右腕にかけてエネルギールートが強化されたということでふと思ったのですが、世の中のスピリチュアルな人がヒーリングをしているのは他人のためというのもあるにはあるとは思うのですけど、ある程度まで成長した人であれば他者のためにというのはそれはそうだと思うのですけど、まだそれほど成長していない人、まだスピリチュアルの成長の初歩あるいは過渡期、発展途上にいる人の場合は、そのような大義名分と同時に、本当の意義としては、自分の扱うエネルギー量を増やすことで自身が成長できる、というところにあるように思うのです。
腕はヒーリングの時によく使われますし、肘に意識してエネルギーを通す、というテクニックもあったりしますけど、それはヒーリングのためというのはそれはそうなのですけど、初学者にとってはエネルギーの訓練になっていて、初心者にとってはその意義の方が大きいような気が致しました。
私はというとヒーリングの意義とかがいまいちわからなくてやってこなかったのですけど、ここにきて、大勢が言っていることと実際とが違っていることもあって、実は本当の意義がある、ということに気がついたわけです。
ヒーリングを受けるというのは一過性で、一過性とはいえそれはある程度は有意義ではあるのですけど、それよりも自身での成長の方が遥かに割合は大きくて、ヒーリングというと受ける側に焦点が行きがちですけど、それよりむしろ行う側に意義があるようにも思うのです。表面上はヒーリングを受ける側が利益享受者でヒーリングを与える側が利益提供者であるわけですけど、実際は、ヒーリングを受けたと言っても一過性のものであって、ヒーリングを受けることでヒーラーの悪いものを受け取ってしまうこともあるためヒーリングを受けるときは誰から受けるかも気をつける必要があって、その危険性を考えるとヒーリングを受けるというのは割に合うものではなくて、むしろ、ヒーリングをする方にこそ利益の大半があるように思うのです。
ヒーリングを受ける時は、ヒーラーの多彩なエネルギーに対しても大丈夫なほど自身が強くなってからでないとヒーラーの未熟なエネルギーに翻弄されてしまうため、元気がないからと言ってヒーリングを受けるとさらに翻弄されることもあるし、一方、ヒーリングを受けても大丈夫なほど自身が強くなったのであればそもそもヒーリングはいらない、ということになって、結局、ヒーリングを受けるというのはあまり必要ではない、という状況のように思うのです。ヒーラー自身も、ヒーリングをすると自身の悪いものを相手に押し付けてしまった、ということに気づく人もいらっしゃるのではないでしょうか。そうなれば、易々とヒーリングをするなんてことにはならないと思いますが。他人を癒すとか押し付けがましいことを言っておきながら(本人が気づいているかはわかりませんけど、自覚があるなしに関わらず)自身のためにヒーリングをしている、という方も一定数いらっしゃるように思うのです。
一方、とても純粋で正しいヒーリングというものはあって、天のエネルギーをヒーラー自身の体を通さずに直接に天から他の人の頭の上に浴びせるようにすればヒーラー自身もヒーリングを受ける側も安全かつ効果が高いですけど、そのようなことができるヒーラーはとても少なくて、大抵はヒーラー自身の体を通してエネルギーを相手に伝えるわけですから、それは他者のことを思ってというよりはヒーラー自身の成長のために行なっているようなものなわけです。
今回、右腕にエネルギーが通り始めてから、世間一般におけるヒーリングの意義というものを感じましたね。それはむしろヒーラー自身のためのものだったわけです。