実際はコーザル体(=カーラナ、原因体)だけでなく多少のアストラル的要素や更に基本となるプルシャ相当あるいはアートマンとしての質ももちろん備わっているのですけど、基本としてはカーラナ(コーザル、原因)体の集合なわけです。それはカルマの種としてのカーラナ(原因)でもあるわけですけど、その集合が、それぞれは個別ではあるけれどもグループとして1つのカーラナ(コーザル)としての体を持っているわけです。
そして、そこから分霊が作られて輪廻転生の1サイクルを開始し、目的を果たしたら昇天してグループソウルに融合するわけです。
目的というのはカルマの種の発芽でもあり、カーラナ(コーザル)とはそのカルマの種の集合体であります。言い換えると、カルマの種の集合としてのカーラナ(コーザル)がグループソウルであり、それは微細ではあるものの物体として存在しているわけです。
それは物体であるが故に永遠ではなく、よって、アートマン(永遠である満ちている意識)ではありません。アートマンではないものであるジーヴァ(仮初の私)としての実態がグループソウルなわけです。未来永劫存在しているわけではないにせよ、グループソウルとしての寿命はとても長く、人間の物差しからするとほとんど永遠のようにも思われますが、一応、終わりはあるわけです。
この宇宙にも終わりがあるように、グループソウルにも終わりがあります。ですが、一応知っておくのは良いにしても、そのような単位のことを考えすぎても致し方ないように思います。それよりも、生を受け、この地上で活動する目的を見極めて最大限に生きること、それが各個人に求められているわけです。それが基本であるわけです。