他人の心が読めないようになることがスピリチュアルの成長

2024-10-15公開 (2024-01-02 記)
トピック:スピリチュアル: 輪廻転生

逆だと思っている人があまりにも多いわけです。

他人の心が読めることがスピリチュアル的に凄いことだと思っている人が大勢いて、それが評価基準になっていたりしますけど、感情のアストラルのオーラが合一したところで本当のところはわかりませんし、物事の原因のカルマとなるカーラナ(コーザル、原因体)の合一をしても、カルマの合一と一連托生が起きるだけで、それ自体が(両者のオーラの全体としては)新たな理解に達するわけでもなく、単に理解を共有しただけのことです。

しかも、その理解には基礎がありませんから、その理解の過程が抜け落ちている場合がほとんどで、その場合、本質的な理解ができないのです。

そのレベルで他人の心を読んだところで、大して意味はなく、せいぜい、スピリチュアル初心者を驚かせるくらいしか出来ず、本質的な理解には程遠いわけです。

それらの手法で知ることができるのは表面的な気持ちや断片的な思考でしかなくて、相手の共感を引き出す助けや分析の助けにはなるでしょうが、あくまでも補助的なものにしかなり得ないわけです。その程度でしかないのにも関わらず、その副作用として相手の感情やカルマと合一してしまって輪廻転生が引きずられる、というのはコストパフォーマンスが悪すぎなのではないでしょうか。

基本的に、家族なと親密で信頼できる人を除いてはオーラの合一をする必要はなくて、ましてや他人はどのような人かも得体が知れなかったりしますから、安易にオーラの交換・合一はしない方が良いわけです。

基本は、オーラを安定させることがスピリチュアルの第一歩です。ですけど、オーラが散漫になって不安定な霊障状態になると他人の気持ちがオーラ合一によってわかったりして、そのことでスピリチュアル的に優れていると思ったりすることがありますけど、それは単に勘違いでしかないわけです。