マザコンは男の問題であるのはそうなのですけど、むしろ母の問題であり、母による子への虐待であるということが広く認知・理解される社会になれば良いなと思います。少なくとも姑問題で嫁いじりが問題にはなってきましたけど、実のところ根は同じで、姑が嫁を束縛することに対して抵抗が許されるのに、母が子を束縛することに対して抵抗が今だに許されない状況にあります。母の束縛とヒステリーにより母に何も抵抗できない子供はかなり多いと思うのです。そのような子供を解放しなければ結婚も増えないし子供も増えないわけで、実のところ、母の束縛が少子化の要因の1つになっているようにも思うのです。これは、特に多くの母にとっては自分のこととして理解しにくいかもしれないですが、子供が結婚しない、恋愛できない原因が母にあるわけで、しかもそれは母の虐待であるわけですから、本人はそれが躾だとしか思っていないでしょうから虐待と言われても否定するでしょうし、実際、私の母が私の頭を執拗に強く叩いたり食事を与えない状況に対して私の同級生の両親から虐待だと指摘されても母はそれを躾だと弁明していましたから、その事実を受け入れ難いのも仕方がないかもしれません。ですが、母がどのように弁明しようが、それは虐待なのです。執拗に頻繁に叩けばもちろん虐待ですし、(世間的にはそこまで認知されていないとは思いますが)頻繁にヒステリーと怒りで行動を制限してきても姑いびりと同じで(母から子への)虐待と判断できると個人的には思います。
そのような束縛の状態が長く続くと子供の自由意志はなくなって、最初は「悲しさ」がある笑顔でしたがやがて慣れてしまい、その感情が普通になって、「悲しさ」が一見すると表からは消えていって、ただ笑顔のような状態だけが残ってしまい、普通の笑顔と見分けがつかなくなるのです。これは、状況を理解するのが難しいかもしれません。悲しさというのは「拒否」された時に現れますが、拒否されずにずっと相手(母など)の望むように行動していればそのように拒否されることはほとんどなくなり、母の言う通りに動いている限りは拒否されずに「笑顔」だけでいられるのです。そうして、一見すると笑顔である子供が実のところ精神が病んでいて、それが外からは見分けがつかない、と言う状況になっていたりするわけです。
ですから、この種の「悲しい笑顔」に気付けるのは過渡期だけで、安定してしまって子供が母の思い通りに動くようになってしまうと「笑顔」しか残らないので、気付くことが難しいように思います。母からすると「いい子」に見えるので、過渡期を過ぎると子の心の闇に気がつくのが難しくなるわけです。
母は他人を束縛するほど精神が幼くて、子供は「悲しみ」が生じるほど繊細ということは、魂の年齢で言えば子供の方が成熟しているとも言えるわけで、このような場合、肉体の年齢で言うと母がもちろん上ですけど、魂の年齢、魂の成熟度からしたら子供の方が遥かに上なのかもしれません。であれば、魂の幼い母が魂の成熟している子供の気持ちを理解することはほとんど不可能なようにも思います。