このような失礼な行動は取らない」、とその時思うのか、あるいは、「あ、気が付かれないようにすればいいんだ」と思うのかでその人のモラルと考え方がわかるわけです。高校時代までは人も少ないですしほとんど知った顔で、実際、割と距離が近かったので実際に近くに行って同級生の顔から体まで真正面から堂々とジロジロ見るとその女の子は「あー、この男の人(私)、私に気があるのかな!」という感じで割と喜んでくれてその後の会話が弾んだりするわけですけど(もちろん人によりますが)、そもそも、最初のステップとして心理的距離が既に近いのでジロジロ見られることが好意として解釈されていたのかもしれません。都会ではまず最初に心理的バリアがあって、田舎よりも一歩手前から始まりますから、そのような壁がある状態でジロジロ見られると「嫌! 失礼!」と思われるようでした。都会でも高校だとどうなるのかはよくわかりません。あるいは、私の田舎の高校時代やその親戚などあの地方が特殊だったのかもしれませんし、時代的なものもあったかもしれません。今ではおそらく全国的に、ジロジロ見られると失礼、と言う方がおそらくは普通で、であれば、そもそも、あの親戚の言いつけが根本的におかしい、と後から思ったのでしたけど、頭のブロックを外すには時間がかかりました。実際、親戚と顔合わせした時に上から下までジロジロ見て品定めされたらかなり不愉快かなとは思いますが・・・。どうなのでしょう。その後もしばらくこれは私の中での精神面のブロックになっていて行動と考えを制限していました。重要なのは性格であって顔は標準以上であって生理的に無理でなければそれで良いと言うところに落ち着くまでは時間がかかったわけですけど、幼い頃に何度も何度も刷り込まれたこの親戚の非常識な当時の発言によって私の行動は縛られていました。今から思えば、なんてくだらない、どうでも良いことによって頭と行動にブロックがかかっていたのだと思うわけです。