もともと喉の開きは良くなかったのですけど、今朝の1時間ほどの瞑想に加えて昼前に2時間半ほど瞑想をしたところ、喉の少し上にあった首の周囲の円周の半分くらいの大きさの円のリング状に薄い膜が貼ってあるようなブロックが外れて上下のエネルギーが通りやすくなりました。
指輪のような枠の中に薄い幕が貼ってあって、例えるなら縁日の金魚すくい用のすくい網のような薄いブロックになっていて、薄いのである程度はエネルギーがそこを通過するのですけど、何かエネルギーの勢いを制限しているような、喉に何か詰まっている・・・ とまではいかないですけど、詰まっていると言うよりは、ただ単に、流れが全体的にあまりよくない感じがしていました。
数ヶ月くらい前から頭の中のブロックが外れて眉間のアジナから喉のヴィシュッダ経由で胸のアナハタそしてお腹のマニプラ以下、そして腕など体全体に宇宙のエネルギーがアジナから入ってくるようになったわけですけど、最近になって、日常生活を送るにつれて急に少し喉の辺りも含めてエネルギーの通りが悪くなってきて、どうしたものかと思っていたのですけど瞑想をしっかりとしてみたのです。
数ヶ月前に頭の中のブロックが外れて眉間のアジナから宇宙のエネルギーと比喩されるようなエネルギーが身体中に満ちる前はこの最近の不安定状態よりもまだエネルギー状態としては低くて、そもそもその時点ではアジナからの宇宙のエネルギーを自覚していませんでしたから、今回のリング状の薄い膜の喉のブロックがまだあることに自覚していなかったのです。
もともと喉のヴィシュッダは私は詰まり気味でしたので、数ヶ月前に頭の中のブロックを解除する前であったとしても、かなり以前と比べたら割と十分に喉のヴィシュッダは開いていたわけですから、こんなものかなと思っていました。
数ヶ月前に頭の中のブロックが外れたことによりアジナから入ってきたエネルギーは当初はかなり勢いよく入ってきて身体中を充満していたわけですけど今回、ブロックと言っているのは、その、新しく入ってきたアジナからの宇宙のエネルギーと比喩されるエネルギーの部分が喉で若干通りが悪くなっていた、というお話なのです。ですから、これが通りが悪くなっていたとしても全体としてはそこまで悪い状態ではないわけですけど、そうは言いましても、一旦良い状態になったからには、そこから少しでもエネルギーの詰まりがあるとそのちょっとした不調にどうしても気になってしまうわけです。
これは主観の錯覚のようなものだったようで、エネルギーの通りが悪くなってきていると主観でここ1週間ほど感じていたわけですけど、実のところ、そうでもなかった、ということのようなのです。
今回これが起こったのは、おそらく電車の中でちょっとした不調のオーラを拾ってしまったようで、座席に座った瞬間に何か重い感覚がしてエネルギーに不調が出たのですけど、それを解消するために瞑想をしっかりしてエネルギーを回復し、更には、今日のように喉のブロックを解除することで再度アジナから宇宙のエネルギーが体全体に満ちるところまで回復できました。
一旦、ちょっと調子を少し崩したものの、回復してみると以前よりも眉間のアジナから体全体に宇宙のエネルギーが満ちるようになったようで、腕のあたりのエネルギーの入りが以前より良くなったのと、胸の後ろのあたりの背骨沿い、チャクラっぽい芯の感覚が出るようになりました。
・腕(両腕)
以前は眉間のアジナから入ったエネルギーが「線」のように腕に通る感覚。
今は、腕全体が同様のエネルギーで満たされる感覚
・胸の後ろ
以前も度々この芯のような感覚は出ていたが、感覚がより出やすくなった。
ということで、眉間のアジナから入ってくるエネルギーの量が一段と増えたように思います。
これは、見ようによってはアジナからのエネルギーというよりは単純に喉から胸の方に取り入れるエネルギーと見えなくもありませんし、実際、そのように解釈している流派もいるように思われます。ヨーガのプラーナヤーマという呼吸法でプラーナという生命エネルギーを取り入れるのですけど、その時、アジナから取り入れるというよりは単純にプラーナを呼吸法(プラーナヤーマ)で取り入れる、と解釈しているように思います。
実際のところ、呼吸法をしたところでそこで取り入れるエネルギーはこの種類のアジナからの宇宙からのエネルギーとは違っていてもっと肉体に近いエネルギーである場合がほとんどなわけですけど、それでも、考え方として、そのような流派で長年修行をしてきた人がこの種のエネルギーを感じられるようになった時に、それをアジナからの宇宙のエネルギーとは解釈せずに、単純に、プラーナだと解釈しても不思議はないと思うのです。
実際、書物を読むと、プラーナの解釈は多様で、単純に肉体に近いエネルギーとしているヨーガの流派もあれば、プラーナは実際にはもっと微細なものも含まれる、としている教えもあったりします。これは、文字通りプラーナの質に幅があって割と肉体に近い粗大なものからより微細なものまであるという解釈をすることもできるのですけど、それよりも、修行の過程によって感じられるエネルギーの質と操れるエネルギーの質に違いがあると解釈した方がより自然だと思うのです。
その解釈に基づくと、これはアジナの宇宙のエネルギーというよりは、より微細なプラーナを感じて取り込めるようになった、と解釈してもそうは間違いではないと思うのです。アジナの宇宙のエネルギーというのは私が一旦はそんな気がして解釈をしているだけで言葉だけの問題ですから、表現として分かりにくければ「より微細なプラーナ」と言っても良いのですけど、プラーナというと普通は粗大な肉体に近いものを意味しているので、プラーナという表現は誤解が多いように思うのです。
そのように、宇宙のエネルギーというのか微細なプラーナというのか違いはあれど、今までよりも微細で、更に強力なエネルギーの束が眉間のあたりから喉を通して身体中に充満し、腕にもそれが満ちることで体のかなりの部分がエネルギーに満ちた状態になってきたように思うのです。