見ている階層によって転生のあるなしが変わります。アートマン以上には転生はありませんが、それより下は物質ですから始まりと終わりがあります。そして、始まりと終わりのことを、見ようによっては転生と呼ぶこともできます。それでも、アートマンは継続して存在していますから始まりも終わりもないわけです。
一部の流派でこのあたりの理解が混乱していて、例えば転生はないとしている流派も多々ありますけど、世間で言われている転生がないと、そのまま理解していたりします。それらの流派では、アートマンのことを言っているのではなく、文字通り、人間がこの世に生まれるのが1回だけで転生はない、と教えているのです。何やら神の意識があって、それが地上に降りて転生するのが1度だけ、という教えが基本です。キリスト教では死後に審判を待つ、みたいな教えですし、とある流派は、それに似たような感じで、地上に生まれるのは1度だけ、みたいに教えていたりします。
実のところ、転生はないとするのは、キリスト教にせよ何にせよ「砂漠(で生まれた)の宗教」の特徴です。それを踏襲して「地上に生まれるのが1回だけ」と解釈している流派が宗教にせよスピリチュアルにせよ多々あるのですけど、稀に、そのような説明と同時に、例えば「生まれてから数百万年を宇宙を漂って・・・」 みたいな説明も同時にされることもあって、話の辻褄が合っていないのです。数百万年も宇宙にいて地上に生まれるのがたったの1度だけと言われて、そんなこと信じる方が難しいです。数百万年も意識が存在していれば、1回だけでなく何がしかあるでしょう。
この種のお話は、それらの流派が自分たちに都合の良いように解釈していることが多々あるように思うのです。
・過去の転生の人生を「なかったこと」にしたい傲慢な気持ち。過去に目を背けたい気持ち。
・(転生はない、今回の人生が一度きり、と考えることで)他者と同格、同等であると考えることができるため。
・(転生はないと考えることにより、他者と同格であると思うことができ)劣等感が拭われるため、そう思いたい。(実は錯覚であるのですが)(実際には、他人との間にそうそう超えられない壁があることも多々あります。)
・(団体の側からすれば、転生を一回だけにした方が恐怖で)人々を操りやすい
・実際、その範疇しか把握できないから、当人にとっては転生はなく人生は1度きりに見えるため、自分に正直。(これ自体はそこまで悪いことでもない)
・他の流派で聞いた、「生まれることもなければ、死ぬこともない」というお話を自分勝手に都合よく解釈している。きちんと理解していない。
そのような、自己都合の「転生はない」系のお話を乗り越える必要があるように思います。そのためには、基本としてアートマンなどの階層のお話を理解した上で、アートマンの階層のお話と人間の自我(エゴ)のお話の混乱をも乗り越える必要があるわけです。
ご都合主義の流派は、エゴの話で何故か「生まれることもなければ、死ぬこともない」という混乱したことを言っていて、それは実はアートマンの特徴なのに、何故かエゴの階層で語っている、ということを行なっていたりします。それは、なんとなくわかるようでいて実は違っていて、エゴを強化して勘違いさせる効果があるため、結果、こういうことを言っていたり言われていたりするとエゴが増大して厄介な人になる可能性があります。初心者向けのざっくり説明であればそういう言い方もありかもしれませんけど、だとしたら、言う側も、ざっくり説明だということを踏まえた上で説明すれば少しは話し方が違ってくる筈ですが、どうも、言っている側もこのあたりの理屈をきちんと理解していないようなのです。
ただ、それを言っている本人、特に団体の中心部にいる創始者のような人実は直感で全てをわかっていたりすることも時としてあるので事態が厄介なのですけど、言っている本人が「言葉」を適切に使わずに、なんとなくの雰囲気で語っている(それでも本人は直感でわかっている)という状況は、周囲を混乱させるのです。創始者は分かっているからよくても、後からそれを聞いた人が間違って解釈してしまうわけです。
このお話は実は簡単で、アートマン以上は転生はなく、生まれることもなければ、死ぬこともない、永遠の満ちている意識、それがアートマン(真我)なわけですけど、一方、エゴ(自我、ジーヴァ)は滅する限られた存在なわけです。それを、ジーヴァの意識に向かって「貴方は神であるから、貴方は永遠で、死ぬこともなければ、生まれたこともない」というから、意味不明なわけです。結果、「それを知っている」という自尊心が拡大して、厄介な存在になってしまいます。エゴが「そうか、自分が好き勝手にしていいんだ」と思い込んでしまうかもしれないのです。その辺りは、常識のある人なら何かおかしいと気がつくわけですけど、気が付かない人もいるわけです。
例えば、私が話した、とある講師は「貴方は、永遠の存在で、神なのよ!」みたいにワクワク感を伴って喜んで話していましたけど、それって、意味が全然違っていて、意味を知っていたら、そういうワクワクな表現にはならないと思うのですけど・・・ と思いながら聞いていたことがあります。野暮なのでそこまでツッコミませんでしたけど。そうして、エゴに対して「貴方は神です。永遠です」とか言ったとしてもスピリチュアル的にあまり意味はなくて、むしろ、自尊心が増えるだけで有害で、知識が謙虚さを阻害するという場合もあるわけです。エゴが知っている風になってしまうけれども、実は、あまりよくわかっていない、という状況になるわけです。それでいてエゴは自分が知識を得たことで尊大になっていますから、他者の聞く耳を持たないほど厄介になってしまうこともあります。
エゴは所詮は思考の反作用である(ヨーガで言う)アハンカーラであり、ヴェーダンタであるジーヴァであり、仮初の私であり、本当の自分ではないのです。ですから、エゴ(ジーヴァ)は永遠でもなんでもないのです。そして、エゴ(ジーヴァ)の意識に対して「貴方は永遠なのです」などと、間違ったことを教え込むスピリチュアル団体もあるのです。エゴはは幻想であるのですけど、そのエゴの意識に対して「貴方は永遠なのです」などと教えてもあまり意味がないように思います。それよりも、エゴとアートマン(真我)の違いを冷静に教えた方がよほど有用に思います。
エゴが鎮まるのが最初のハードルで、エゴが鎮まるとハイヤーセルフ(真我)が近づくことができて、そして、エゴとハイヤーセルフの融合が起こるわけですけど、そうなると、ハイヤーセルフの側がある程度の神の意識になっていますので、一応、限られた範囲における神(の意識の一部)というのはその通りなわけですけど、エゴとハイヤーセルフが分離している状態では(エゴの意識は)神ではないわけです。
そして、ハイヤーセルフの意識は神(の一部)であるわけですから、永遠で、死ぬこともなければ生まれたこともない、というのはその通りなわけですけど、エゴが勘違いして「 自分(エゴ)が永遠なのだ」と勘違いしたら分離が深まるだけなのです。
よって
・ハイヤーセルフに転生はない
・エゴ(自我)に転生はある
ということが基本になるわけですけど、中間的な部分もあって、コアの部分は転生においても引き継がれ、特にコアは似たような性質になります。
条件付けのようなカルマ的な部分も中間的なものとして引き継がれます。グループソウルには昇天して帰還する場合のみならず、死後にそのまま意図して帰還する場合もあって、その場合、浄化の過程を経ずしてグループソウルに合流しますので、条件付けのカルマが多少は蓄積されることになります。条件付けと言っても悪いことだけでなくて、良い意図なども条件付けの一つでありますから、良き習慣も(そして悪い習慣も)引き継がれます。
ハイヤーセルフとかその上のお話はかなりスピリチュアルに成長した後のお話で、そこまで成長していない段階では、神ではないわけです。
確かにこの世の全ては神の一部ではあるのですけど、だからと言って自分の顕在意識のエゴは神意識の認知ではないわけです。
エゴは所詮はブッディ(思考)の反作用でしかなくて永遠ではありませんし、肉体よりも長い期間で循環しますけどそれでも始まりと終わりがあります。始まりも終わりもないのはアートマンで、肉体やアストラル体そしてコーザル体(カーラナ)までは物資ですので始まりと終わりがあり、よって、世間で言われている転生そのものではないですけど一応は転生と呼んでも良さそうな循環は存在するわけです。