トラウマの原因となっている意識体はお願いをしても体から出て行ってもらえるように思います。
これはもしかしたら世間で霊能者やユタがお祓いをしているのと同じかもしれなくて、体に覆い被さってきているよくわからない意識体には出て行ってもらうのが良いわけですけど、私は割とオーラの手で摘んで引っ張り出すことが多かったわけですけれども、無理矢理しなくとも、分かりの良い意識体ならばお願いすれば出て行ってもらえるように思います。
これは必ずしも良いこととは限らなくて、勉強の神様あるいは指導者が入ってきている場合まありますのでいてもらった方が良い場合もあるのですが、トラウマになるような意識体には出て行ってもらうのが良いわけです。
その時、自分とその意識体とがきちんと別々のものとして認識できることが重要で、別の意識体を認識できれば話は簡単て、その意識体に語りかけて出て行ってもらえば良いわけです。
実のところ、この種の意識体というのは人の意識というほどははっきりしていなくて、残留思念のようなものです。
それは生きている人間が思念を残す場合もありますし、思念を飛ばしてきている場合もあります。はたまた、死者の念が残っている場合もあります。これらの場合、いずれにおいてもそれは本当の「思考できる」という意味における意識ではなくて、もっとぼんやりとした、もやもやしたものです。
その残留思念と比べると人の意識というのは遥かに上等なわけですけど、実のところ、そのような残留思念であっても凝縮されて濃くなると単純な受け答えができるほどの自動反応が可能な意識にまで発達することがあります。これは、正常な受け答えができなくて反応的な応答しかできない思念ではありますが、それでも、一応、それっぽく受け答えができたりします。
これら、人の意識そのものではなく、残り滓のような残留思念は基本的に同じ想念に執着してそればかりを繰り返すわけですけれども、一応、お願い、あるいは、軽い命令をすればそれに従って出ていってくれることがあります。
あまりにも思念が重くて粘着質の場合は動かない場合もありますが、それなりに軽めの思念であれば、お願い、あるいは、指示をすればそれに従ってくれるように思います。トラウマの中でもあまり重くないもの、単に何回も繰り返しているだけのような種類のものであれば指示に従って出ていってくれたりします。
概ね、そのような残留思念は、「自分」とは異質のものとして体の中に感じられるように思います。違和感があれば、「出ていって」とお願いをするだけでもある程度の効果があるようにも思います。