執拗に近づいてきてあれこれ理屈をつけて納得させた上で、「いい人」とオーラを交換することで獣は人になれるのです。逆に、「いい人」は獣のオーラを押し付けられたことにより数十年単位でメンタルの不調を抱えることになります。
獣こそが「人との交流は大事」と言い、世間やマスコミはたまたリベラルの教育者がそれに同調することによりそれが正しいかのように皆が思い込まされていますけど、それは、獣の方から見た論理な訳です。奪い取る側こそがこのようなことを言って、本来は平穏で暮らせる筈の「いい人」からエネルギーを奪い取るのです。
ですから、守る側の論理としては「獣とは関わらない」とすべきであり、確かに「人同士」であれば同じレベルですから関わりも良いでしょうけど人と獣は混ざり合う必要はないのです。
犬や猫などの愛玩動物がいますけど割と犬や猫はいい波動だったりすることも多いですが、人の皮を被った獣は愛玩動物よりも酷くてハイエナのようなものですから関わらない方が良いのです。
私の場合、具体例で言いますと、小学校の頃に、知恵遅れでいつも情緒不安定でぶつぶつとずっと何か言っていた子を(先生の采配で)隣の席にずっと座らされたことがあって、その時、半年以上の長期間に渡ってずっとオーラを吸い取られ続けて、隣にいると、とにかく疲れて疲れてたまらなくて、逆に、その子は時間が経つにつれてどんどんと元気になっていって情緒不安定が治っていった、ということがありました。学校の先生はその子の情緒不安定が治ってきて喜んでいましたけど長期間に渡ってオーラを吸われ続けた私は被害者ですから、何もいいことがなかったのです。その後、その子の情緒不安定さがある程度まで私に移ってきてしまい、私は勉強や物事に集中するのがなかなか難しくなり、成績も落ちました。とにかく、私にとっては酷いことしかなかったわけです。
はたまた、就職した際に私が配属になった部長がメンタル不安定で、何かあるとすぐにフロア全体に響き渡るような声で怒鳴りつけてブチギレるような人で、とにかく関わり合いたくなかったのですけど、そのうち私が疲れてきてしまって、その部長の圧力に屈しそうになって、ついつい、部長の理屈に「同意」をしてしまったのです。それまでは線を引いていて、とにかくこの部長と(オーラが)接触しないように気をつけていたのですが、社交辞令が半分だったかとは思いますが、たとえ社交辞令であったとしても「同意」を多少でもしてしまうと、そこでオーラの「交換」がなされるようなのです。その時、明らかに私にはわかったのですけど、その部長と私との間にオーラの線ができてしまい、あの部長のメンタル不安定のオーラの一部が私に入ってきて、逆に、私のオーラがあの部長の中に入っていき、その結果、私はメンタル不安定になって、逆に、あの部長は「ちょっとだけ」メンタルが安定していい人になったのです。その部長は状況がわかっていたのかどうかわかりませんけど、あの部長としては部下の面倒を見てやったつもりだったのかもしれないですけど私からしたらいい迷惑で、被害しかないわけです。その部長は、それまではパワハラし放題でしたけど、ちょうどその時に中途で入ってきた人からは「あの部長はいい人だな」とか言われていて、私は実は色々とその部長に言ったことがその部長にはそれなりに応えたらしく、その上、私のオーラをもらったことで一時的に「いい人」になったようでした。私はその部長と関わり合いを持ちたくなかったのですけど、あまりにも執拗にネチネチとブチギレるものですから私は疲れてしまい、ついつい、「(部長、貴方は)生理的に受け付けない。気持ち悪い。」と本音を言ったら、いつも怒鳴りまくっているパワハラ部長であってもそう言われたら流石にショックらしく、ちょっと態度を見直したようです。ですが、そういう人の本質は変わらないようで、私が耐えきれずにその会社を辞めた以降もパワハラを行ったようで、退職に追い込まれたとかなんとかいう噂を聞きましたけど本当のことかどうかはわかりません。
そのように、獣のような人はいて、色々と理屈をつけて「共感」を取り付けてエネルギーヴァンパイアしようとしてきますけど、獣とは関わらない方が良いのです。はたまた、自分が導いてあげよう、などという高慢な邪な気持ちはほぼ必ず失敗しますから、世界が違うのですから放っておけば良いのです。おそらく、導く、というのは、自分が一旦、そのレベルまで落ちないとできないのです。自分が高みにいたまま導いてあげよう、などというのはスピリチュアル的な傲慢なようにも思います。導くなら、自分もその立場に一度落ちて、そこから一緒に高みを目指すというのならありだと思いますが、そこまでして助けよう、などという人はほとんどいないのではないでしょうか。自分が高いところから見下ろして導く、などというのは傲慢だということであれば、世界が違うのですから放っておくのが良いと思います。
人生は全て完璧なのですから、それぞれ、違う世界で生きればいいのです。そんな獣の人生であっても、獣同士であればそれは問題がないのです。人が獣の世界に関わる必要はないのです。獣同士が喧嘩をしていても、それを人間は基本的には関与しないのと同じことです。