プレアデス系のチャネリング記録でスピリチュアルを学ぶ

2023-05-14 記
トピック:スピリチュアル: 回想録

小学校から中学校まで同級生だったそれなりに仲の良かった同級生の親が、当時盛んだったニューエイジ系の一角であるプレアデス系のチャネリング記録の翻訳をしていました。スイスのビリー・マイヤーというコンタクティの記録をどこかの団体が翻訳していてその手伝いをしているということでした。その記録を友人も読んでいるらしく、ことあるごとに、そこに書いてあることを「どうだ、お前、知らないだろ」と言って何度も何度も自慢してくるのでした。実際、その種のお話は雑誌ムーでも取り扱われている類のことで、本当かもよくわからないオカルトのお話をあたかも本当かの如く話してくるその同級生には迷惑を感じていたわけですけど、それでも、当時流行っていたニューエイジの基本的な考え方を彼から最初に聞いて、ある時、彼が本を貸してくれるということでしたのでコンタクトの記録を読んでみると、まあ、確かに、なるほどな、と思えるところもあるわけですけど、読めば理解できることをドヤ顔で「お前知らないだろ」風に上から目線で優越感と共に言ってくるその同級生にはめんどくさいとしか言いようがありませんでした。思えば、このことが一応の私のスピリチュアルの知識の一部になっているわけです。それは10歳の頃だったかと思います。

当時、徳間書店か何かで出していた本をその友人が勧めてきて、その本には宇宙の基本的な普遍法則のこととかクンダリーニ体験のこととかもちろんUFOのことも書いてあって、当時は「なんだこれ」と思っていたわけですけど、友人があまりにもマウント取ってきてうざったいものですから、友人に対抗する意味で私もその本の後ろに書いてあるところに手紙を出して機関紙や書籍を少し取り寄せてみたのでした。それは中学や高校の頃でしたか。

機関紙は、まぁまぁ面白いことも書いてあったように思うのですが、でも、どこか当時のことを思い出すと、やはりニューエイジの文章はどこかドヤ顔風なところがあって微妙にも感じていたようにも思います。アセンションが起きて、世界の人は二分されて、生き残る人と死ぬ人が仕分けされていて、自分たちは生き残る方だから・・・ みたいな選民思想だったかと思います。その団体が言っていた時期はもうとっくに過ぎ去っていますけど実際は何もそんなアセンションとか起きていませんし、その後、数十年経ってふと思い出して検索してみたら、未だに同じようにアセンションと人類の仕分けと大災害が起こるとか何とか言っていて、これが世にいう終末思想の新興宗教なのだな、と思ったのでした。

そういえば、その団体の本部らしき一軒家を訪れた時に、ふとしたことで「あなたの波動が悪いんじゃない?」みたいなことを言われて、当時流行りだったオーラ写真の機械が何故かその家にはあって、お金はいらないから取りなさい、みたいに言われて強制的に写真を撮られて、それで写りが悪かった(色が暗め、濃い目)だったものだから、その場にいた大勢の前で「あなたはそんな悪い波動だからどうのこうの・・・」と、しつこくネチネチと糾弾されて恥をかかされた上にとても気持ち悪かったのですけど、新興宗教なんてそんなものだと思います。私からしたら、この世界のどん底を知るために自分自身をこの重い波動次元に落としているわけですからオーラが濃い目(暗め)なのも当然で、オーラが暗めだからと言って「だからどうした!」という感じなのですけど、あの新興宗教はオーラの色で他人を判断していたようです。この世界でいわゆる波動が良いとか言われている人ですら高次元からしたら波動が遥か下なわけですから、オーラの色が綺麗(明るい)とか濃い目(暗め)だったからと言って高次からしたら50歩100歩だと言えます。所詮はキルリアン写真ですからね。

そもそも写真(キルリアン写真)で撮れるオーラの色というのは感情に近い部分ですので日々よく変わるわけで、それが黒いとか白いとかで人をヒエラルキーに分類しているあの団体は、本質を見間違えていると思いました。そんなこと言っていたら、波動の悪い人の近くに寄ることなんてできなくなりますよ。ある程度までスピリチュアルの成長をすれば影響されなくなりますけど、それ以前においてこんなヒエラルキーを作られたら、スピリチュアルな成長をする前でも波動を悪くしないよう気をつけてさえいればオーラの色は綺麗に保てるわけですけど、そうして気をつけて保つオーラの色なんてあまり意味がないと思います。

そもそも、その人の人生設計・計画を知らなければ現在のその時点におけるオーラの状態の良し悪しなんてわからないのに、とにかくオーラの色が悪い人は「消滅コースなのです」と言ってその団体は人々を選民意識と優越意識で振り分けしていたのでした。逆に、そのようにオーラの色に過敏になってオーラを汚したくない、と言って選民意識で他者と関わりを持たないようにしている優越意識で凝り固まっている人々こそ、未来の地球に不要な人々なのではないかと思いますけど、どうでしょうかね。この辺り、「アミ」の物語に似たようなお話が出ていますね。救済を求めて選民意識で生きていた人々は、本当に大災害が起こったとしても救われることはない、ということだと思います。それよりも、自分のオーラの汚れを顧みずに人々を助けた人々こそが賞賛に値しますし、大災害が起こったとしても真っ先に救い出される人になると思います。(ただ、本当にそういうことが起きたらまず最初に運が大事で、運よく生き残った後に(助ける側に余裕があれば)それらが優先される、という程度のお話で、そこまで大差はないとは思いますが。アミのお話はあくまでも物語ですからね。災害時に助ける時に、その人がどうのこうの・・・なんて背景まで考慮しないと思います。)


そんな新興宗教であったとしても一応はニューエイジの基礎は知ることができて、実のところ、幽体離脱で色々確かめたことによると、私はそこのメンバーと少なからず魂のレベルで関係があって、それ故に引き寄せられたようでしたけど、そうだとしてもあの団体のやっていることには疑問符がつきました。


思えば、あの団体にせよ、インナーゲームにせよ、扇動と操作、共依存という段階にいずれもいるように思うのです。

幼い頃から二十歳くらいまでの間は私にとってのスピリチュアルの1周目であって、この1周目においてスピリチュアルの基礎を学び、そして、スピリチュアルの悪い面も含めて目の当たりにして幻滅する、という1サイクルを終えたように思うのです。

そして、二十歳を超えてから現実に生きる必要性を感じて、まずは仕事、ということで、スピリチュアルも確かに基本として大切な面はあるけれど、それよりも現実を生きる必要がある、ということで、表面的には現実を生きて、その背後では、スピリチュアルの2周目(あるいは1.5周)を開始したのでした。それは1周目の二十歳前後までのものとは違い、地に足のついたものとするよう心がけました。30代半ばにかけて2周目(あるいは1.5周)が終わり、一応の区切りとしてスピリチュアルと現実とのバランスが取れるようになったように思うのです。その時点ではまだスピリチュアルにそこまで精通したという感じでもないのですけど、少なくとも、現実とスピリチュアルのバランスが取れて、3周目(あるいは2周目)に入る基礎ができたように思うのです。

そして30代後半から3周目(あるいは2周目)が始まり、ヨガと瞑想を本格的に始めて40代にて今までと異なるスピード感を持った成長を実感できているわけですけど、それも全て、10歳の頃からスピリチュアルの1周目をして、その後、実生活において2周目(あるいは1.5周)をして、それらを踏まえた上での3周目(あるいは2周目)なわけで、一飛びにこの今の成長ができているわけではない、ということが過去を振り返ることでわかるわけです。