意思として、分離するかどうか、というところも死後に分離するかどうかに関係してきます。これは、盲目で意思の力が弱い人はなすがままになりますし、意思の強い人は選択の力が強く働きます。とは言いましても、ある程度までは意思の力が働きますが、エゴとハイヤーセルフの分離がそれなりにある場合は中間的な階層(天国)に上がれない部分はどうしてもあるわけで、その時、高次の方からしたら(粗大な部分を)分離するかどうか決めることができて、粗大な部分のために地上あるいは中間的な階層に留まるか、あるいは、分離して、可能な部分だけ天国に行く、ということを選択できる人もいます。あるいは、波動的な統合が弱くて分離が激しいと否応なく分かれることもあります。
そして、分かれると低次の側である想念の抜け殻のようなものが地上に残り、(天国に行けるくらいの)中間的な意識が天国に行きます。そして、場合によっては高次の側だけが天国に行ったり昇天したりしますが、高次の部分の分離がほとんどない場合もあります。この辺りは、意識的に分離しようが波動的になすがままに分離しようが、どちらも同じようなことになります。