そうして、ことあるごとに周囲からゲラゲラ笑われたり暴力振るわれそうなストレスフルな環境に身を置いていると、ちょっとしたことでも頭の中にパニックとトラウマが浮かび上がるようになってしまい、まともに勉強できない状態になっていました。成績も上がらないですし、授業中に先生が言っていることや黒板に書いてあることが認知できなくなって、問題文の日本語なら普通に読めば良いだけなのに、例えば数学の問題文がうまく読めなくなって(内容が認知できなくなって)、「あれ、それ、どういうこと?」みたいに言うと、例の同級生がゲラゲラ笑って見下してきたり、先生も一緒になってケラケラ薄ら笑いをして小馬鹿にしてくるので、余計にパニック症状とトラウマが頭の中に出て、文字が認知できずに思考が働かなくなってしまっていたのです。そして、後でふと我に返ると普通の日本語の問題文なだけで、なんてことはないのですけど、同級生と一部の先生の前では特にパニック障害が出て思考ができなくなっていました。
それでも趣味でやっていたゲーム作りの時はプログラミングに超集中することでゾーンによりトラウマもパニックも克服していましたけど、その一方で、学校の授業など単調な時間においてはパニック障害が出ていたのです。授業の問題など何かに集中したり理解したり暗記しようと頭に力を入れて集中すると、何か、頭が壊れているような感じになって、不意にパニックに襲われて目の前が何某かのイメージとトラウマで包まれて、授業中でも何でも急にトランスのような意識が不明確な状態に落ち込んでしまうのです。それを避けるために必要以上の「集中」を必要として、とても疲れる日常を送りました。ですから、中学時代までと比べて暗記や理解に異常に時間を要するようになり、勉強が捗りませんでした。何せ、暗記しようと集中するとパニック症状が不意にすぐにでますし、理解しようと思ったり、解法を考えようとすると、これまたパニック症状が出て勉強が全然できなくて、やがてパニックへの対処だけで疲れてしまって、寝てしまうのでした。
あの同級生たちと先生は、人を馬鹿にして足を引っ張っていた、とも言えます。そのような低俗な人もこの世の中にそれなりにいるわけです。他人を馬鹿にしても平気という低俗な人たちは自らの生き方に正直に生きているだけなのだと思います。ですから、低俗な人には低俗な人なりの生活があるわけです。しかし、他人をゲラゲラ笑っても平気でそれを喜ぶような人たちと付き合うと、こちらが損するだけですので、低俗な人は低俗な人同士で貶めあってもらえばよくて、文字通り、そういう低俗な人との関係は切るのが良いわけです。
高校時代はひたすら我慢して、大学に入ったら速攻で関係を切りましたけど、それはよく言われているように「すぐに関係をリセットしたがる人」というよりは、高校時代に3年間もの間ずっと我慢し続けて「大学に入ったら、このくだらない同級生と縁を切れる」と思って我慢し続けた結果、ようやく結実したことなわけです。それが「高校時代の人脈とのリセット」であるわけで、数年間にも及ぶ思考と決断に基づいたものであり、決して、行き当たりばったりのものではないわけです。
時に、「人間関係のリセットは良くない」みたいな文脈で語られることもありますけど、このように、他人を馬鹿にしても平気な人たちと付き合って一体何になるというのでしょうか。時間の無駄にしかなりませんしメンタルを壊す一方ですので離れる一択なわけです。そこに疑問の余地はありません。そもそも、あの友人や先生の顔や声を聞くだけで当時はパニック障害が再発していましたので、まずメンタル回復させるには「離す」しかなかったわけです。
見方を変えれば、そもそも、最初から友達ではなかった、と言うこともできます。同級生をゲラゲラ笑って足を引っ張った挙句、同級生の認知を歪めてパニック障害に陥らせるくらいまで他人を馬鹿にし続けてもなお、他人を更にゲラゲラ笑ってそのような他人を見下して喜ぶような人は外道以下であり、友達でもなんでもありませんから、関係を切るというより、そもそも、あの同級生が勝手に友達だと思っていただけで、こっちは初めのうちから友達だと思っていなくて、他の人はもっと酷いので、仕方がないので多少はマシな人と話し相手になって、友達の風を装っていただけなわけです。そもそも友達だと思っていなかったのですから、そもそも人脈のリセットというより最初から友達ではなかったわけで、同級生が勝手にゲラゲラ笑ってそれでも友達だと勘違いしていただけのお話なわけです。そのように解釈もできます。もう昔のことですので忘れているお話が多いですけど、当時も、大した友達ではなかったように思います。
客観的に見ても、「あの同級生が私をゲラゲラ笑って見下すのは先生の同意の元に許されて」、その逆は全くなかった、という状況は、明らかにおかしいわけです。あのような状態で私が(同級生が私を馬鹿にする状況を)受け入れると言うのは全くおかしいわけで、拒否して同然なわけですが、同級生にせよ、学校の先生にせよ、馬鹿にする態度を受け入れなければ「お前は馬鹿だから」とかいう態度で、先生も一緒になって同級生と私を馬鹿にしてきたわけです。先生も常識知らずの下層の人間だったわけですし、同級生にしても同様なわけです。
そもそも、私のメンタル的にあの同級生と同じような態度で他人を馬鹿にすると言うのは下品すぎて真似など到底できないものでしたが、あの先生は同級生たちはそもそも自分の発言を下品とも何とも思っていないような、そもそも私とは住む世界が違う下層の人間だったように思います。
私が何かちょっとでも言うと「私のその態度に対して、同級生がブチギレるかとてつもない大声でゲラゲラ見下し始める」と言う状況で、有言無言の圧力および時に暴力によって私の発言は遮られたり否定されたり、エスカレートするたびに大声で更にゲラゲラ教室に響き渡るような声で下品な笑い声を隣の教室に聞こえるくらいまでの音量で同級生が私を見下して馬鹿にすることが「先生の同意」の元に行われていたわけです。
高校卒業まではそのような環境にいてひたすら耐えていて、大学入学で上京と同時にようやく関係を断ち切ることができたわけです。
そもそも、私を散々馬鹿にしていた同級生は結局Fランぽい(当時でも)偏差値45くらいの聞いたことのない大学に一応合格して入学しましたが、(大学だけでその人のことは計れませんけど)散々私を何年間にも渡って継続して馬鹿にしてきた相手が所詮はその程度だったわけで、なんと、くだらない相手に長らく悩まされていたのだろうかと思います。あのような、頭も良くないし態度も悪いし口も悪いしゲラゲラ見下して笑うことを当然と思うような人とは付き合う必要が全くなく、私が思い悩まされる価値も全くなく、まさに、(私が本来住みたい平和な世界とは)全く違う世界の住民であり、それは、下層の、底辺の世界であり、私は底辺を垣間見たのだと言えます。
他人をゲラゲラ見下して笑うような底辺の世界があることは否定しませんので、そのような底辺の人は、底辺の人同士で周囲を馬鹿にし合って足を引っ張りながら勝手に誰かを馬鹿にしていい気持ちになって自己満足して毎日を楽しく暮らせば良いのです。知らぬが仏、という言葉もありますし、きっと、毎日を楽しく暮らすことができるでしょう。分相応な生活ですので、それは、とても素晴らしいことだと思います。
ですが、私とは全く関わらないで頂きたいです。くだらない人との関わり合いで時間を無駄にするのは御免です。
そもそも頭が悪い人と付き合いたくない、というのが男女問わず基本でありますけど、他人を見下して笑って貶めて足を引っ張るような人とは絶対関わり合いたくないです。高校時代は逃げ場がなかったので仕方なく話し相手として付き合っていただけで、大学に入って「(人間関係の)選択の自由」ができたら、速攻、離れる相手であるわけです。