スピリチュアル用語の「エゴ(自我)」= ヨーガのブッディ + アハンカーラ

2024-10-15公開 (2024-01-11 記)
トピックスピリチュアル

ヨーガの書物を読むとアハンカーラをエゴと訳していることが多いために混乱することがありますが、確かに、ヨーガでアハンカーラの意味を考えるとエゴのみのことですが、実際には、一般的なエゴという言葉にはブッディも含まれているわけです。

一般的な「エゴ」 = 知性・思考するマインド(ヨーガのブッディ) + 自我(自分という認知)(ヨーガのアハンカーラ)
よって、一般的なエゴ ≠ アハンカーラです。

一方で、ヨーガでは アハンカーラ = エゴ と解釈されることが多いです。

そのために、ここが混乱ポイントになります。

これは、どちらが合っているか間違っているかということではなく、流派によって、コンテキストで読み分ける必要がある部分なわけです。それぞれの文脈で理解すれば特に問題なく解釈できます(慣れるまでは混乱しますが)。

アハンカーラというのは思考する心(ヨーガで言うブッディ、知性)の反作用(実際にはないが、あるように思えてしまう錯覚)ですから、実際にあるのは知性のブッディの方なのです。知性が、実際にはないものをあるとみなしているために存在していないアハンカーラという自我意識が生まれるわけです。ですから、本来で言うとブッディとアハンカーラに分かれるわけですが、一般的なスピリチュアル用語で「エゴ」というとこれら両方を意味するわけです。もしかしたら古代ギリシャ時代まで遡ればアハンカーラのみの意味だったかもしれませんが、今となっては、歴史的に、スピリチュアル業界ではこのブッディとエゴを含めて「思考する心、マインド」として、ごちゃ混ぜで「エゴ」と呼んできた経緯があります。ですから言葉だけ聞くと割と意味不明になってしまうのですけど、スピリチュアルでエゴと言われているのはヨーガでいうブッディ(知力、考える機能)とブッディの反作用で実態のないアハンカーラの両方を指しているわけです。

そして、ブッディの機能は無くなりませんけど、アハンカーラというのは反作用でしかありませんからそもそも実態がなくて、「自己」という感覚という意味におけるエゴはアハンカーラのことですから、アハンカーラは現実を理解すればするほど消えていくわけです。

スピリチュアルで言うエゴ(自我)とヨーガでいうアハンカーラ(一般にはエゴと訳される)とは、同じエゴと言う言葉で訳されることがあるので混乱してしまうところでありますけど、エゴとアハンカーラがイコールなのはヨーガ系の文脈の時であって、一般的なスピリチュアル用語ではそれらはイコールではないわけです。