アートマン(真我)とも呼ばれるハイヤーセルフは生まれることもなければ死ぬこともない永遠かつ満ちている存在なわけですけど、その視点からすると(ヴェーダンタで言う)ジーヴァ(普通の意識における私、仮初の私、エゴ)は儚くて、生まれては死ぬ存在であります。
基本的にハイヤーセルフから見るとジーヴァ(エゴ)は勝手に動いていて、なかなか思い通りに動いてくれない存在だったりします。しかし、時に、強制的に運命を操ることでジーヴァ(エゴ)が意図しなかった現実へと導きます。
ハイヤーセルフの視点からすると時間と空間を超えているのですが、この地上の出来事に関してはジーヴァ(エゴ)および肉体を通じて(ハイヤーセルフが)世界に働きかけを行いますので、まず、(ハイヤーセルフが)ジーヴァ(エゴ)とうまく繋がる必要があるわけです。
最初はなかなかジーヴァ(エゴ)に繋がるのが難しく、特に現代ですと人々が自由気ままに生きているためにハイヤーセルフの声が(自分の)ジーヴァ(エゴ)に届きにくい状態になっておりますので苦労をするのですが、そこは根気よく働きかけを(ハイヤーセルフが)行っています。
そして、稀に、ジーヴァ(エゴ)の側が気がついて、あるいは、もともと修行している人だったりする場合に、ジーヴァ(エゴ)とハイヤーセルフとが融合することが可能になります。そうなると割と自由にハイヤーセルフの意識をジーヴァ(エゴ)に反映することができて、それぞれが、それぞれの視点の元に、調和した意識で日常を過ごすことが可能になります。ここが一つのスピリチュアルの目的地でもあります。
そして肉体の死後は肉体に近い部分は滅んだり分離したりしますけどハイヤーセルフは死なずに存続します。そして、ハイヤーセルフがグループソウルに戻ったり、戻らずにそのまま転生、ということもあります。それは、グループソウルに戻れるほどに順化されているかどうかという前提条件はありますけど、戻ろうと思えば戻れるほど純化されていたとしても当人の意思によって戻らず、あるいは、戻る前に分裂することも時にはあります。しかし、原則で言いますと、戻れるならば丸ごとグループソウルに戻るのが基本であります。それぞれ、なるべく戻れるところに相応に落ち着くわけです。