世界を怖そうとする若者がインターネットと出会う

2023-05-14 記
トピック:スピリチュアル: 回想録

若者にはある程度はつきものかなと思いますが、世界に絶望して世界を無謀にも壊そうとする若者が一定数いて、私も多少ながらその傾向が若い頃にあったように覚えています。不満の吐口を、世界を壊す、という、とてつもない無謀な方向に向けてしまうのです。

思えば、大学時代の化学の授業が一風変わっていて、その教授はと言うと「君たちはどうせ化学なんて使わないだろう。授業をしてもいいが、それよりも、君たちが思っていることをレポートに書いて送ってくれ。それで単位をやろう」などと言うのです。よくもまあ、そんな面白いことを許す大学の教授の委員会もあるものだと思ったものですけど、教授がいいと言うのですから、良いのでしょう。当時はただ単に「変わってるなあ。そういう授業もあるんだな」と思ったくらいですけど、今から思えば、新しくできたIT系の学部の生徒が何を考えているのか探りたい、と言う教授会の意向があったのではないかと勘繰るのですが、実際はよくわかりませんけど。とにかく、そのような化学の授業があって、私は当時、かなり過激なことを書いたように思います。若者らしく・・・ といえば聞こえが良いですが、他のレポートと比べると随分と面白いことを書いて教授は興味津々だったように思います。

当時、今と比べてインターネットもまだ始まったばかりで黎明期で、ハッキングとか言ってもとても単純なものばかりで、今のように凝ったものでもなくて、Windowsなんて外部からちょっと通信しただけでハングアップして固まってしまう時代でしたし、はたまた、Windowsのローカルのファイルをネットワーク上から覗き見てファイルを自由にコピーできる時代でした。それは自分で作ったと言うよりはただ単にそう言うサイトからファイルをコピーしてきて実行したわけですけど、今から思えば、そう言うファイルを自分のPCで実行している時点で自分のPCもウイルスにやられていたのかなと思いますけど、とにかく、当時は自分の危険を顧みずして色々とハッキングもどきのことを、友人たちとの間で行っていたのでした。

流石に一般の人に対して行うことはなかったですけど、やろうと思えばできる時代だったといえます。そのくらい、ハッキングが初歩的で簡単な時代でした。あれから2~30年は経っていますけど、当時は、インターネットもまだ小さくて、自分一人の力で世界を動かせるような気がしていたものでした。

世間を見回せば、例えば、ハッキングと称してサイトを乗っ取ったり、はたまた、サイトにネットワークの攻撃を仕掛けてサービスをダウンさせたり、と言うことをしている人がいて、それと共に声明を出して政治的な主張をしていたりしました。そう言う人たちもいたかと思います。

初期のハッカーで有名だった団体の一つが 某Aで、あれは雑多な集まりであって共感した人が勝手に名乗るような思想集団を形成しておりますので実際のところ当時からの継続性はないように思いますが、それでも、一つの原型をなしていたように思います。そのように、とても届かないと思われた世界に対して反旗を翻し、自身の主張を高らかに宣言するという自由がかつてのインターネットにはあって、今も多少は残っているように思います。

さて、それは若者の特権のようなもので、若者は世界に対して反逆を企てて、やがて、脆くも挫折をするのが常かと思います。

それは、スピリチュアル的には、エゴ(自我)が自分自身に対して反旗を翻した結果、自分が自分に勝つことはできないのでエゴが消滅するしかない、という図式で今は理解しています。自分が住む世界、自分自身でもあるこの世界を消し去ることはできず、エゴが世界に反旗を翻した結果、その力は自分に返ってきて自分を消そうとしたのだと思います。もちろん自分自身を消すことはできなくて、ただ、痛い目を見ただけですけど、若い頃は、そのように、天に唾を吐くようなことを試みたこともありました。愚かではありましたが、それは若気の至りだったと今は理解しております。