背骨に一本の筋が通る。チトラ(chitra) ナディ (ブラフマ・ナディ)

2023-09-12 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

早朝のうとうとしている時に、何なのかは良くわかりませんが、尾骨のあたりに急に、ホースに水を通すかのように膨らむ感覚があって、それが背骨を通って少しずつ胸のあたりまで上がりました。これはとても細くて、しかし、とてもしっかりとした線なのです。

それで特別にすぐに何かが変化したとかそういうことはないのですけど、やがて胸の後ろの背骨沿いのところまで登って来て、一旦は止まりました。

速度はそれほど早くはなくて、水路に水が通るかのようにゆっくりで、とは言いましてもおそらくは胸まで上がるのに5分とか10分とか、うとうとしていましたので時間は不正確ですけど、それほど時間はかからなかったように思います。

背骨はヨーガではスシュムナというエネルギーの主要なルート(ナディ)が通っているところで、単にスシュムナという言葉はよく使われますけど実際にはその中にはいくつかの線が含まれていて、スシュムナというのは代表的な言い方なわけです。

スシュムナの更に中には バジュラ(vajra) ナディや チトラ(chitra) ナディ (ブラフマ・ナディ)があって、特に チトラ(chitra)ナディはムーラダーラ・チャクラにあるブラフマ・グランティと強く結びついていると言います。

クンダリーニというと割と「炎」の例えがあって、熱くて強いエネルギーというイメージがありますけど、私の場合、そのような熱くて燃えるようなエネルギーの状態は割と普通になったと言いますか昔の出来事で、今回のことは、単にそれに加えて細い線が追加で通った、というくらいの違いになります。

ですから、これがあったからといって、今回のことが何だったのか、判別がつきにくいのです。

一つの仮説として、ブラフマ・グランティが解け始めて、少し、スシュムナの中央の チトラ(chitra)ナディ(ブラフマ・ナディ)に細いのですがかなり確かなエネルギーが通り出したのかな、という気も致します。

スシュムナというのは図の通り割と外側で、おそらくはスシュムナにエネルギーが通り始めると熱が生じたり、それだけでも人生がかなり活性化されるように思うのです。それをクンダリーニのエネルギーというのは一応はそうだとは思うのですけど、割と肉体に近いエネルギーだと思うのです。

一方、今回、背骨の、とても細くも中央の微細なところで線のような、線と言っても確かな、釣りの糸のように、細くても丈夫で切れない、しっかりとした線のように感じられるエネルギーが通ってきたように思うのです。であれば、それは、スシュムナというより チトラ(chitra)ナディなのではないかと思うのです。

あるいは、チトラ(chitra)ナディの外側にある バジュラ(vajra) ナディなのかもしれませんけど、図を見る限りはバジュラ(vajra) ナディとスシュムナは割と同じものを意味しているので、それよりは、チトラ(chitra)ナディなのではないかという気もしますが、どうでしょうかね。

スシュムナ(外側)→ バジュラ(vajra) ナディ (中間部)→ チトラ(chitra)ナディ (中央)

この辺りも更に様子を見ていきます。

(図は、MEDITATION and Mantras (Swami Vishunu-Devananda著) P91より)