オーラを広げないことの重要性

2024-10-10公開 (2023-12-30 記)
トピック:スピリチュアル: 輪廻転生

何も修行などをしていない人の場合はオーラがゆらゆらとだらしなく動いていることが普通で、実のところ、そのオーラはカルマの条件付けを保存しているところでもありますので、他者とのオーラの接触が起こると、特に同程度の波長である場合、他人のカルマを貰ってしまったり、カルマを誰かにあげたりしてしまうことがあります。オーラの接触が起こると、そこは「一体」になって、文字通り一体になったところは自分でもあるし相手でもあるという共有の状態になります。そして、距離が離れた時にそのオーラのどこかで切れてそれぞれのオーラに分かれるのですが、そのオーラとは、一旦は一体になったオーラなのです。ですから、オーラが融合するときにお互いのカルマが融合されて、離れる時に、自分と相手のカルマとが一体になったものの約半分を自分の側に貰い受けることになります。その時、自分のカルマならともかく、相手のカルマを受け取ってしまうと苦労するわけです。特に、とても波動の悪い人のオーラと接触してしまった場合に疲れるのはこれが原因で、逆に、自分よりも高い波動の人と近くにいてオーラの接触をすると自分が元気になって相手が疲れる、ということが起こります。

相手のオーラの動きはどうしようもありませんので嫌な予感がしたら距離を取るのが基本で、それに加えて、自分のオーラの境界線をしっかりと持つことが肝心なわけです。

オーラが接触すると相手のことが分かったりしますのでスピリチュアルな人は「相手の心を読む」ことに関して同様のテクニックを使ってきますけど、実のところ、カルマの交換が起きていますのでお勧めしないことであります。

これは、それなりに波動が近しい相手、信頼している相手、家族など、相手を選んで行うのはありだと思いますし、実際、家族における以心伝心なども同じ理屈で行なっているように思います。基本的には、オーラの交換によって相手の情報を読む訳です。思考や感情など、オーラが所持している情報は読むことができます。

もっと波動を高めて微細になればオーラの交換などを行わなくても相手の内面が見抜けるようになりますが、それには更にハードルがありますので、手っ取り早い方法としてオーラの交換という手法があるわけです。ですが、それを不特定多数に使ってしまうと良くない相手とカルマを交換してしまって苦労することもあるわけで、いわゆる霊障になることもあるかもしれません。一見すると何ともなくてもカルマは蓄積しますので、ある時、耐えられないくらい辛くなったりもします。とは言いましても、わかった上で、相手を選んで心を読む、という場合もあるかと思います。

スピリチュアルな手法においてヒーリングができるようになるとこの種の問題に対処できるようになって、引き受けてしまったカルマを浄化できたりします。とは言いましても、それはテクニックとして有効ではあっても、相手の心を読むというのはそこまで本質的なことだとは思わないのです。カウンセラーなど、相手のことを知る方が良い職業の場合は有用だったりしますが、一般的にこの種のことは不要のように思うのです。

何故これが輪廻転生と関係があるかというと、ほんの少しではあっても、カルマの交換がオーラの接触と分離によってなされるからです。時には、良くない思考、性質などを引き受けてしまうこともあります。それが、生きている間に行われる輪廻転生のサイクルの(小さな)一つとして存在していて、そのカルマが新たな輪廻の車輪を作り出すこともあります。

オーラが接触したとしても、オーラが融合するためには基本的に自分の側に「オーラを受け入れる」という同意が必要なのですが、スピリチュアルな流派によっては相手の心を読むために頻繁にこのテクニックをその現象の副作用も知らずに「相手のことを知る」という効果を求めて行なっていたりしますので、いわゆる霊能力者が次第に苦しみ出す、というのはよくあるお話であります。

これは、霊能力者の礼節があるとある程度は防ぐことができて、他人の心を読むことができたとしても、「相手の同意がなければ心を読まない」という原則を守っていさえすればオーラの接触は意図的かつ最小限なものになります。

そもそも、オーラの接触なしに相手を読めるようになる方が良いのですけど、ミッションなどで情報を取らなくてはならない場合もあるでしょうし、それは個々の事情があるかと思います。

自分のメンタルが不安定の場合はオーラがゆらゆらと不規則に動いていて、周囲のオーラの影響を受けやすくなります。これが霊障で、霊媒体質とも言いますけど、自分が意図せずして他者やそこらに浮いている霊のオーラと融合してしまうわけです。

精神修行をしてオーラをきちんと境目をつけて保てるようになればオーラの接触をするかどうかは意図的なものになって、意図的でない接触はほとんどなくなります。ただし、相手があまりにも酷い鋭い真っ黒なオーラな場合など、こちらが拒否していても強力な力で無理矢理オーラの融合をさせられることもありますので、嫌な予感がしたら距離を取るのが良いと思います。

これは、スピリチュアルな成長が「相手の心を読めるようになること」だと勘違いをしている一部の流派の人たちがいるからこそ強調しなくてはならないのですけど、これは誰しもが普通に行なっているオーラの仕組みであって、これができるようになったからと言って特段、優れているわけでもなく、むしろ、自分がスピリチュアルな成長をしているかのように勘違いを加速させるお話であるわけです。

確かに、オーラの接触がなくても相手の心を読んだり過去や未来を読めるようになるとそれなりにスピリチュアルな成長をしたと言っても良いと思いますが、それは、興味本位で相手の心を読んで面白がっているような面白スピリチュアルとは割と無縁のところにあって、しっかりと精神修行に向き合って心を鎮めて静寂の境地に達して、エゴとハイヤーセルフとが融合して、そして初めて可能になることであって、テクニックでオーラを接触させて相手の心を読んで優越意識を高めるようなおかしなお話とは全然違うお話なわけです。

全て分かった上で有用な場面においてオーラの接触というテクニックを使うのはありですけど、そうではなく、無闇に使ったり、勘違いするのであればオーラの接触などしない方が良いといえますし、精神修行という観点からしたらこの種のオーラの接触は全然、見向きもされていないお話どころか、流派によっては「オーラの接触はしないのが原則」としているところもありますので、特に理由がなければオーラの接触はしない方が良いと言えます。

その原則は「他者の人生を引き受けない」「他人に自分の人生を押し付けない」という宇宙の「自由」と「非干渉の原則」がここでも成り立つ訳です。宇宙の非干渉の法則とは惑星と宇宙人の関係が有名で、惑星には自由があるので宇宙人は惑星に対して非干渉である法則あるいは誰しもが守るべきルールがあるわけですけど、それは個人に関しても同じで、自分の人生は他人から干渉されないのが原則ですし、他人の人生を干渉しない、というのも原則なわけです。

惑星に対して、惑星の住民の同意があれば限られた範囲において関与ができますが、それと同じで、一人の人が同意の元に他者と関わる、ということも同意があれば可能な訳です。しかし、基本は各自の自由と非干渉が原則でありますから、そうであれば、オーラの接触をしないのが原則な訳です。

となれば、自分のオーラを整えて自分のオーラが勝手に他者と交わらないようにし、他者とオーラが接触しても融合しない、という意図を持ち、他人の心を読むためにオーラを融合させる、ということをなるべく避け、独立した人として、自分の人生を生きるのが基本な訳です。

本当に正当にスピリチュアルな成長をすればオーラを融合させなくても他人の心は読めるようになりますから、その時まで、その種のことはお預けで良いわけです。

実際のところ、オーラの微細な層がワンネスなので、ワンネスの部分は最初から重なっているので(粗大なオーラを接触させなくても)情報を読むことができるわけです。安全に情報を読むには、一般的には、体に近いオーラは接触させない方が安全なわけです。人によっては相手の体の中に入り込んで情報取ろうとしてくる人もいますけど、それでも相手のことはそこまで理解でいきないようですので、オーラ接触による情報の取得の精度は低いと思います。ここで注意して言っているのは、ある程度は粗大なオーラの層のことです。人によっては第一層とか二層とか言ってますけど私は霊体のオーラは基本一層しか認知できませんので一層で話をしていますけど、それなりに順化されるとオーラを接触しなくても心が読めるわけです。ですから一層目のオーラ接触は不要なわけですけど、一方で、視覚で認知できないのですけどおそらくは微細なオーラがワンネス領域で繋がっている(気配がある)ので情報が共有される、情報が読めると思うわけです。

私がここで言っているのは、視覚で認知できる、霊体として形のあるオーラは他人と融合させない、融合することでカルマの交換はしない方が良い、と言うことです。何故なら宇宙の法則で自由と非干渉の原則があるからで、接触すると僅かであっても輪廻転生の元となるカルマが共有されてしまうため、混乱してしまったり、お互いに学びをやり直さなくてはならなくなってしまいます。波動が低い盲目な人にとっても今いる現実を精一杯生きるのが重要ですし、高い人も相応に自分の人生を生きるのが必要で、ごちゃ混ぜの動物園にしてもお互いに理解できなくて苦しんだり混乱するだけです。それが一人の人間の中で起こって、メンタルが不安定になったり、実は分かっていないのに(高い波動の理解を一瞬得ることで)分かった気になってしまったり、停滞してしまったり間違って理解してしまったりします。オーラの共有はあまり良いことはなくて、輪廻転生に悪影響を及ぼすことが多いわけですので、同意のないオーラの共有は避けるべきであります。

何故、このことを何度も言うのかというと、他人の心を読めることがスピリチュアル的な成長だと勘違いしている人が意外に多いからです。それは、確かにオーラの接触なしで読めればそれなりの成長と言えますが、大抵の場合はオーラが接触して合一が起こっているだけのことで、そんなことはテクニックさえ身に付ければ割と誰でも行うことができることで、それはどちらかというと成長というよりも成長していない証であり、「オーラが安定していない」という、不安定な方の、良くない印なわけです。ですけど、他人のことがわかったことで「スピリチュアル的に優れている」と他人から評価される風潮が(意外にも)あって、他人のことを見抜くことで鼻高々になっている人が意外と多いのです。それは所詮はテクニックでしかなくて、しかも、大したお話でもないのです。

本当にスピリチュアルの成長がしたら、オーラが揺れなくなって、オーラが安定して、オーラの境目もはっきりしてきます。そして、オーラが他者と(意図なしに)(無秩序に)勝手に融合する、などということも極端に減ってきます。オーラが接触しないのですから、相手のことはわからないのです。他人のことなんて分からなくて良いのです。それは、紳士や貴族の誇りのようなもので、「見れたとしても、見ない」「聞こうと思えば聞ける状況であっても、聞かない」という姿勢が大切であって、節操なく他人の心を見抜くのは単に失礼なだけですし、基本的には「当人の許可」を得てからするべきことなわけですけど、なぜか、勝手に心を読んでおきながら、それで、他人の心を読んだことでわかった風な気になって、しかも、それは精度が悪くて本当の心の奥の、根元までは読めていないことがほとんどで、その程度の精度で勝手に他人を評価してしまったり、勝手な判断をすることで自分の自尊心(エゴ)が高まってしまたりするわけです。それもこれも、オーラを広げているから他者の心が読めるのであって、それはあまり良いことではないわけです。

これは、勝手に読んでしまうのであれば霊障の部類になりますので、実のところ、当人は自分のオーラが不安定なのですから自業自得ですけど、そのオーラと接触して一部でもオーラが合一してしまった他の人にとっては良い迷惑で、オーラが融合することでカルマの交換を(意図せずして)行ってしまうことになり、他人の人生に意図せずして引き込まれてしまうわけです。

ですから霊障は迷惑でしかないのですけど、何故か、霊障の結果として生じる霊能力(のように見える紛い物)でエゴが喜んで良い気になって、それで良いのだと思い込み、スピリチュアル能力が高い(霊能力が高い)と勘違いしてしまうわけです。

この種のオーラを広げるお話は、答えは逆で、オーラを安定させることが第一なわけです。そうすることでオーラの他人との意図しない合一は減ります。そして安定した後に、もしかしたら静寂の境地とか、その先の、(粗雑な)オーラの接触なしでの他人の心を読む力(更に微細なワンネスによって他人を読む力、粗雑なオーラの接触がない、微細なオーラによって読む力)、というのを得るかも知れませんし、そうでないかもしれません。どちらにせよ最初の第一歩はオーラを安定させることですから、(粗雑な)オーラが不安定でオーラが接触することで霊能力者ぶるのは、それはただの勘違いの能力ですから、そう言うのは辞めた方が良いわけです。

他人の感情や気持ちが多少わかったところで、この種のオーラの融合では浅いところしかわからず、本当のところまでは見抜くことができませんので、中途半端にいらぬ能力を得たところで、大して役に立たないわけです。他人を多少見抜くことで自尊心が揺さぶられてしまう程度のスピリチュアルの段階であれば、尚更、そう言うのは不要だと言えます。

処方箋としては、オーラを安定させることが第一です。そのためには、瞑想をするなり何某かの仕事や趣味あるいはスポーツに打ち込んでゾーンに入れるくらいにまで集中力を高めることです。そうすることでオーラが安定して、オーラの浄化も進みます。

あるいは、もしかしたら誰かにオーラを安定させるような施術、強制的な封印に近いようなものを施してもらって「普通の人」としてしばらく暮らした方が長い目で見たらスピリチュアルな成長は早いかもしれません。これは、そういう施術ができる人は限られていますけど、近くにいるのであれば頼るのも手かもしれません。



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