戦争に負けそうになり悲しすぎて笑顔になる人がいたのではないか

2023-05-08 記
トピック:スピリチュアル: 回想録

想像ですが、第二次世界大戦末期、おそらくは悲しすぎるので笑顔になっていた人が一定数はいたのではないかと思うのです。

私の祖母が戦争の初期にトラック諸島へ看護婦として赴任しており、当初は良かったが次第に戦況が悪化して祖母が帰った船の後はみんな沈められてしまって、良い時に行ってギリギリ帰ってきたと言っていましたが、楽しい思い出もあったようで、私としては当時それを聞いた時は単純に楽しかったのかなと理解していたのですが、おそらくは、悲しすぎて、その悲しみを和らげるための人間の生理機能あるいは防衛反応として笑顔になるのかなと今なら思うのです。

戦況が悪化すると手当するどころではなくて、診療所に担ぎ入れてから横たわらせて、大丈夫ですかと聞くのが精一杯で次々に人が死んでいったと言います。

その筋で行きますと、知覧の特攻平和会館を見学した時も、末期に「ほがらか隊」という部隊がいたり、一見すると普段通りの装いで特攻に行った人たちが描かれておりますが、私は3回ほど見学していて、若い頃に行った時はそのまま単純に笑顔として受け止めていたのですけど、今になって思うに、この種の笑顔というものは単純な笑顔ではなく、悲しみが限界を通り越してしまったからこそ笑顔で微笑むしかない、という種類のものだと思うのです。

昨今、左翼の方々はいろいろなことをおっしゃいますが、おそらく、これら特攻隊のエリートの方々は学もあって、軍人同士のネットワークもありますから戦況もよく分かっていたことと思います。それでも、死ぬしかない状況に置かれた時にはあれこれ言ってもしょうがなく、笑顔になって死ぬ、と、そういうことなのではないかと思うのです。

そこまで行かなくても、現代において人が生きている上で、悲しすぎるからこそ笑顔になる、という場面はあるように思うのです。絶望に打ちひしがれて笑顔になるしかない、という状況の笑顔は単純に見れば笑顔ですが、人の複雑な感情が入り混じった笑顔であり、そうそう見られるものではないと思うのです。

この極限状態の笑顔を体験した人は、一歩、人として成長できるように思うのです。

そして、体験せずとも、多少なりとも、この種の笑顔を理解することで、自分そして他人の感情への理解が深まるように思うのです。

最初は、単純な怒りや憤りも出てくるかもしれません。どうしようもなく打ちひしがれて、怒りや憤りをしたところでどうしようもない、と察した時に、まず、とてつもなく悲しくなります。

戦争の体験を語る人の中で、怒りや憤りを語る人はまだ初期段階で、それを通り過ぎると、悲しくなると思うのです。

そして、悲しみすらを通り過ぎると、やがて、笑顔になるのです。悲しみが耐えきれないほど深まり、悲しみすらも小さいと思えるほどの絶大な失望感に苛まされて、そして、笑顔になるしかない、という状況なわけです。

これを側から見て、単純に「喜んでいる」と思うのは単純すぎるわけですが、人の感情の機知を知らない人は、他人のこの種の感情を理解できないわけで、例えば、おそらくは虐めなどで「だって、あいつ、喜んでいた」とかいう苛めっ子は、この種の悲しみと笑顔の関係を理解できていないと思うのです。

事業が失敗した時に笑顔になるのも同様で、自信が打ち砕かれてお金も失い、悲しさを通り過ぎて、笑顔になるしかない、という状況があるわけです。

失恋もそういうことがあるかもしれなくて、笑顔になるしかないこともあるかもしれません。

笑顔が単純に笑顔として理解される状況というのは実は実生活にはそれほど多くはなくて、単純な人間だけがそのような単純な笑顔をするわけですけれども、複雑な笑顔というのは、それなりに人生経験を積まないと理解できないと思うのです。単純な人間というものは複雑な笑顔を理解できないわけで、複雑な笑顔を理解できるのは複雑な人間のみなわけです。獣のような野蛮な人間の笑顔というのはそれ相応ですし、複雑な笑顔というのは例えば芸能で舞台に立つ人というものはそのような複雑な笑顔を表現しようとしているわけですが、それを見る側にもそれなりの素養が必要になってくるわけです。

そのように、人生経験を積んだ、それなりの素養のある人こそがこの種の笑顔を理解できるように思うのです。