あまり対処できていない段階においては、古いトラウマと現在の自分とがオーラ的に同質化しているように思います。一方、自分の波動が上がってきてオーラの光が強まると、古いトラウマのオーラと現在の自分のオーラとの間に乖離ができてくるように思うのです。
トラウマのような思いが湧き上がってきた時、波動が当時の自分とそこまで変わっていない場合は同調しやすくて、影響されやすいわけです。一方、既にスピリチュアルに多少ながら成長をしてオーラの質が変わっている場合、それは、異質のオーラとして認識されるように思うのです。
そして、先日書きましたように、その古いオーラに「お願い」あるいは「指示」をして出ていってもらう、ということをしても良いのですが、その際、そもそも、異質のオーラが原因で当時のトラウマが作られる原因となったことを理解すれば、既に変わってしまった自分の現在のオーラの状態からすれば、もはやどうしようもないというだけでなく、その、当時のオーラの状態そのものがそのトラウマを作り出す原因になっていた、ということを理解すれば、トラウマの原因が、その時の行動や状態および受けた感情にあるというよりは、当時の自分の状態、自分のその時のオーラの状態、当時の自分の存在、そのものが、当時のトラウマを作り出した、ということに気が付けるわけです。
一方で、トラウマはその当時の「行為」や「感情」にフォーカスして対処する、というお話もあるにはありますけど、そういうお話はトラウマに対処する上で何度も何度も思考したでしょうから、それよりも、当時のオーラの状態そのものが現在の自分に比べて未熟だった故にそのことが引き起こされた、とすれば、もはや、そのトラウマな状況が引き起こされたというのは(意外にも)必然だったかもしれなくて、であれば、その時の行動や状況を悔やんでもどうしようもないことがわかるわけです。
これは、一般的な対処とは異なるかもしれません。一般的には、トラウマというのはおそらくは「受け入れる」「仕方がない」などとして無視するか受容することも多々あるように思うのです。そして、笑い飛ばして誤魔化したり誰かに話して紛らわせたりします。カフェや居酒屋の話なんてそんなものだったりします。
今回のお話は受容といえばそうですけど、フォーカスポイントが違っていて、行為やその時の状態ではなくて、当時のオーラの状態、当時のスピリチュアル的な成長の段階を踏まえれば、もう、その状況を作り出した、引き寄せた、遭遇した、というのは、ある程度は仕方がないことだ、と理解できるわけです。
そのような判断と理解は、自分が当時の自分よりもスピリチュアル的に成長していないとできなくて、そのようなことを一般的な言葉でさらっというならば「若い頃に行った、やんちゃな行為や、遭遇した出来事を、幼い行動として受け入れる」ということだと思います。実際のところ、そのようなことは歳を取ってもあるわけですけど基本は同じで、成長していない頃に行った行為についてどうこう言っても仕方がなく、自分が成長した上で、過去の行為については反省する、もうそのようなことはしない、と、日々、成長していけば良いわけです。
これはスピリチュアルとか言わなくても割と普通なことではありますけど、スピリチュアルなことを心がけているならば、当時の自分と現在の自分とのオーラの状態の変化を感じ取りさえすれば、このあたりのことがやりやすくなる、対処しやすくなると思うのです。