ワンネスはヨーガではサマーディ(三昧)の状態に対応していて、「見るもの」と「見られるもの」と「見る行為」の3つの区別のない状態でもあります。これら3つは通常の意識状態では分かれていますが、ワンネス(あるいはサマーディ)の状態においては3つが同一になっているわけで、それが他者との間で起こるのであればテレパスの状態でもあるわけです。
そしてそれは、ハートの愛に基礎があるように思います。
子供であれば割とこれが無意識に無制御に起こっている場合があって、子供の頃に自分と他人の区別がつかない子というのは一定数いて苦労したりするわけですけどある程度育てば自他の区別がついてくるわけです。
自他の区別がない状態はいつもそうであるわけではないにせよ、ある程度まで成長した上で、意図的に他者のことを思ってワンネスに至ればいわゆるテレパスの状態になって相手の立場での考え方、背景などがわかるわけです。ある程度の経験を積むとワンネスの切り替えができるようになり、必要な時だけ目標を定めてワンネスの状態になって相手の思いを知ることができるようになるわけです。そしてそれはサマーディということでもあり、テレパスということでもあります。
知ろうと思えば他者のことが知れるわけですけど基本的に他者のことを知る必要はなくて、テレパスだからと言って何でも他人のことがわかるわけでもなく、むしろ、成熟した大人であれば、特にそれは、貴族の名誉みたいなもので、色々できたり知ることができるとしても自身を律して道徳的に振る舞って、むやみやたらにテレパスを使わない、という生活が基本にあるべきだと思います。
ですから、世間で、スピリチュアルで他人のことを見抜いて有名な人やサイキックのようにズバズバ当てて周囲から称賛されている人が必ずしも人格的に優れているかというとそうでないのも納得で、ワンネスな人は基本的にその能力はむやみやたらに使いませんし、であれば、他者の考えなんて見抜けない、見抜かないのが普通であります。スピリチュアルな成長とは当てっこゲームのような占いやショーとは本来は無縁で、人格を育てるものであります。
誰かがテレパスだったりワンネスであったとして、この動物園のような世界に生きていれば、ワンネスであればあるほど雑多な人を避ける、付き合う人を選ぶ、というのも一つの基準になるようにも思うのです。