最初はエゴとしての自由意志ですけど、やがて、ハイヤーセルフとしての自由意志と融合して1つになります。それらが分離している間は何が正しくて何が間違っているのか判断が困難なことがありますけど、スピリチュアルの成長と共に両者のギャップが少なくなり、やがて融合して1つの意思になります。
そうなると、大体の場合は輪廻転生のサイクルから解き放たれて「自由(ヴェーダンタで言うモクシャ)」になって、輪廻するもしないも自由意志に委ねられる状態になります。
とは言いましても、最初は段階を踏む必要があって、まずはエゴとしての自由意志の確立が必要で、そうすると(普通は)思春期に自分の性に目覚めて、男なら男らしく、女なら女らしくなるのです。それがムーラダーラ・チャクラ(ルート・チャクラ)に相当して、まず自分の性に目覚めることが第一なわけです。そのためには、自由意志、特にエゴとしての自由意志が確立することが必要なわけですけど、それを阻害してるのが操作・被操作の関係であり、自由意志を優先させることでまずはエゴとしての自由意志を目覚めさせる必要があるわけです。
それだけですと自分勝手な人になってしまいますけど、もちろんそこで終わりではなくて上のチャクラをも活性化させることで「良き人」として少しずつ成長していき、やがて、ハイヤーセルフとしての意志とも融合して1つの大きな意志としてまとまることで、「自由(ヴェーダンタでいうモクシャ)」を得るわけです。
そうすることで、一応、輪廻転生としてのサイクルは一旦終わる、と言うこともできて、もちろんその後も選択的に意思の力で転生があるといえばあるのですけどそれ以前のような自動的な衝動的な反応的な欲求・欲望に基づく転生ではなくて、ハイヤーセルフとしての意思が選択的に行う転生になるという点において、全く別物なわけです。
ここがスピリチュアルの(一定の)到達点であり、ひとまず、ここを目指すべきなわけです。