瞑想で見たお話ですので本当のことかどうかはわかりません。
同物語では、悪人がたった一回の良いことをしたことにより天国から蜘蛛の糸が降りてきて助かるチャンスを与えるが、他の人を蹴落とそうとした瞬間に糸が切れて地獄へと真っ逆さまに落ちて戻ってしまう、というお話でした。遥か昔に読んだお話ですので細かいところは異なるかもございませんが、概ねそのように記憶しております。
私の理解、それは子供の頃に幽体離脱をして時空を超えて神様と思しき存在の思考を感じ取ったり、はたまた、夢や瞑想などで感じ取ったことを総合しますと、まず大前提として、神様の触覚器官とも言える、いわば「目」としての人間が、この世界に何人か、あるいはもっと転生しております。その人は文字通り神の一部ではあるわけですが、分霊でありますので割と普通の人のように見えて、見分けはつきにくいですけど、それら、まさに「普通の人」こそが神の「目」としてこの世に散らばっているわけです。
そして、その人が何を見ているかというと、文字通り、「この世界は、どのようになっているのか」ということを、つぶさに、事細かく、真剣に、時に面白く、とにかく「知る」「見識を深める」ということを目的にしてこの世界に降りてきています。周りから見ると普通の人間でしかないことがほとんどで見分けはつきにくくても、一定数、そのような人がいるわけです。特に頭が良いかというとそうでもなくて、割と普通だったりします。見た目も基本的に普通かと思います。割と高次に繋がっていますので「ぼうっと」していて逆に頭が悪そうに見えたりもするかもしれません。
そして大切なのは、そのような人は割と人間の「主観」で物事を見ているという点です。神様の「目」であるからと言って必ずしも神の視点があるわけではなく、むしろ目的なのは主観としての人間としての視点ですので、(割と)あえて、普通の人間としての知覚を得て認識しているわけです。
その「目」世界に散らばっており、その主観はそれぞれ別々で、文化的背景も理解して、特にその文化だけの視点しか知らなかったり、はたまた、それなりに勉強している場合もありますけど、それでも、全体としては神様が総合的に判断するわけです。人それぞれは、あくまでも主観としての感覚と意見を有していて、それは感情面にしてもそうで、愛にせよ憎悪にせよ笑いにせよ幸せにせよ、割と個人的なものを持った上で生活しています。
その上で、神様は総合的に見て判断するわけですが、神様というものは「良い思い出」を重視します。
例えば、とても悪い経験があったとしても、神様の使い(分霊)としての人間は、悪いことはあまり気にしません。あまりにも悪いことがあり続けると「もうだめだ、この世界は」ということにも(その分霊の意見としては)なったりすることも時にはなくはないですけど、基本的には、「良いこと」を重視します。
ですから、悪いことが多少あろうとも、とても良いことが少しあれば、それで、世界は救われるのです。それが基本です。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、とても、とても、良いことが、その神様の使い(分霊)の周囲で起こったとしましょう。そして、神様の使いが、その出来事に、いたく関心したり、はたまた、とてもとても喜んでいたとしましょう。それだけで、世界が救われるチャンスが生まれるのです。
神様はこう思います。「うーん。色々なことがあったけど・・・。あのことは素晴らしかった。それであれば、世界を救おうか。」このように、ちょっとでも「とてもとても良いこと」が神様の使いの周辺であれば、それだけで、神様は世界を救ってくれるのです。
と言いますか、語弊がありますけど、神様が救ってくれる、というよりは、神様が「もうだめだ。この世界を一旦リセットしよう」というのを「やめてくれる」、「この世界が存続しても良い、と判断してくれる」というのが真実です。
ですから、神様が意図的に「よし、何かをして、世界を救おう」ということではなくて、「このダメな世界を終了させよう」ということを、やめてもらえる、ということです。
その幸せというのはなんでも良いのですけど、私が様々に見た感覚で言うと、神様が今一番喜んでいるのは「日本での、貞淑な妻たちとの幸せな日々」です。その人生は何十もありますけど、そのほとんどで、妻と、とても幸せで満ち満ちた人生を送ることができて、それゆえに、「うーん。あの妻たちのために、(日本だけでなく)世界を、地球全体を救おうか。」と思ってくれています。
実のところ、その神様も男たちの傲慢な行動には辟易しており、この世界が男だけなら「もうリセットでいいや」と言う感じだったように思いますけど、このように、何十人もの貞淑な日本人の妻たちのおかげで、今まさに、世界は救われようとしています。
これは冗談のように聞こえるかもしれないですけど、私の中では割と本当かもしれない、と思っていることで、確証はないですけど、特に神様に「目」として意見を直接的に伝えることのできる分霊たちが「この世界を継続させてほしい。リセットしないでほしい」と訴えることにより、その意見は分霊からの意見ですから神様もその意見を重視して、それならば・・・ と言うことで、この世界を継続させようか、とも思っているようです。
とは言いましても、現時点では、そうなるかもしれない、と言うくらいで、実のところ、この時点では神様はまだちょっと迷っている感じもあるのです。「そうだなあ。継続かなあ・・・。リセットはやめておくかなあ・・・。どうすべきかな・・・」と、まだ、まどろんでいる状況のように思います。
であれば、ここで更に「目」たちの周囲で良い環境を作って喜ばせ、「良い人生」を送ってもらうことで神様が「よし、継続で構わない。そうしよう」と決断するわけですけど、今は、女性たちが貞淑ではない場合も増えてきて、どうしようかと決めかねている感じではあります。
実のところ、神様を喜ばせるのは貞淑な女性でなくても良いわけですけど、今まで長い時間をかけて地球に「目」が暮らしてきた結果として、その積み重ねとして貞淑な女性というものが鍵になっていますので、他の人が「そういう時代ではない」とか人間の目線で好き勝手を言ったところで神様の「目」には関係がなくて、ただ単に「ダメな世界になった。愛のない世界になった」と判断されるだけのお話のように思うのです。
そのように、私の見たところ、世界を救う鍵は女性で、女性が貞淑になってこの世の社会を愛に満ちたものにすればそれに応じて神様も喜んでこの世界を継続させるようになるように思います。
神様はヒステリーな女性が嫌いで、特に「頭の悪い女性」が嫌いで、もしギャーギャー騒いだり意味不明なことを言う女性が増えすぎると「もういいや。救いがない状況なのでリセット」になりますけど、今のところそう言う状況はならないように思います。
貞淑で、かつ、頭の良い女性(これは重要)が増えることにより「地球の継続」に繋がるように思うのです。
そして、その「助かる」というのも芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でしかなくて、割と神様は「気まぐれ」で、ニコニコして神様に助けてもらえるならば、それ以上は深く望まず(図々しくあれこれ願ったりせず、他人を蹴落とすなんてことはもちろんせず)、助けてくれることを素直に喜ぶ、という姿勢で世界が救われるように思います。
そのように、神様は「うーん。どうしようかな・・・。あの可愛い愛すべき妻たちのために地球(世界)を壊さずに継続させよう。あの妻たちが幸せに暮らせる大地を残そう。」という、割と主観的で、それも、かなり悩んだ上で決断してくれるような予感があります。
こういうことを言うと「何を女性蔑視の古臭いことを言っている」とか「男女平等」とか「男尊女卑」とか言う人がいるかもしれませんけど、神様の思いなんて、人間の知ったことではありません。神様が好きな女性とは、とにかく優しくて毎日を幸せに暮らしている女性のことですから、この世の日常生活の家庭や近所付き合い、はたまた地域コミュニティなどの苦労のお話はあまり関係がないのです。それに、貞淑な優しい女性がこの世に溢れれば溢れるほど地球が救われる、という、この世に生きている男女問わずに幸せなお話でもある筈なのです。これは港区女子とかのことではなくて本当に本当に純粋で優しい献身的な女性たちのことであります。
スピリチュアル系では割と「中性の性別」になることがあたかも素晴らしいかのように喧伝されていたりもしますけど、神様は「とてつもなく女性全開Max200%」の子が好きです。神様はLGBTは重視しておらずLGBTは人生の一時期に現れる過渡的なものでしかなくて、割とスルーしております。LGBTは子供の頃やしばらく慣れ親しんでいた性別を変えて生まれた時に一時的に心身不一致になるだけで体のエネルギーの方が強いため基本的に体と性別は合うようになりますしそのように意図的に体と心の性別は合わせるのが自然でそうすべきで、よって、女性は女性らしく、しおらしく生きると神様が喜んで地球が存続するわけです。神様は優しい女性が大好きであります・・・。
こう言うことを言うと「何をアホなことを言っている・・・」と思われるかもしれませんけど、この世界の真実なんて、そんなものです。割と単純なお話で世界の存続が決まるように思います。貞淑で優しい女性がこの世界を救うわけです。
女性が鍵となりますと、一番気をつけなくてはならないのはヒステリーな女性で、神様はこの種の喚き散らす(根本的に頭の悪い)女性が苦手ですので、ヒステリーな女性を減らす方が地球が存続しやすくなります。
優しい女性(それは根本的に頭が良いと言うことでもあります)が増えれば増えるほど地球存続の可能性が増えるわけです。本当に、単純なお話であります。
スピリチュアルをされている方の中には「人々の憎しみを減らす必要がある」とか「人々を癒す必要がある」とか様々なことを言いますけど、実のところ神様は現状の日本の状況は基本的には肯定していて、とは言いつつも外国のように憎しみの連鎖と資本主義での弱肉強食になるようであればその評価も変わるかもしれませんので何とかしないと危ないように思いますけど、それでも、現時点では基本的には日本は肯定しているわけで、特に、日本の女性が好みのようです。
イメージとしては、平安時代に天皇が女性たちを囲っていて夜な夜な楽しんだ、という感じですね。女性たちは物静かで優しくて、神様はたいそうお気に入りだったようです。近代においても、一般社会においてそういう女性は紛れていて、そういうしおらしい女性を見つけては妻にして、たいそう喜んで一生を過ごしていたようです。
逆に、いわゆる世間でスピリチュアルと言われている「自称、波動が高い」人たちは実はエゴが強くてヒステリーで怒りの沸点が低くて、そのような自称スピリチュアルに優れている人というのは神様は基本的に見向きもしないで、そうではなく、そこらにいる、家族思いの、普通の愛溢れるいわゆる昭和妻を神様はお好みようです。
ですから、この世界を存続させるには昭和妻を大切にする必要があって、「時代」だとか「古い」とか言って新しい価値観とやらに変わっていけば神様は「あー、めんどくさい! もう、帰る。この世界、やっぱりいらないかも。あとは残った人で好きにして。」と思って放っておかれて、戦争やら何やらで地球終了になってしまう(されてしまう)可能性があります。実のところ、神様は男性のことにそこまで興味がありませんので男性が横暴な態度を取ったところでスルーされるだけなのですけど、鍵となるのは女性で、女性がヒステリーな態度でいることが多いと、そのことで神様が「女性が優しかったのに、なんだかヒステリーな女性が増えて面倒だな。もう帰ろうかな」と思って地球を救わずに帰ってしまうかもしれません。ですから、女性が鍵なのです。
ですが、今のところ、とても優しくしてくれた昭和妻たちの思い出があるために、「うーん。あの妻たちのために、この世界(地球)を(丸ごと)救おうか」という気持ちになっていますので、その気持ちを壊さないように気をつける必要があるわけです。とは言いましても、誰がその(神様の)「目」なのかは見分けがつかないわけですので、あまり気にせず、普通に日本人としてのより良い姿を保っていさえすれば地球は存続すると思われます。
似たようなお話で、手塚治虫のW3(ワンダースリー)なんてものもありましたね。近からずとも遠からず、と言ったところでしょうか。
あとは、神様が重視しているのは「自由」ですね。他人を束縛して自由を奪うような社会を神様は望まれません。それは制度があろうがなかろうが奴隷と同じことで、とは言いましてもある程度の束縛は人を「良い人」に変えることができるのでそれなりの制約は好ましいものとして捉えられていますが、人間が自分の欲望のために他人を束縛する、ということは好ましくないと考えられています。そしてそれは一般社会のみならず、スピリチュアルな束縛、というのも罪として数えられています。昨今、スピリチュアルといえども他人を束縛するようなものがあって、Sとして命令をしたり操作したり、心が囚われて思い通りに動かされる、というようなマインドコントロールのある状態は、明確なシステムで奴隷の制度がある方がよほどましなくらい、目に見えないマインドコントロールによる束縛は問題であると考えているようです。
ですから、昨今のスピリチュアルにおいて、「波動を上げる」系の団体がいくら「波動が高い人」を量産したとしても、それらの人の心が自由ではなくて束縛されていて、ちょっと道から外れたらヒステリーになるような「怒りの沸点が低いスピリチュアル」だとしたら、一見すると波動が高くて輝いているように見えていてもそれは本物ではなく、そういうのは、神様はあまり評価していないようです。本質から言えば普通の人とそこまで変わらない、と見ているようです。一時的に良い波動を保っていても、本質のところで成長していない、と見ているようです。一般的には、「スピリチュアルを目指しているだけ一般の人より少しマシかな」、というくらいのお話です。
そうではなく、昭和妻のように相手に寄り添い、自分を犠牲にして奉仕する気持ちを自然と持っていて理屈抜きに体現している人、そういう人を神様は評価されています。
昨今の、よくわからない「キレやすいスピリチュアル」は、神様の評価としては低いわけです。そこが注意すべき点です。
波動が高いように見えて実はキレやすい(怒りの沸点が低い)スピリチュアルの特徴としては
・外からは、一見すると素晴らしい人(あるいは団体)であるかのように見える(そう見えたりもする)。
・自分たちは崇高な目的のために働いていると思っている。(地球を救う、他人のスピリチュアルを向上させる、など。)
・本人たちに悪気はない
・テクニックを重視する(儀式、魔術、幾何学、道具、配置、結界など)(一応、技術的なスキルは割と高いことが往々にしてある。)
・他人の穢れ(ケガレ)を極端に嫌忌する、見下す、差別する。(他人の穢れを指摘して他人の自己肯定感を下げることも往々にしてある。その後、穢れを取るためのヒーリングを施すという流れに繋げる。)
・(スピリチュアルなオーラの)穢れ(ケガレ)を、その原因を理解して解消するよりも(そういうこともなくはないですが)、それよりも「取り除く」ことで解消しようとする。(補足:こうなると、現象としての葛藤やトラウマが消えてしまったために、本人による原因追及が自分で出来なくなる。理解が進まなくなり、それはよほど悪い状況になるのにも関わらず、それでも、取り除いたことで「良いことをした」と思い込んで、他人にもそれを勧める。放っておくのが正解。やがて自分で「理解」して解決するのが正当なやり方なのに、取り除くことで解決と思い込んでいる。そのように、助けているかのように見えて、実は、他人の理解の邪魔をしているという状況を神様は評価しません。その問題を理解するために、再度、同じような経験をするという二度手間をその人に強いることになります。助けているように見えて邪魔をしている、ということです。)
・他人を操作しようとする。
・他人を怒鳴りつけ、それでも自らを肯定する。
・プライドが高い。所有タイトルや所属に対して誇りを抱いている(=執着がある)。儀式を行なっている自分に自惚れしているナルシスト(の場合がある、儀式に熟練して上達してくると、そうなる可能性が高い)(=エゴが克服できていない)
・(団体に所属している場合は)長く団体にいることで更に自らを肯定するようになる。
・エゴが強まって、それを肯定する。それでもワンネスを標榜する(=よくわからずワンネスを言う)
・このあたりのことを指摘しても「(賛同しない)言い訳」「(やらない)言い訳(=セミナーを受講しない言い訳)」として解釈する(=独善的)。
神様の視点からするとこのようなスピリチュアルは(割と)偽物であり、神様も大して評価していません。本質をどこか外していて、多少は本質をかすっていつつも、どこか、ズレているわけです。
たまにオーラの調整でヒーリングもいいかもしれませんが、ヒーリングなんて、そのくらいのもので、基本は自分で対処すべきものなわけです。
葛藤やトラウマ、不快な思いというのは「取り除く」のではなくて、「理解」することで解消するのが基本です。
それと、たまに、ヒーリングしつつも、コントロールするための「繋ぎ」のオーラをヒーリングと称して埋め込んでくるヒーラーもいて、基本的にはそのようなことは無意識で行なっていますので(無知ゆえに)本人にはそこまで罪はないといえばそうなのですけど、自覚なしに他人をコントロールすることを行なっているヒーラもいたりするので注意が必要です。無知な無自覚ヒーラーの犠牲になるのも面倒なお話ですので避けられるなら避けた方が良いと思われます。
そのような余計なお節介をするヒーラーたちよりも、昭和妻の方を神様は高く評価しています。基本は「家族」であり、家族愛に深い人、特に昭和妻が神様に評価されています。特に、神様の分霊としての「目」が直接的に接して妻にした数十人の貞淑な女性たちが神様(の分霊)にとっての直接的な「良い思い出」となっているわけです。
例えば、スピリチュアルの活動だからと言って家族をほっぽり出して遠くに出かけて「ヒーリング」やら「セミナー」とやらを頻繁に行う人を、神様はそこまで評価していません。普通の仕事と同じくらいの評価です。それよりも、昭和妻が家族のために献身的に尽くしてくれている状況の方をよほど評価しています。
そして、その、昭和妻すらも「蜘蛛の糸」である、ということです。
本当は、日本の全土のみならず、世界の全てが昭和妻に支えられて天国のようになるのが理想ではありますが、特に男は乱暴で傲慢で怒りが強いために神様の評価対象にはほとんどなっておらず、鍵となるのは女性ですけど、特に昭和妻こそが鍵となって、神様の目に止まって世界をリセットするのを辞めてもらえるようになる、というお話になりそうです。
現時点ではあくまでもそういう可能性がある、というお話だけで、どうなるのかは、これから確かめられることです。リセットになったらこの地球が終わるわけですからもちろん地上の世界もネットも何もかも無くなるわけで、これを読んでいるということは現時点ではリセットされていない、ということで、幸運な状況なわけです。
まとめると
・鍵は日本の昭和妻
・昭和妻との思い出による神様の「蜘蛛の糸」により地球が存続する(救われる=リセットを辞めてもらえる)
・自由が前提(束縛の多い世界を神様は望まれない)
となるわけです。
世間では、時々、「女性がこの世界を救う」とかいうお話を聞きますけど、そこまで間違っていないように思うのです。