清楚系ビッチは愛の偉大さと比べたら些末なこと

2023-05-08 記
トピック:スピリチュアル: 回想録

清楚系ビッチは基本的に、男を見下して小馬鹿にしている女性のことであるとも言えます。それを自覚した上で表面上には見せない場合と、自分のそういった心理状態に無自覚で単に道徳的に振る舞っている場合とがあるわけですけど、男性からしたら大差ないわけです。女性の側としてはおそらくはそこまで深く意図せず無意識的あるいは当然のものとして男性を見下して男性の好意や受け身の姿勢につけ込んでいる場合がほとんどであるように思えて、清楚系ビッチは自分に自信がありますから男は何でも自分に尽くすのが当然と思っており、尽くさなければ冷たく当たったり、無視したり、時にヒステリーになるわけです。最初は清楚そうに見えた人が時間が経って仲良くなるにつれて男を見下した関係性が当然の如くなってゆくと女性の表情にもそれが明確に現れて男性からも見分けるのが容易になり、男の方が気づいて呆れたり冷たい態度を取ったりすると清楚系ビッチは面と向かって男性を非難し始め、自己を正当化するわけです。男性からの不満が溜まって表情に出ただけで清楚系ビッチにとってはその表情が自分への反逆と解釈され、今まで見下していた男が心理的に少しでも反逆したことを許せないと言う感情が湧き起こり、男性の反発にキレて、男性に対して「なんて酷い男」と言ったり、女性の側が男にネチネチと問い詰めてモラハラをし始めるが、それがモラハラだという自覚がない、女性が自分のしていることの非常識さに気がつかない、と言う状態になって、男性が悪いかのように問い詰めて、時に男性が謝っても許してもらえず、男性からしたら何が悪いのか理解できず、関係が破綻したり、逆に男性の方がモラハラ認定される、というように、清楚系ビッチは自分が意図的に悪いことをしている自覚はないことが多く、しかし、意識的ではないからこそ、男性に対して酷い態度を取れたり、被害者面できるわけです。このように地雷がたくさん埋まっている清楚系ビッチを相手にするべきではなく、本当に良い女性はたくさんいるのですから、そちらとの関係性を深めれば良いのです。

ただ、そのような理解すらも、愛そのものの理解に比べれば些末なことであると言えます。

それに、このようなことは0ー100のお話ではなくて、何が優勢かというお話な訳で、完全に100%男を見下して愛が0%というのは稀で、少なくとも生理的に受け付けるからこそ、近くに一応はいられるわけです。であれば、愛が20%とかかもしれませんけど、愛がなくはないわけです。それに、この種の女性は男を見下していて「男は女の本心はわからない」と思っていたりしますけど、確かに、そのような完全に鈍感な男というものがいるのは確かですけど、それにしても分相応というもので、その程度の男とくっつく女というだけのお話ですし、それに、男は意外に敏感で、全てをわかった上で、それでも女を愛しているから托卵も黙って受け入れる、という男も中にはいるわけです。女にしても望んで妊娠したわけでもない場合もあって悩んでいたりして、そんな時、何もわからず托卵を受け入れてくれたように見える男が実は全てをわかっている、なんてことは意外にぼちぼちあるように思うのです。「托卵であろうとも、この女性が近くにいて結婚してくれるならそれでいい」なんて歯の浮くようなセリフはおそらくは日本の男性は言わないでしょうけど、言わなくてもだいたいそういうことだとわかっていてくれる男性がいたとしたら貴重で、女性は二度と裏切らないようにそのような男性を大切にすれば良いわけです。

ただ、確かに、とても愚かで男を極限まで見下している清楚系ビッチがいることも確かで、そのような場合でも、(男の側が)愛を理解すればそもそも清楚系ビッチと本当に良い女性とを容易に見分けることができるようになりますし、自分が愛の状態になれば相応しい女性も自ずとわかるものだと思います。何事も分相応というもので、清楚系ビッチと関係があるということは自分もその程度ということですから、自分が成長すれば自ずと清楚系ビッチとは疎遠になってゆきます。

脇が甘くて多少なりとも清楚系ビッチに甘い顔を見せてしまうと図々しくつけ込まれていきますからきちんと線引きが必要のように思います。とある昔の出来事を思い出しましたが、返事にしても、社交辞令で合意かのような返答をとりあえずしてしまうとそれにつけこまれて色々と小馬鹿にしてきたりしますので、道徳に欠けていることの多い清楚系ビッチに対しては勘違いされないようきちんと返答を選ぶ必要があるかと思います。曖昧な答えでスルーしているのに清楚系ビッチはその心理を見抜けずに「はっきり言いなさいよ!」とかイライラしてきたり小馬鹿にしてきたりすることがあって、こっちがスルーしているということにも気付けないとある清楚系ビッチは心理的に幼いのかな、という印象が当時その時にありました。その清楚系ビッチは性欲は強くてそっちは魅力的だったりしましたけど、結局、愛という点に関する理解はまだまだで、性欲は強くてすぐに寝る女みたいでしたけど、反面、男や他人への理解は薄く、ただし自己肯定感は高くて自分は愛を知っていて文学をたくさん読むから人の心がわかると思っていてスピリチュアルもわかっていると自称する人でしたけど、実際のところは多少はスピリチュアルとはいえ自分のことが第一の現世利益的な考え方でしたので、結局は、ハートの愛に達していなければ頭でどう考えていても大差なくて、ポイントはというとハートの愛に実際に達しているかどうかで良い子かどうかが決まると思うのです。清楚系ビッチはハートの愛に達していない、ということができます。性的魅力があってすぐに寝るような子でもハートの愛がわかっていない、という場合もあるわけです。この辺り、一見するとハートの愛を持っていそうに見えてしまうのですけど、言動が文学からの受け売りだったり、怒りの沸点が低くてすぐにヒステリーになる具合あったり、男を見下す目線を見ることで、そのような女性であってもハートの愛がわかっていないということが読み取れるわけです。

良い子はハートの愛がまだ弱かったりしますけどそれはハートの愛が育つ素養があるということでもあって、良い子かつハートの愛が育ってハートの愛に達すれば最上のパートナーになるわけです。ハートの愛がまだそこまでなくても良い子ならパートナーとして十分に及第点に達していると思うのです。一方、清楚系ビッチが男にヒステリーになっていたとしたらハートの愛に達するのは難しいような気が致します。実のところ、元清楚系ビッチであろうともハートの愛に達すれば劇的に良い子に劇的に変わるわけで、それほどハートの愛は偉大なわけですけど、そうは言いましても、普段から怒りを溜めて生活をしていたらハートの愛に達するのは難しいようにも思います。それよりも、良い子がパートナーと信頼関係を結んでハートの愛に目覚めていく方が容易なわけで、であれば、パートナーとしては清楚系ビッチよりも単純に「良い子」を選べば良くて、要は、素養のある子を選べば良いわけです。信頼関係を構築して、深い関係を続けていると、不意にハートのチャクラ(アナハタ・チャクラ)あるいはもう一段下のマニプラ(ソーラプレクサス)などが開いてハートの愛あるいは情愛に目覚めることになります。その時の女性の反応としては、チャクラが開く前はどこか躊躇があって心を開き切っていない部分があったのに対し、チャクラが開いて心が開くと急にハートが輝き出してエネルギーが倍増し、顔が明らかに明るくなり、心が開き、距離感が急に近くなります。女性は、男性と信頼関係を結ぶことで割と容易にチャクラが開いてハートの愛に目覚めることができるように思うのです。その時、ハートの愛に目覚めるのが一番ではありますけど、開くのが情愛であってもそれなりの良い愛情に目覚めることができるわけです。女性が、男性との信頼関係を持つことでチャクラを開くという神秘のステップは、古来から誰となしに本能で教えられることなく普通に行われてきたことのように思います。このステップを経ずしてハートを開かずに生きている人は、人生の神秘を体験していない、ということにもなって、せっかく生まれたこの体を有効活用していないということにもなって、とても勿体無いと思うのです。異性との関係を経ずして生まれながらにハートが開いている方もいらっしゃいますけど、(まだハートが開いていない場合は)異性との信頼関係によってハートが開く場合が多いように思います。

そして、そのようなハートの神秘と素晴らしさに比べれば、清楚系ビッチなど些末なお話であると言えます。

ハートの愛は素晴らしく、それ故に、それ以前の愛しか知らない人、それ以前の愛が優勢な人を蔑んだりしません。何でも包み込んで愛してくれる、それがハートの愛なわけですから、たとえ、それ以前の愛しか知らない清楚系ビッチがいたとしても、それは些細なお話なのです。

ハート以前の人は煮え切らない態度を取ったり時に気持ちだけでも浮気したり自分に夢中の時もあったかと思えば時に夢中というわけでもなかったり、とにかく何某かが欠けていて、それは情愛かそれ以前の愛の段階にいるわけですけど、一旦、そういう人を好きになってしまったら、全てを受け入れるか、はたまた、苦しいけれども諦めるしかないように思うのです。例え、そういう(ハート以前の状態の)相手が自分を好きかのような態度を取ったとしてもハートの愛を知らない人であればその本人のレベルにおける「好き」(ハート以前の「好き」)でしかありませんので、例えば情愛だったり、はたまた性愛、あるいは所有欲における愛だったりするわけです。これらはどれ1つということはなくて複合ではあるのですけど、どの段階が優勢かによって愛の形が変わってくるわけです。ですから、ハートの愛がゼロではないにせよ、他の愛の方が(時に、遥かに)優勢なわけです。そして、ハートの愛が優勢の人が、それ以前の段階の愛が優勢の人を愛してしまったならば、それは仕方がありませんので受け入れるか、あるいは、キッパリと諦めた方が良いと思うのです。中途半端で付き合った挙句に、とても無理な要求をして「どうして(ハートの愛で、ハートの愛を前提として)もっときちんと接してくれないの」とか言われたとしても、そもそもハートの愛を知らない人にとっては困惑するだけなのです。このような場合、上位の愛を知っている人であればそれ以前の段階の愛の形も理解できるわけですから、先に進んでいる方が相手をより理解するという形にするか、あるいは、段階が合わないことがわかったのであれば仕方がないので離れるか、どちらかしかないように思うのです。理解なくして近くにいても喧嘩になって不仲になって離れるわけで、最初から付き合わないか、付き合うなら理解を元にした関係にする他はないように思います。

それに、今になってようやく気が付きましたが、多くの場合、清楚系ビッチに何を言っても無駄なのです。綺麗で良いボディの若い女の子にはそれなりの需要がありますから、本人に自覚がなければ必ず自己正当化する選択をして他人の言葉、特に男の言葉に聞く耳を持ちませんし、占い女子や恋愛相談するスピリチュアル女子を見ればわかりますように、意見を求められたとしても多くの場合は自己肯定してもらいたいだけですので、私は今まで、ついつい真面目に対応して回答してしまっていましたが、清楚系ビッチが求めている回答は「自己正当化」ですので、それ以外の回答を受け付けないか、あるいは、不機嫌になって自己正当化してもらえるまでヒステリーになるわけです。おそらく、私が今まで清楚系ビッチのことをよくわかっていなかっただけで、世間の多くの人は私なんかよりもよほど清楚系ビッチの生態を理解していて、何を言っても無駄だと理解しているからこそ、世間では「女性から相談されても、女性は回答を求めてなんていなくて同意してもらいたいだけ」という一般常識は大抵において正しいわけです。

多くの場合において一般女性のスピリチュアルというのは自己正当化と引き寄せの法則で自分の人生が豊かになってお金や従順なパートナーに恵まれることを望むわけですから、男のスピリチュアルのように自己成長を説いたとしても多くの場合には糠に釘で、求めているものが違いますから、話が通じないわけです。

これが悪いと言っているわけではなくて、女性とはそういうものなのだと思いますし、それで既に女性はそれなりのスピリチュアルを達成できるわけですし、私の属するグループソウルから分かれた分霊の女性の人生を見ても、多くの場合は「ほほほん」と不都合ない生活をしていますので、女性で生まれたならば恵まれて生きて幸せのままに寿命を迎えればそれでいいのかなと思います。そうして私自身の属するグループソウルの分霊の人生を見ると、随分と私の今の男の人生と比べて気ままに幸せにほとんど不都合なく生きていますから、女性の生き方というのはそれはそれで苦労なく恵まれているものだと思います。女性はそうして不都合ない幸せな人生を謳歌すれば良いのだと思います。

どんなにスピリチュアルが成長しても、どうしても男の生き方と女性の生き方というものは変わってきて、同じグループソウルからの分霊であったとしてもお互いの生き方の根本は違っているのですが、それはもう、何十年とその性別で生きてきているのですから違って当然で、そんなものかな、と理解するしかないと思うのです。それが悪いわけでもなく、それぞれの性別の特質かなと思います。